ヤスジロウのdiary ♪

未だみぬ過去を探し求めたい

常神半島ハイキング 2023

2023-03-30 | 山登り

23・3・27 Thu 

妻の誘いで常神半島を歩いてきました。常神半島の脊梁のような尾根途
を辿って常神灯台を目指します。遊子に車(8:00)を止めて・255mの尾
根上へ。以後は尾根筋を辿って快適な雑木林を適当に進んで行きます。
各集落からは美浜への峠路が通っていて、うっかりしてるとその峠路に
つられて主尾根の筋から外れそうになる場面もちらほら。

 

 

 

 

常神岬灯台(12:12)で昼食のおにぎりと唐揚げを食べました。お腹が空い
たままそれを楽しみにここまで頑張って歩きてきたので嬉しいです。久し
ぶりにラジオを聴きながらお昼を過ごしていたら自分が山を始めたばかり
の頃を思い出して懐かしい気分になりました。

 

 

 

 

昼食後は常神漁港へ降りて車道を歩いて車へと戻りました(15:12)。
常神半島の桜は今が見ごろでとてもキレイでした。また、あらためて
常神を訪れてみたいと思います

 

 

 

 

西側の端に目を移すと丹後半島が見えていていました。もし浦島太郎のお
話が本当なら世久見湾の向こうに望める伊根の景色の中に彼の実家が在っ
たのだろうから、当時はこの地に乙姫様が棲んでいたのかもしれませんね、
羨ましい!


紫式部をしのんで塩津浜 ~からき道なりや~

2023-03-28 | クロスバイク

23・3・28 Tue  

その頃の日本の人口は約600万人、遷都から200余年を経た平安京の人口
が約10万人。政治の実権が貴族から武士へと移ろう時代の中で藤原氏は
全盛期へと向かい、枕草子が記されて幾年が経とうとしていた996年国替
で越前守に任じられ越前国府へと下向する父藤原為時らと共に紫式部は
そこで一年半余を過ごすこととなった。
ちなみに、安部晴明は76歳。詮子が死去(1001)し朝廷の意に背くこと
と知りながら追儺を実施し器の大きさを知らしめ85歳(1005)で死去す
る9年前のこと。

今回はその石碑がある総社(この国府の位置は今も定かではない)から
紫式部が帰京したときに辿ったであろうその道程を、自分の妄想力と経
験を頼りに繋いで走ってみました(6:30)。

 

 

 

武生市街を抜けて旧北陸道を辿って先ずは湯尾峠(7:34)を越えて今庄宿
(8:02)へ。敦賀までの道中では明治天皇御小休所の碑を多く目にしまし
た。

 

 

 

北陸道は今庄から鹿蒜川に沿って二ッ屋川出合の新道へ。ここで奈良時代
からの中山峠越えの旧官道と分かれて木ノ芽峠(9:25)を目指します。
830年に二ッ屋川沿いに拓かれた道を辿ってゆくと笠取峠、木ノ芽峠を越
えて新保から葉原を繋いで快適に下って行きます。
北陸道は葉原の外れ(鷽河内の北側)で田尻からの旧官道と出合って尾根
を乗越して越坂へと入って樫曲を通って敦賀へと至るのですが、木ノ芽川
沿いの快走路に心が向いてしまった僕は越坂へ入る機会を逃してしまいそ
のまま敦賀市街をパスしてズルズルと坂下まで来てしまいました…。

 

 

 

 

やはり越前国一之宮の気比神宮へ寄っておけばよかったなと思いつつ、
そのまま木ノ芽川沿いに下って深坂峠の北口になる疋田(10:57)へ。
疋田のシンボルとなっているこの舟川は紫式部が通った頃にはなかっ
たようだ。1817年に舟川の試運転が始まり1834年に廃止。1857年小浜
藩により再開通されるが1866年の大洪水により壊滅。なので今の舟川
は遺構として整備改修されたものらしい。

 

 

 

 

さて、疋田を過ぎた追分から深坂越です。今の季節、沓掛へ至る4・5km
標高370ⅿの深坂越には陽射しが降り注ぎ、小沢のせせらぎが清々しい。

 

 

 

深坂越(11:46)から大川沿いへとつづく塩津街道を辿って沓掛(12:10)へ。

 

 

 



さて、紫式部が輿から舟に乗り換えた湊の場所はどの辺りだろうか。もし
自分が舟を着けるなら大川の河口から数百メートルほど遡った一帯に湊が
あるといいかな…、そんなことに思いを巡らしながら景色を眺めました。

 

 

 

大川が琵琶湖へと注ぎ込む塩津浜(12:35)で今回の紫式部をしのぶ道程
は終了です。
ここ塩津浜で輿から舟に乗り換えて水路で大津へと向かっていったであろ
う紫式部一行の姿に思いを馳せながらこのまま京都の蘆山寺へと繋げられ
るとよいのでしょうが今の僕にはそんな力はありません…。なので塩津浜
を後にして自宅へ帰ることにします。

 

 

 

 



木之本からR365を栃木峠に向かって走っていると災害復旧の看板が幾つ
と立って福井県側の通行止を知らせていました。そうなると県道140号の
柳瀬トンネルは自転車や歩行者の通行はできないので、咄嗟の思い付きと
それに伴って湧いてきた苦渋の選択の末に倉坂峠(14:41)から柳ケ瀬山
を越えて刀根へと抜けました。その後、池河内(15:21)を経由して葉原へ。

 

 

 

 

葉原から旧北陸線のトンネル群を辿って今庄(17:00)へ抜けて帰宅
(18:20)しました。
久しぶりとなるバイクでの長時間行動はとても疲れました。後半にな
ると休憩や飲食の補給も多くなって帰宅したときにはフラフラになっ
たけど、こうして行けてよかったです。

DST 150㎞


南白山・別山 2023

2023-03-22 | 山登り

23・3・19 Sun 

K市さんⅠ垣さん達の肝いり南白山山行にY子さんと僕が加わった四人で
行ってみました。日照岳東側の尾根端に車(6:00)を止めて二泊三日の
装備と御母衣湖の景色を背に小径を辿り、先ずは日照岳山頂を目指しま
しす(10:15)。

 

 

 

 

日照岳を越えた辺りまでは先行者の姿やトレースで賑やかな感じでした
が、そのうち無垢な雪尾根を辿れる心地よさにひたれました。
山深さと相まって数日前の降雪が残雪をより白く、山際と山の端をキー
ンと引き立ててくれているよう。

 

 

 

 

むむ、これが南白山へとつづく別山東尾根からの景色なのか…と感心しな
がら進んで行きます。今日の幕場は△1900地点を予定していますが明日の
行程を考慮すると一日目の今日の内に少しでも先へと進んでおきたいとこ
ろです。

 

 

 

 

歩くことに疲れので・1883(16:26)で本日の行程は終了。計画していた
幕場予定地を越えて進むことができてよかった。早速、水を作りつつ夕飯
の支度へ。今日一日を振り返りながらホッとできる僕の好きな時間帯です。
数日前からⅠ垣さんが仕込んできてくれたカレー鍋を皆で美味しくいただ
きました。デザートはプリンで

当初の予定ではこのベースから南白山・別山をアタックする計画でしたが、
諸事情を鑑みて明日は全装を担いで白山方面へとルートを延ばして大倉尾
根から下山することに改め、早めの就寝…(20:00)

 

 

 

 

23・3・20 Mon 

4:00に起床。朝食を摂った後、南白山を目指して出発(6:00)。二日目の
今日もピークに立つごとに一旦下って再び登り返しをして標高を上げてゆ
くそんなツライ行程を経て南白山山頂(9:50)へ。

 

 

 

 

南白山から別山との鞍部へ下ってゆく途中で急傾斜で細い雪尾根の通称
「キタサンリッジ」をバックステップで下降して、続く岩場を岐阜側か
ら捲いて尾根上へ戻ります。

 

 

 

 

痩せ尾根を通過した後は別山への登り返しが待っています。距離的には決
して遠くはないのですが昨日からの疲労と重荷でなかなかツライ登りです。
とはいえ、福井県民の僕にとって何時もとは異なる三ノ峰から小白山、枇
杷倉山への山並み、それに続く荒島岳といった眼前の景色の素晴らしさに
嬉しさも感じます。

 

 

 

 

一歩一歩を踏みしめながらようやく別山山頂に到着(12:20)。

別山山頂で小休止をした後、南龍ケ馬場方面に向かって出発。途中まで
はスキーのトレースがありました。

 

 

 

 

大屏風を越えて油坂ノ頭から県境を辿って経て南竜ノ頭(15:30)へ。疲れ
てきたので幕場を探しますが風が強いので鞍部へと下ったところで本日の
行程を終了(16:20)。
今日も水を作りつつ夕飯の支度へ。昨日今日を振り返りながら好きな時間を
過ごします。今夜の夕飯は数日前からⅠ垣さんが仕込んできてくれた味噌鍋
を皆で美味しくいただきました。デザートに魔法のような上手さのグレープ
ゼリー。明日は大倉尾根から下山ということで20:00就寝、3:30起床…

 

 

 

 

 

23・3・21 Tue 

朝食を摂って賽の河原へ向かって出発(6:30)。染まる白山を仰ぐ。

 

 

 

振り返り見る別山へとつづく県境尾根の景色が素晴らしい。

 

 

 

賽の河原(7:25)から御前ケ峰を望んでいます。山頂は風が強そうです。

 

大倉尾根に乗ってようやく安堵した気持ちになって歩くことができました、
昨日までのルートと比べれば登り返しの少ないことが嬉しいから。

 

 

 

 

登山口(11:56)に降り立って残雪に覆われた林道をワカンで下ってゆき
ワリ谷を越えた辺りでようやくワカンを外して歩けました。林道を歩い
て約三時間半でゲートに到着(15:12)。
タクシーで登山口へ戻ろうと思っていましたがタクシーの都合はつかず、
丁度、ゲート手前で出会った親切な釣り師さん達の車に乗せて貰って無
事に車へと戻ることが出来ました。
今回、数年越しの山行がようやく叶いました。それが叶う時にはもう次
の目標に向かっていたりするのでしょうね、皆さまお疲れさまでした。


鉢伏山から大長山 2023

2023-03-12 | 山登り

23・3・11 Sat 

今日はKikuちゃんと妻と三人で雪洞泊の山行に行ってきました。山域は
お互いに遠くない山域で雪洞が掘れそうな加越国境の鉢伏山辺りという
ことにして取立山登山口でマッタリと集合(7:00)。二週間ぶりの取立
山となる今回は僕にとっての違和感がないアプローチルートから上へと
目指しました。

 

 

 

取立山山頂(9:33)から板谷ノ頭を経て鉢伏山(11:33)へ。当初は鉢伏山山
頂付近で雪洞を掘ろうと思っていましたが何となく積雪が足りないような気
がしたので烏岳方面へと向かった途中に雪洞を掘ることにします(12:00)。

 

 

 

 

雪洞(13:30)を掘り終えた後は雪尾根の斜面に座って大長山や白山など
の山々を眺めながらのんびりとした時を過ごしました。今日は風もなく
暖かな陽気なので薄着で雪斜面に敷いたマットの上で寝そべっていても
ちっとも寒く感じません、否むしろ暑いくらいです…。日向ぼっこに飽き
た後、とりあえず烏岳(14:51)を往復してそれから雪洞へ入って水を作
りを始めることにします。

 

 

 

 

 



ラジオを聴きCoffeeを飲みながら三人分の水(約6㍑)を作っているうち
に夕方になりました。頃合いをみて妻がホルモン入り鍋を作ってくれたの
で皆でいただきます(17:50)。山の中で食べるホルモン味はとても美味し
いです。

 

 

 

そんなイブニングを過ごして21:00になったところで就寝しました。明日
は大長山を往復する予定ですが、起床を何時にするか決めるのを忘れたふ
りして眠ることにしました、早起きは苦手な方だから… 

 

 

 

23・3・12 Sun 

彼女たちの話声で目が覚めました…たぶん五時半に起床。Kikuちゃんが作
ってくれた讃岐風うどんの朝食を食べてから後片付けをして洞内に荷物を
置いておいてアタック装備で大長山へ出発(7:10)。

 

 

 

 

鉢伏山を下った鞍部から直登ルートで大長山を目指します。途中にある
笹薮の割れはやや進んでいてそこは藪を掴んで乗り越えてゆきました。
積雪が緩んでいると足がガボるので疲れます。

 

 

 

 

急斜帯を越えると緩い雪原へと変わってそのまま山頂へ。振り返り見る
たおやかな鉢伏山と益荒男のような烏岳の山容に背をおされながら。

 

 

 

 

今朝は良い天候に恵まれたようです。大長山山頂(8:27)に立つと雄大な
展望を得ることができました。久しぶりにここへ来た二人もこの景色を喜
んでくれていることでしょう。

 

 

 

 

各自が思い思いに過ごしていると太陽が雲に隠れて陽射しが消えてしまい
ました。眺望の方も何となく雲が多めになってきたし、そんな山頂に残さ
れているのは僕達を叩く強い風ばかりです。なので山頂を後にして同ルー
トで下山することにします。

 

 

 

 

当初の目標を遂行した僕達は雪洞の荷物を回収して取立山(11:24)を経て
登山口(12:30)へと戻りました。以前、Kikuちゃん達と大長山で雪洞泊を
したときから十年が経ち、この先の十年がどうなるのか僕には想像もつき
ません。取り合えずそれまで山を登り続けられていたらいいなと思ってい
ます。お疲れさまでした。