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流出雑記 

12月3日

2008年12月03日 | Weblog
3時半就寝11時前起床

ダーリン東京出張。
舞台のチラシに載せる為の写真撮影。

見送り、洗濯。
小豆粥を食べ、ミロを飲む。
午後からT氏宅で仕事。

T氏は明日が誕生日なのでアルバムを贈った。
膨大な写真があるのにきちんと整理されていないようなので、ベストアルバムを作ってもらおうと思ったのだ。
フィルムをはがして粘着面に写真を張るタイプのアルバムらしいアルバムもあったが、その作業がT氏には難しそうなので見かけは安っぽいけどポケットタイプのものにした。
T氏は喜んでくれたようだった。

ポーズの後半あたりからお腹が空いて仕方がなかった。
お粥は健康な胃には消化によすぎるらしい。
さらに小豆の利尿作用のおかげで1時間ごとにトイレ立つ。


昨日からカレーが食べたかった。
夜は芸術センターに岩下徹さんのソロを見に行こうと思っていたので、仕事終わりでそのまま四条方面に走りながら頭の中はカレー色だった。
用事のあった無印に寄り、そのまま地下のMUJIカフェに降りて薬膳カレーをさかさか食べる。

公演は7時から、15分前くらいに劇場に入る。
客席を見渡すと大学同期生、知り合いの顔がちらほら。

無音、即興、60分 という3つの条件で踊られる『放下』というソロ公演で、毎年続けられ今回で21回目だそう。
舞台上には照明があたっているだけで何もない床、振付も構成もないまま一時間。
無音の中ダンスが始まる。
ムーブメントは記憶から起こる。しかしそれはこれまでにやった振付というものでなくもっと細分化された、断片のつながりのような動きとして表れる。
コラージュと呼ぼうにもその言葉が追いつかない。意味付けの前にもう体は別のクラッシュの最中というように。
起こったものを瞬時に体に伝導させては捨てることが繰り返される。
観客が不用意にたてる物音にもダンサーの体は反応する。そこで行われていることが単に個人の身体回想回路の中で完結せず、場に対して開いていることが分かる。
優れた伝導率と「ダンスと呼ばれるもの」に体を寄りかからせないこと。
それが意味の追いつかない速度を生む。
私がダンスを感じるものは、このような身振りの中にあるとあらためて思う。

公演後、家の方向が同じだった同期生のHくんと話しながら帰宅。相変わらずいい声だった。

ダーリンは今夜東京に住んでいる兄の家。ふたり鍋をしている写メが届いた。
男兄弟ふたり鍋 なんかいい。 



12月はじまる

2008年12月01日 | Weblog
伊丹のアイホールでエルダー世代の方々のワークショップ。

11時前出発
駅の立ち食いそば屋で、きざみそば(私) 肉そば、かやくご飯(ダ)

12時半頃伊丹着。

この日集まったのは、60才~90才の8名。
ディスカッションは、それぞれが口々にしゃべりだして止まらず突然軍歌の合唱がはじまるなどカオテッィクな会となった。

私は電話交換手だった80代の女性とふたりで話していたのだが、今も数百の番号を暗記しているそうで、倉敷におすすめの旅館があるから、一度お友達と行きなさいと宿の名前と電話番号を教えて下さったがその番号も暗記されていた。
この日は音楽、音響担当のpsyさんも来て、話したりレコーダーで録音したりしていた。

終わって制作のOさんも一緒に4人で京都に帰り、電車の中でpsyさんは何がなんでも来年の皆既日食が見たいと言っていた。

7時頃、烏丸で降りて皆で居酒屋に行く。
飲み食い話す。
煮詰まったすじ肉のどて煮がおいしい。

10時過ぎ解散。

ダーリンと一駅歩いて御池通辺りまできてスタバを見つけて入る。
平日の夜だが結構人がいる。
深掛けソファーに沈んでホットチョコレートを少しずつ飲んだ。
なんだかいい話しをした。

帰って、完成したDVD『太田省吾の仕事』に収録されている私が大学3回生のときに授業発表公演で出演した「小町風伝」のダイジェスト版を見た。
2時間の作品が30分になっていて、シーンからシーンへの移行部分、ゆっくりと移動している、といったところはカットされている。

自分の役所に関して言えば、私の「私」の露出の許し方と所作の創意工夫が今見るとどうだろうと思う所。
作為が見えすぎる。老人力が足りない。半眼くらいでもっと体を官能的に緩ませてみたかった。

やっていてあの時間は何にも勝るたのしさだった。
でも、 もっとたのしいことはあるはずです。
 
遊びたりない~(ZAZEN BOYS)