さて、シンポの内容である。パネリストの中には民俗学者はいない。思想史・教育学・哲学といった顔ぶれである。これは好みの問題だが、最も納得できたのは佐藤健二氏だった。それは、民俗学に関わる人々の4分類を、意味のないものは相手にしないと切り捨てたことに自分の気持ちがフィットしたのが大きい。しかし、1点納得しがたい論点があった。佐藤は、民俗学が野の学問たる所以は、研究対象が野であること、研究者が野にあることの2点でいわれるが、本当はもう1点ありそれこそが「野」たるものである。それは、方法としての野だと説明した。この、方法としての野の説明の中で、自分の聞き間違いでなければ、民間伝承論の3分類を取り上げ、柳田は同郷人による郷土研究を真剣に望んで、長野県の教員に語りかけたのだとしながら、柳田が「郷土を研究の対象とするのでなく」「郷土であるものを研究するのだ」というときの、後者の郷土は実態の郷土でなく郷土人の感覚でという方法論をさしているのだ、と読み込んだ。ここで私は、3分類の郷土人の採集と研究を実態として捉えながら、「郷土で」という時は実態としての郷土でないとするのは、ご都合主義の読みではないかと感じた。詳しくは、佐藤の『読書空間の近代』を読み直してみないといけない。当日のメモを紛失し、うろ覚えの文であることお許し下さい。つまり、自分は「郷土を」「郷土で」にこだわり、「郷土を」という地域社会の全体性にこだわってきたのだから、方法としての郷土などとは気安く規定して欲しくないという思いなのである。
次回は、2日目の研究発表についてまとめる。
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