6時半起床。昨夜から雨強く降る。 めずらしく小梅が先に起きている。何かの気配がしたのか玄関ドアの前に座っていた。
明石で仕事なので決死の早起き。
朝のテレビ、最新文具特集。コンバースのスニーカー型ペンケース、1本で3種類の線が引ける蛍光マーカー。
寝不足と雨天も手伝って頭の中が水でふやけた麸のよう。
7時半家を出る。松ケ崎まで自転車、地下鉄で京都、JR姫路行。
乗り過ごしそうで怖いので、半分目をあけて寝る。神戸を過ぎたあたりから雨で霞んだ白い海、反対側に天文台、半目で見た風景。
9時半、明石駅着。
初めての仕事場、土地勘もないので迷わずたどり着けるか不安になり、地図をひっくり返し現在地を確認しながら雨の中を競歩で歩く。
仕事場に無事到着。
目覚まし缶のコーヒーがふやけた麸の頭にしみ込む。
固定ポーズ午前午後。クラシカルな立ちポーズ。
昼休憩が1時間半と長いので、初めて訪れた明石を散策する。
駅からすぐのところに明石銀座という商店街があり、今日は何かローカルな催しもので、通りには出店が並んでいる。たこカレーの屋台が群を抜いて味覚を魅了するにおいを漂わせているが、明石に来たのだからここは明石焼、と店を探した。
明石銀座と垂直に交わっているもう一つの商店街があり、そこは魚屋が軒を連ねる魚市場といったふうで活気に溢れ、観光客で賑わっている。
すぐそばに港があるだけに新鮮な魚介が店先にどっさり並んでいる。
生魚、魚のすり身を揚げた甘い油のにおい、饅頭を蒸すぬくい湯気、その中でも甘辛い醤油のにおいが絶えず往来の隙間を漂っている。この甘辛いにおいは、うちのが一番と競うようにどこの店にも並んでいる、いかなごのくぎ煮のにおいだった。山盛りのちりめんじゃこ、京都のスーパーでは見かけない魚や貝、生蛸が発砲スチロールの箱でとろけている。
魚屋の合間に明石焼きののぼりがちらほら見える。商店街入り口付近の屋は混んでいるが、奥に進むとすぐに入れる店もあった。
明石焼きはなぜか傾斜した板に並べられ出される。
かろうじて丸い形を保っているくらい柔いたこ焼きを三つ葉入りの出汁につけて一口で食べたが、中がものすごく熱い。噛むことも飲むことも出すことも出来ないまま涙目で冷めるのを待ってなんとか飲み込む。熱いせいで喉を通って胃に落ちるまでの通過をはっきりと感じる。嚥下、というあの複雑な漢字が頭に浮かんだ。同時に先日深夜に何となく見た老人医療と介護食の特集を思い出した。ものを飲み込むときに喉を動かす筋力はどういう訳か下半身の筋力と連動しているらしく、寝たきりで流動食だった男性が、理学療法士による体を動かすリハビリを継続した後に飲み込む力を少し取り戻し、数年ぶりに口からの食事が出来るようになった。ゼリーをひとさじ、ゆっくりと口に含んで喉を動かす。かすれた声で妻に う ま い よ と笑った。
卵の生地が口の中から先に無くなり蛸を単独で味わうことになる。生地と出汁は蛸の為のイントロのように風味だけを残して消える。明石焼とはそういう食べ物なのだと思う。
商店街を歩く人を見ていると、中年夫婦が多い。今晩の食卓にのぼるであろうくぎ煮や刺身のパックをさげて歩いている。
午後のポーズを終えると雨もあがっていた。一日中頭は麩だったが、小旅行したような気持ちを持って帰る。
明石で仕事なので決死の早起き。
朝のテレビ、最新文具特集。コンバースのスニーカー型ペンケース、1本で3種類の線が引ける蛍光マーカー。
寝不足と雨天も手伝って頭の中が水でふやけた麸のよう。
7時半家を出る。松ケ崎まで自転車、地下鉄で京都、JR姫路行。
乗り過ごしそうで怖いので、半分目をあけて寝る。神戸を過ぎたあたりから雨で霞んだ白い海、反対側に天文台、半目で見た風景。
9時半、明石駅着。
初めての仕事場、土地勘もないので迷わずたどり着けるか不安になり、地図をひっくり返し現在地を確認しながら雨の中を競歩で歩く。
仕事場に無事到着。
目覚まし缶のコーヒーがふやけた麸の頭にしみ込む。
固定ポーズ午前午後。クラシカルな立ちポーズ。
昼休憩が1時間半と長いので、初めて訪れた明石を散策する。
駅からすぐのところに明石銀座という商店街があり、今日は何かローカルな催しもので、通りには出店が並んでいる。たこカレーの屋台が群を抜いて味覚を魅了するにおいを漂わせているが、明石に来たのだからここは明石焼、と店を探した。
明石銀座と垂直に交わっているもう一つの商店街があり、そこは魚屋が軒を連ねる魚市場といったふうで活気に溢れ、観光客で賑わっている。
すぐそばに港があるだけに新鮮な魚介が店先にどっさり並んでいる。
生魚、魚のすり身を揚げた甘い油のにおい、饅頭を蒸すぬくい湯気、その中でも甘辛い醤油のにおいが絶えず往来の隙間を漂っている。この甘辛いにおいは、うちのが一番と競うようにどこの店にも並んでいる、いかなごのくぎ煮のにおいだった。山盛りのちりめんじゃこ、京都のスーパーでは見かけない魚や貝、生蛸が発砲スチロールの箱でとろけている。
魚屋の合間に明石焼きののぼりがちらほら見える。商店街入り口付近の屋は混んでいるが、奥に進むとすぐに入れる店もあった。
明石焼きはなぜか傾斜した板に並べられ出される。
かろうじて丸い形を保っているくらい柔いたこ焼きを三つ葉入りの出汁につけて一口で食べたが、中がものすごく熱い。噛むことも飲むことも出すことも出来ないまま涙目で冷めるのを待ってなんとか飲み込む。熱いせいで喉を通って胃に落ちるまでの通過をはっきりと感じる。嚥下、というあの複雑な漢字が頭に浮かんだ。同時に先日深夜に何となく見た老人医療と介護食の特集を思い出した。ものを飲み込むときに喉を動かす筋力はどういう訳か下半身の筋力と連動しているらしく、寝たきりで流動食だった男性が、理学療法士による体を動かすリハビリを継続した後に飲み込む力を少し取り戻し、数年ぶりに口からの食事が出来るようになった。ゼリーをひとさじ、ゆっくりと口に含んで喉を動かす。かすれた声で妻に う ま い よ と笑った。
卵の生地が口の中から先に無くなり蛸を単独で味わうことになる。生地と出汁は蛸の為のイントロのように風味だけを残して消える。明石焼とはそういう食べ物なのだと思う。
商店街を歩く人を見ていると、中年夫婦が多い。今晩の食卓にのぼるであろうくぎ煮や刺身のパックをさげて歩いている。
午後のポーズを終えると雨もあがっていた。一日中頭は麩だったが、小旅行したような気持ちを持って帰る。
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