窓の外から水の音が絶えず聞こえる。家の外は雪景色。
正月、福井、深夜
皆寝静まった家。昨年末から娘となった私に母が用意してくれたパジャマを着て布団の中、豆電球のオレンジを眺めながら思い出していたこと。
小さい頃、私は寝付きが悪かった。うす暗い部屋で目を開けていると見える砂嵐のようなざらざらした視界、この粒はなんだろうとぼんやり思っていることがよくあった。
時々、そのまま視界が後頭部の方へ、さーっと引いて行って、宇宙からの地球が見えた。
私はそこに住んでいるということは本やテレビで見て知っている。この丸い星の上、ものすごい数の人間の中に私がいる。
でも次にいつも呪文のような言葉が浮かんでくる、今ってなに私ってなに。
そのとき私はもしかしたら本の中の登場人物、もしくは誰かに操られており、起こることはもう全て決まっているのかも知れないと思った。でもそれは父や母に聞いてもわからないことはなんとなく知っている。
今ってなに私ってなに。一瞬視界が真空のように白くなる。そのとき隣で寝ている妹、父、母のことも居なくなり、私だけになる。このときの投げ出された感覚はお化けや幽霊が怖いのとは異質な恐怖、私が今ここにあることをどうすればいい?という底無しの問いに射止められたような数十秒間。それはあっと思うとシャットダウンされて薄暗い部屋と砂嵐の視界に戻る。この先を考えると気が狂ってしまうのだと思った。
このことを母に説明しようと試みたが、幼稚園児の言葉ではどうにもうまく言えなかった。
この真空感覚は故意にやろうと思ってもうまくいかないことが多く、どちらかというとぼーっとしていると訪れた。
小学校高学年の頃、友達の家のガレージでバドミントンをしているとき急に訪れたのが最後だった。このときも友達に説明しようとしたがやはりうまく行かなかった
。
大人になってからもう一度、半分夢の中にいる時に試したことがあった。
そのときは白い空間が割れて上下左右の分からない真っ暗な所を飛んでいた。飛んでいると分かるのは風をきっているからで、体温と同じくらいの生ぬるい無臭の風だった。
今思えばあの真空感覚、底なしの問いは、今の私を形成する核となっているのだろう。それはどうあっても孤独であるということと同意だ。
ただ生まれて死んでいく私の問題である。親兄弟、友人、恋人、伴侶がいようと関係のないことで、例えば独り身でいるということが孤独なのではない。孤独なんて言うまでもなく、主義として孤独をいうのはくだらない。
底なしの問いに答えを求める欲望、その手探りの手つきで他者に触れ、そのことで私の形を自覚する。今ってなに私ってなに、はその関係の中に常に見いだし続ける方法以外私には思いつかない。
体を伴っているからそれが可能であるが、体がある為に生じる、触れるものがないときの寂しさ、身の置きどころのなさ、誤魔化しのきかない感覚というのを同時に誰でも持っている。
無数の人間の中に自分にとって特別な人を見つければ当然相手も体を伴っている。病むこともあれば確実に老いていく体を。若ければそのことの厄介さから幾分無責任でいられる時期もある。しかし人は苦しむのも泣くのも、いてもたってもいられなくなるのも体である。想念で相手を想うことは結局自分の為に過ぎない。
だから自他ともに体を引き受けること。書くのは簡単だが、これは一生掛かりの課題。
単に表面的なイメージを搾取するのではなく、体の芯から神話(フィクション)を作り上げること、底なしの問いにずっと向かい続けること。鋳型のない未来に体ごと。
正月、福井、深夜
皆寝静まった家。昨年末から娘となった私に母が用意してくれたパジャマを着て布団の中、豆電球のオレンジを眺めながら思い出していたこと。
小さい頃、私は寝付きが悪かった。うす暗い部屋で目を開けていると見える砂嵐のようなざらざらした視界、この粒はなんだろうとぼんやり思っていることがよくあった。
時々、そのまま視界が後頭部の方へ、さーっと引いて行って、宇宙からの地球が見えた。
私はそこに住んでいるということは本やテレビで見て知っている。この丸い星の上、ものすごい数の人間の中に私がいる。
でも次にいつも呪文のような言葉が浮かんでくる、今ってなに私ってなに。
そのとき私はもしかしたら本の中の登場人物、もしくは誰かに操られており、起こることはもう全て決まっているのかも知れないと思った。でもそれは父や母に聞いてもわからないことはなんとなく知っている。
今ってなに私ってなに。一瞬視界が真空のように白くなる。そのとき隣で寝ている妹、父、母のことも居なくなり、私だけになる。このときの投げ出された感覚はお化けや幽霊が怖いのとは異質な恐怖、私が今ここにあることをどうすればいい?という底無しの問いに射止められたような数十秒間。それはあっと思うとシャットダウンされて薄暗い部屋と砂嵐の視界に戻る。この先を考えると気が狂ってしまうのだと思った。
このことを母に説明しようと試みたが、幼稚園児の言葉ではどうにもうまく言えなかった。
この真空感覚は故意にやろうと思ってもうまくいかないことが多く、どちらかというとぼーっとしていると訪れた。
小学校高学年の頃、友達の家のガレージでバドミントンをしているとき急に訪れたのが最後だった。このときも友達に説明しようとしたがやはりうまく行かなかった
。
大人になってからもう一度、半分夢の中にいる時に試したことがあった。
そのときは白い空間が割れて上下左右の分からない真っ暗な所を飛んでいた。飛んでいると分かるのは風をきっているからで、体温と同じくらいの生ぬるい無臭の風だった。
今思えばあの真空感覚、底なしの問いは、今の私を形成する核となっているのだろう。それはどうあっても孤独であるということと同意だ。
ただ生まれて死んでいく私の問題である。親兄弟、友人、恋人、伴侶がいようと関係のないことで、例えば独り身でいるということが孤独なのではない。孤独なんて言うまでもなく、主義として孤独をいうのはくだらない。
底なしの問いに答えを求める欲望、その手探りの手つきで他者に触れ、そのことで私の形を自覚する。今ってなに私ってなに、はその関係の中に常に見いだし続ける方法以外私には思いつかない。
体を伴っているからそれが可能であるが、体がある為に生じる、触れるものがないときの寂しさ、身の置きどころのなさ、誤魔化しのきかない感覚というのを同時に誰でも持っている。
無数の人間の中に自分にとって特別な人を見つければ当然相手も体を伴っている。病むこともあれば確実に老いていく体を。若ければそのことの厄介さから幾分無責任でいられる時期もある。しかし人は苦しむのも泣くのも、いてもたってもいられなくなるのも体である。想念で相手を想うことは結局自分の為に過ぎない。
だから自他ともに体を引き受けること。書くのは簡単だが、これは一生掛かりの課題。
単に表面的なイメージを搾取するのではなく、体の芯から神話(フィクション)を作り上げること、底なしの問いにずっと向かい続けること。鋳型のない未来に体ごと。
僕にも6歳のころに、
『私』について疑問を持つきっかけになった忘れられない出来事がありますが、micaさんのよりもっとグロテスクでした、、、
その話し興味あります。。ぜひ聞いてみたい。
またちょっと違う思い出なのですが、当時寝ているとき、よく腕だけ金縛りのようになりました。そのときいつも鉄棒くらいの太さの70~80㎝の金属製の硬い棒を両手で握っている感覚があり、半分寝ながら、また武器があらわれた…と思っていました。
それも歳をとると出なくなってしまいましたが、武器のことは今も時々思い出します。
って最高ですね!!
夢を題材にした小説を一時期たくさん読んだのですが、そういえば「半分寝ている時間」を題材にした小説ってあんまり知らないですね。
思い出したけど、黒田硫黄の『茄子』というマンガで「寝ているときに尋ねてくる友人」のエピソードがあります。
自分が寝ているときに限って遊びにくる友人がいて、「なんだ、寝てるのか。じゃあ、またなー」と言って帰って行く。
そんなことが何度も重なって、その友人とは起きているときには会えなくなってしまう、
で、今となってはその友人じたいが現実なのか夢なのかもわからなくなってしまった、という話。
ただ、この話には身体がない。
夢と現実の隙間に身体があるのでしょうか。
ちなみに、
内田百鬼園のような夢を見るのに憧れて、「睡眠術」という独自の「夢を自分で操作する方法」を勝手に研究していたことがあります。
いわばマイブームで、碌でもない夢を沢山見ました。
詳しく書きませんが、その方法は金縛りを応用したものでした。けれど、今は「睡眠術」の研究がもっとも碌でもなかったと思います、、、
マイブームは去りましたが、今でも僕はほぼ確実に覚醒夢を見ることができます。
最近はあまりないれど、大学生の頃は頻繁に金縛りになりそのとき、玄関が開いて誰かが部屋に入って畳を踏む音が異様にリアルに聞こえたり、首を持って布団から50センチくらい引きずり出されたり、だいたい怖いことが起こるのですが、金縛りがとけると誰もいないしちゃんと布団の中にいる、というような現実寄りの体感の夢のようなものをよく見ていました。
操作は出来なかったけど、金縛りの状態は、体が寝ていて脳だけ起きている感じがありました。
初夢を見ました。
高校の友達と先生の3人でどこかヨーロッパの都市に何か研修旅行的なもので行く。空港について入国審査のゲートではない出口を見つけて、ここから出れば並ばなくていいと思い、私はひとりでそこから出てしまった。
あとの2人もすぐくるだろうと、目的地だった大恐竜博の会場に先に行くことにする。
恐竜博の会場は地下にあり、何十メーター潜るつもりだと思うほど長いエスカレーターに人が列をなして降りて行く。
会場には化石の展示の他、育成中の卵や、海遊館の大水槽の2倍くらい広い水槽にものすごい数の古代魚が泳いでいたり。
一緒に来たふたりのことを忘れて堪能し、地上に出ると夕暮れ。
そこからなんとか宿泊先のホテルにたどり着くと、応接室に通され、ものものしい雰囲気のなか2人と顔を合わせる。「あっ!!よかった!生きてた!!」
入国ゲートを通らず勝手に出て行った私は不法入国、行方不明者として捜索され、日本でも報道され騒動になり家族に多大な心配を掛けていると知り、いろいろ冷静に考えなかったことを心底後悔した。