ニューヨークのメトロポリタン美術館
の近くに
グッゲンハイム美術館がある。
イサム・ノグチは、グッゲンハイム奨学金で
パリに留学。そこで彫刻家プランクーシの助手に。
プランクーシこそイサム・ノグチの生涯の師。
秘書はあのマルセル・デュシャン。
そんなこともあり、グッゲンハイムで
イサム・ノグチ展をという企画が
持ち上がったときがあるそうだ。
しかし、彼は快諾できず。とうとう
この企画は実現できなかったという。
グッゲンハイム美術館を、当時の館長
トーマス・メッサーと歩きながら、空間を
見定めようとした。しかし彼は終始黙っていたという。
どうしてもこの空間は
気に入らなかったのか。
それともフランク・ロイド・ライトの設計は
建物というより彫刻そのもので、
イサム・ノグチの彫刻を置くことは
ぶつかり合うことを意味したのだろうか。
今となっては、わからないが、
イサム・ノグチの
空間というものの見方について
推し量ることはおもしろいと同時に
難しい。
※参考文献
「素顔のイサム・ノグチ:日米54人の証言」四国新聞社2002
※
写真は、モエレ沼公園のガラスのピラミッド入り口
フランク・ライド・ライトのアイディアに
通じるところがあるような気がする。
の近くに
グッゲンハイム美術館がある。
イサム・ノグチは、グッゲンハイム奨学金で
パリに留学。そこで彫刻家プランクーシの助手に。
プランクーシこそイサム・ノグチの生涯の師。
秘書はあのマルセル・デュシャン。
そんなこともあり、グッゲンハイムで
イサム・ノグチ展をという企画が
持ち上がったときがあるそうだ。
しかし、彼は快諾できず。とうとう
この企画は実現できなかったという。
グッゲンハイム美術館を、当時の館長
トーマス・メッサーと歩きながら、空間を
見定めようとした。しかし彼は終始黙っていたという。
どうしてもこの空間は
気に入らなかったのか。
それともフランク・ロイド・ライトの設計は
建物というより彫刻そのもので、
イサム・ノグチの彫刻を置くことは
ぶつかり合うことを意味したのだろうか。
今となっては、わからないが、
イサム・ノグチの
空間というものの見方について
推し量ることはおもしろいと同時に
難しい。
※参考文献
「素顔のイサム・ノグチ:日米54人の証言」四国新聞社2002
※
写真は、モエレ沼公園のガラスのピラミッド入り口
フランク・ライド・ライトのアイディアに
通じるところがあるような気がする。