病院のようなところにいる。建物自体は出来てまだ新しく、建築も凝ったデザインになっている。森をテーマにデザインされていて、おそらく建物は幹を模した円筒形で、各フロアは回廊になっている。ところどころ円筒を突っ切るかたちで直線の廊下が作られているので、院内は少し複雑で、病室に帰るのに迷うことがよくあった。
病人は年齢、性別で分けられていて、上まで行ったことはなかったけれど、案内図を見るかぎり年齢が高くなるほど上の階にあがっていく。私は20~30代女性のフロアにいた。その年代のフロアも2階に別れていて上の階が症状が重い患者、下の階は自分の身の回りのことは自分で出来るくらいの症状の軽い患者で、夕方5時の門限を守れば外出もできた。私はまだ下の回にいて、1日2回の食事の時に配られる平ったい白い錠剤を飲む以外は特にまだ治療は受けなくてもいいけれど、入院していた。
天気のいい5月くらいの陽気の日、4人で外出をして、川のそばの町を歩いていた。川沿いに家が立ち並び、時々空き家を覗くと、暗い家の中に川から流れ込んで来た水が溜まっていることがあった。空き家の窓をあけて釣りをする。誰かがこういう暗い水の溜まったところには魚がたくさんいると言ったからだ。けれど家の中に溜まっている水はいつからそうして溜まっているのか、カビ臭いにおいがしてくる。4人で時々交代しながら竿を持っていた。私掛かったことない、と言った女の子の竿にとつぜん当たりがきた。強く引くのでこれは大物だと皆で待ち構えた。けれど引き上げる途中、鳴き声でもうわかってしまったけれど、掛かっていたのは黒カラスだった。羽に掛かった針をはずすと黒カラスは当然飛んで行った。
門限まであまり時間がないので今日は諦めて帰ろうと、戻る道の途中の河原で小学生くらいの男の子が釣りをしているのが見えた。この川は幅が広く、流れも速く、流されると助からない。私がこの少年くらいの頃はこんなに水量が多く流れのはやい川ではなかった。そんな水を流すために自然と川岸が削られたのか川幅も広がった。飛び石をとんで対岸まで行くこともできたのに、今は飛び石自体が見当たらない。 魚は暗くて静かなところにいると聞いたはずなのにこんなに流れの早いところで魚が釣れるのだろうか。それを聞きたくて男の子の近くまで降りて話しかけてみた。「ここで魚釣れる?」「釣れる。大物は流れの速いところに沈んでる。もうさっき1匹釣ったし」と男の子が視線を送った方をみると、川岸に石で囲いを作り逃げないようにしたところに大きな魚が静かにいた。
いつか水族館のアマゾン川流域コーナーで見たピラルクという魚にそっくりだった。ピラルクは回遊魚みたいに泳がないで、むしろ生ぬるい水がぼんやりしているうちに魚のかたちに凝り固まってしまったもののようだった。ゆうに私の身長くらいはある。その近くに死んでぼろぼろになりかけた同じ魚が沈んでいたけれど、それはさらに大きかった。
男の子が「あ」と言った。当たりがきたのだ。竿がものすごくしなって折れそうになっている。男の子は川に引きずり込まれそうになりながら竿を倒したり立てたりしながら徐々に糸を巻き取っていく。浅いところまで来てうねる魚の体が見えてきた。青い。男の子はその姿を見て「うわ、アオダイショウや」と叫んだ。この川にこんな色のついた魚がいたのは知らなかった。川の水温が温暖になりアマゾンに近付いてこういう魚が棲むようになったのかも知れないとも思った。男の子は魚を釣り上げた。大きさはさっきの半分くらいで顔つきはピラルクと似ている。でもターコイズからコバルトブルーまで光の加減で微妙な色の変化をするうろこに覆われている。「アオダイショウは滅多に釣れへん、これはおいしい魚やで」と男の子は誇らしげに釣果をぶら下げる。男の子のうちの今日の夕食はアオダイショウの煮付けか唐揚げかなあと話しながら病院に戻る。
その夜、終了時間の間際まで大浴場にいて、誰もいなくなって急いで病室に戻ろうとしていた。大浴場から病室は少し離れていてまた迷ってしまった。歩き回っているあいだになんとなく部屋の雰囲気が変わっているのに気がついた。ひとつ上の重症患者のフロアに上がってしまっていたようだった。私のいる階はあまり病院っぽくないし、壁紙もベージュや茶色やグリーンを使った落ち着いた色調になっていて、4人相部屋だけれど木製の2段ベッドになっている。廊下中にエタノールのにおいもしていない。けれど上の階は白で間仕切りのない空間にベッドが何100床も並ぶ巨大な病室だった。目に見える範囲の大半の人は寝ているけれど、時々ベッドの上でうめきながら苦痛を訴えている人がいる。
看護婦さんはいなくて、80代を過ぎていると見える白衣の老人がうめく女の子のもとに急ぎもせず歩いてきて、腕に注射針を打つ。注射針を打つとまもなくうめき声はおさまり、寝ているのか気絶しているのかわからないその他の患者と同じように静かになる。それにしてもあの老人ひとりでこの広さをカバーできているとは思えない。
病床のなかに友達の女優がいた。長身の長い足がタオルケットからはみ出している。ぐったりして左手を額のあたりにあてていたけれど半分目が開いていたので話しかけた。「先生ひとりだけ?」「同じようなじじいがもひとりがいるけど、どっちも医者じゃなくて注射針打ちにくるだけ。だってこれ治らんから。」「…」「頭とかお腹とかどこが痛いって、はっきり場所言えないけどはっきりした苦痛が発作みたいに時々起こって、その間隔がどんどん狭まってきてる。なんか体の中が破壊されてるっていうか、いろいろつながってる神経とかが引きちぎられていってる感じする。」と鉛のような目で言った。「下のみんなもそのうちこうなるよ。」
彼女が言ったことを知らないわけではなかったから、そんなにショックを受けることもなかった。この病気が治らないということは知っている。
自分の病室に帰ろうとまた歩いていた。廊下の途中に物置のような部屋がひとつあった。物置といっても何もない。何もないので用途がわからない部屋だが、とりあえず物置としたその部屋の中は、物置にしてはひときわ白く明るく、部屋の真ん中に白い梱包材とビニール紐で巻かれた横長のものがひとつだけあった。現代アートのオブジェ展示のようにも見えた。どう考えても人のかたちよりもずっと長いのに、その形が一瞬人に見えて、ここはもしかすると遺体の安置室なのではないかと思った。ここで死んだら棺桶に納められずに、こういうふうに梱包して何体も溜まったら燃やして埋められるんだろう。死体の灰が舞うとよくないからと思った。
でも梱包されているものをよくみると、紫や、ピンクや黄緑色の四角い塊が寄せ集められたもので出来ている。さらによく見ると、多い日夜用とか普通の日用とか超吸収、羽根つきと書いているのが見えて、それが全部生理用品だとわかった。どこかから届いて荷解きがまだなのだろう。これだけの人数の女の子がいたらこれだけあってもひと月のうちに使い切るのだろう。なぜかそれを見ていたら怖くなり走って病室に帰ろう。どうにか部屋にたどりついたけれど、部屋の鍵を部屋の中に置いたままで入れない。絶対に皆寝ている時間だったけれど、外からノックして呼んだらルームメイトのひとりが眠そうな顔をしながらあけてくれた。
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