教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

学校広報の媒体物の責任

2006-03-17 01:53:21 | 戦略
◆私立学校の広報用のパンフレットの創意工夫は、昨今目覚ましいものが多い。しかし、そんな中で感じることがある。芸術的感性にとってどうなんだろうということである。

◆というのもわかりやすさを意識しすぎる広告代理店が多く、その言いなりになる傾向も見られないわけではないからである。広告代理店やそのエイジェントは自分たちが開成や麻布、桜蔭などに進学する生徒たちの実態を知らないから、大人の妄想ではないかと思えるほど子どもに対するイメージが幼稚である。

◆それは学校にも責任がある。安ければよいとばかりに、デザインにお金をかけない。だからできあがってくるデザインは、ひどすぎる。とても私立中高一貫校の知のレベルを表現しているとはいえない表現が多くなっている。

◆だいたい広告代理店やエイジェントの多くは、知というものを心の中でバカにしている。思想というものをバカにしすぎている。そういうものは難しくて、大衆にはわからないのだという。でも北斎はわかりやすいし、思想もあるし、世界的なデザインだ。イサム・ノグチも実にシンプルで、見る者、触る者の心を揺さぶる何かがある。

◆バウハウスのデザインは日常生活の中に溶け込んでいる。実にわかりやすい。しかしそこには教育的な思想がある。フランク・ロイド・ライトの空間思想は小学生にも浸透するようにプログラム化されている。

◆デザインとは感性であり知性は関係ないなどと思い込んでいるようなデザイナー集団を使っているところに学校パンフレットを依頼することは、私立中高一貫校の思想や教育理念を否定することになりかねない。

◆だいたいアバンギャルドやバウハウスなどの動きを封じたのは、ファシズムだ。彼らはわかりやすさを求めたのだ。ファシズムはわかりやすいのだ。自分で考えることをしてはいけないことがファシズムの最大の特徴なのである。

◆私立中高一貫校の教育はこのような路線に抗う理念を持っているのに、それを封印するような学校案内やパンフレットを創るのはどうかしている。

◆その点、さまざまな問題はあるにしても、使い方を間違えなければ、ホームページは良い。ホームページのデザインはシンプルでよいのである。フランク・ロイド・ライトやバウハウス流で構わない。

◆大事なのは、教育の内容や考え方、ものの見方、活動を発信することなのである。写真を多用するところもあるが、それはたいていの場合、見やすさを意識してのことだ。それでなければ誰も読まないと勘違いしている。スーザン・ソンタグのような写真と認識論と価値論を意識した写真を載せるというのなら話は別だ。

◆写真とデカルトの問題を考えた上で載せるというのであれば大歓迎だ。全くそういうことを学内で論じることなく、編集するのも困る。それができないのなら、言論で勝負すべきだ。

◆聖学院グループや白梅学園清修、麻布、聖光学院、栄光学園、神奈川学園などはホームページで思い、行い、考えをかなりの更新頻度で発信している。文章のうまい下手は問題ではない。責任のある熱のこもった人類愛の感じられる文章を発信できる創造的教師がいるかいないかの存在証明がホームページの役割である。

◆紙媒体の学校パンフレットの方は、お金がかけられない分、陳腐なデザインになりさがっているケースが多い。しかしこれは、感受性の豊かな小学生に与える影響は大である。学校の表現は、学校の中身を表現するだけではなく、受験生の想像性、感覚、知性に与える影響が大きいのであり、それゆえ大きな責任がある。表現の責任を意識している広告代理店はどれくらいあるのだろうか。

◆この表現の責任とは、近代的能力から21世紀型能力へシフトしている私立中高一貫校の発想が伝わるものでなければならない。こういうことを考えることができるエイジェントや広告代理店と交流できている学校はすごいが、この点について気づいている学校はまだまだ少ない。学校にとって彼らはステイクホルダーである。よきパートナーを選ばなければ学校はダメになるだろう。

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