2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

師走

2018年12月16日 | ひとりごと

気ぜわしさが増す休日。寒い日曜日になった。年末に向けての準備をぼつぼつ。それにしても喪中はがきが増えてきた。ある種の強迫観念に襲われる。

夜、アマゾンプライムビデオで「深夜食堂」を観る。こちらは大晦日の晩。今はなき「きさく」と情景が重なる。常連の皆さん、そしてけんさん、きょうこさん。どうしているだろう。お元気だろうか。

忘年会Ⅱ

2018年12月16日 | ひとりごと

事務所の忘年会がクライアントでもある伊勢崎市の「Ristorante Cosi Cosi」で開かれる。
所内では事あるごとにBBQなどセルフクッキングで会食をすることが多いがコース料理でサーブされての会食は会話が弾む。様々な仕事に関連したこと、プライベートのことが話された。

料理はさすがプロの味、著名店で修業した成果が生かされ、経験に裏付けされた食材の組み合わせも素晴らしいが一つ一つの食材の持ち味が生かされた、見た目、味ともに洗練されていて会話に華を添えた。過去にも美味しい店の設計に携わってきたが料理にこだわったオーナーとともに店作りができたことは幸運だった。もちろんこの店もその代表格である。

人づてに美味しい店がスマークの近くにできたと話が伝わってくるようになった。嬉しいことである。

外苑前

2018年12月14日 | ひとりごと

外苑前のJIAでの会議に参加。建築家の生き方を考える大切な話し合いが行われた。続いて夜は住宅部会主催の建築セミナーの打ち合わせ。こちらも建築家の生き方を考えさせられた大切な会議。
休憩時間には新国立競技場の工事現場が嫌でも目に入る。巨大な運動会のための施設。隈流の装飾のための格子が軒天に吊るされているが支柱のところだけピッチがずれるのがご愛嬌。もはやスポーツというなの興行のための施設は負の遺産となるのだろう。貴重な木材を犠牲にしたことは後の人がどう評価するだろう。

コンビニ弁当

2018年12月13日 | ひとりごと

昼食、夕食とも時間が取れずコンビニの食材で済ます。慌ただしかった一日がもうじき終わる。コンビニのアルバイト店員は最近外国人の事が多い。前橋にある日本語学校への留学生も多い。少したどたどしい日本語で頑張っている。通学している子の自転車には学校発行の小さな黄色いナンバープレートがついているので区別できるがアジア人の場合日本人とは区別がつきやすい。イスラム圏の女子はヒジャブを巻いているのでこれもわかりやすい。法律が変わりごく普通の景色になっていくのだろうか。
一生懸命勉強してスキルを身に付けていく外国人と親のスネカジリで定職にもつかずスキルもない日本人の地位はすぐ逆転するだろう。アメリカの貧困白人層のようにはなってほしくない。

ますます冬

2018年12月12日 | ひとりごと

昨晩は前橋市街地もみぞれ模様。今朝は薄氷の頼りもあり。事務所のエアコンも頑張ってくれても寒い。もっとも今日は人気が多かったせいか少しは楽だ。
築後30年は経とうという鉄骨のビルは断熱性能は今日的ではない。
今日は朝顔を刈り取る。市街地の夜間照明のせいか咲き始めるのが遅い。まだこれから咲く蕾には可愛そうだがきりがないので種を保存し、来年に備える。
一昨年の種からまだ残っている。来年の夏には盛大に咲かせてやろうと思う。これは来年の楽しみの一つ。鉢では水遣りが大変だが地植えできる見込み。
好きな花を少しずつ植えていきたいと思う。

忘年会

2018年12月11日 | ひとりごと

JIA住宅部会の忘年会に出席する。懐かしい顔ぶれに会える。自分より高齢の会員がとにかく元気。共通の話題を肴にワイン等をいただく。恒例となった生ハム。ホームパーティーのようなくつろいだ会。りみさんのショーも飛び出しにぎやかなひとときだった。

冬到来

2018年12月10日 | ひとりごと

昨日から急に気温が下がってきた。ここのところ外出するのに服装を選ぶのに混乱していたがとうとう冬支度。明日は降雪も予報されている。
定休日だがさすが師走気ぜわしい。午前中溜まっている事務処理を少々片付ける。街なかの車の量も多い。あと20日足らずで大晦日。早い時間の流れに戸惑う。

上毛カルタ

2018年12月09日 | ひとりごと

群馬県立歴史博物館に「上毛カルタの世界」展を見に行く。昭和43年当時、絵札の原画を描かれた小見辰男先生の画室に通っていて部屋いっぱいに色紙に描かれた水彩の原画が並んでいたのを思い出す。日展系の創元会の先生の画風はクラシックな油彩画であったが日本文化への思い入れもありモチーフには武具や舞台衣装など日本的なものが多かったと記憶している。実家が表具師であったことも美術学校へ進学する背景と伺っている。夏は甚平姿であぐらをかきキャンバスに向かっておられた。

油彩の基礎をご指導いただいたがもう50年も前のことで、今もう筆を持つ機会もない。理系主体の建築設計の仕事を理数系が苦手な自分が生きてこられたのは実は絵画での経験からまだ手描きであった時代の透視図のスキルを勤務先で認められ首にならずに使っていただいた結果であったと思っている。

ヨーロッパ旅行のスライドを勉強会の後の時間に映していただいて自分もいつか欧州を旅行してみたいと思った。後年カメラを首に下げ欧州旅行をすることができたがこれも先生から影響の一つだ。
飛騨高山のことも先生から教わった。飛騨高山への旅行の帰りに「山車」という高山の地酒を携え訪問したことがあった。視力が低下したことを嘆いておられた。画家は目が命だからだ。

亡くなった後も上毛かるたは若い世代に引き継がれていく。東京であった人でも上州人と聞くと真偽を確認するのに上毛かるたの札読みで謎をかけるほど。
今日改めて上毛かるたの成立について展示でその奥行を知った。占領軍の監視下であっても上州人の誇りを捨てなかった先達に頭の下がる思いだ。
「雷と空風 義理人情」国定忠治・・任侠道(反社会勢力)
「歴史に名高い新田義貞」新田義貞・・戦前の軍国主義
これらを執念深く是非はともかく群馬の歴史から切り離せないものとして作り上げたのだ。

勤務先の先輩の話では前橋工業学校で終戦時に戦争礼賛したことを生徒に謝罪したのは小見辰男先生のみであったとのこと。油彩画家としての一面に歴史と向かい合ってこられた姿勢が重なる。油絵の具とキャンバスの匂いが思い出される。

カレンダー

2018年12月08日 | ひとりごと

今年のカレンダーももうあとわずか。2013年から作っている私家版の写真カレンダーの画像を選ぶ。今年一年を振り返る。改めて見るとその時のことがいろいろ思い出される。
概ね健康にも恵まれ、山にはいることも多かった。旅行を楽しむこともできた。さて来年はどこに行こうか。


ホトケノザ

2018年12月07日 | ひとりごと

ホトケノザは早春の花だと思っていたら秋から咲くらしい。小さな地味な花である。決して美しいとは思えないがこの花を見ると春がくると思っていた。
まだ12月に入ったばかり。いささか違和感はあるものの受け入れるしかない。
今日は今年できた住宅の撮影。室内が実にきれいに使っておられる。若干画像に映る雑貨等移動をお願いし、夕刻無事終わる。
工事引渡し時は殺風景なものである。住まい始めて持ち込まれた家具類等は住まい方のセンスを表す。今日の住宅も実にセンスが良かった。
夕暮れ時明かりが漏れる外観も周囲と一線を画す。設計者の想いが広がりより良い住環境になればと思う。

柔らかい雨

2018年12月06日 | ひとりごと

12月に入り氷雨でもおかしくないのに久しぶりの雨は高い気温と相まって柔らかい雨。のどに優しい湿り気でもある。
さすが肌寒くもあるが不快ではない。



夜、前橋カメラ部の夜景勉強会に参加。ただしストロボを使う機会がないので遠巻きに話を伺うだけ。前橋駅前の夜景の撮影を楽しむ。
DxO Photolabo2で現像することが増えてきた。プログラムが重いことで閉口することはあるが意外と扱いやすい。Lighit roomはいじりすぎると逆効果。なかなか面倒なものだ。


小春日和

2018年12月05日 | ひとりごと

もはや冬。今日は気温は高いものの穏やかな晴れた冬空。今日の話題もついに新年に及ぶ。
中央病院に定期検診+検査。ほぼ半日かかる。変化なしとのことで一安心。待合室で長年お世話になっている方と久しぶりに行き合う。お元気そうだが昨年は大病も乗り越え外国旅行されたとのこと。旅行の同行者たちもそれぞれ病気を抱えていても元気だったのでご自身も元気になったとのこと。まさに病は気からといったところか。

ひさしぶりに机に座る。

2018年12月04日 | ひとりごと

先週はほとんど外にいた。仕事場の机に向かうのも一週間ぶりかな。出たり入ったりだったが現実の生活の一部に戻った感じ。
長年、30年近く使い続けてきた銀行口座を締める。不要になった銀行カードは手元に。機械に一体何度出入りしたことだろう。まあ取り上げられずに無事だったのだ。記念に取っておこう。

休日

2018年12月02日 | ひとりごと

先週は公私とも外にいて慌ただしかった。北陸旅行の画像を整理していて慣れていた一人旅とは異なり両親と濃密な二日間を過ごしたことはこれからの時間の使い方を改めて考えるきっかけになった。旅行中、輪島の人たちに大変お世話になる事態が起きてしまった。大事には至らなかったもの「介護」という言葉が現実のものとなって来た。両親とも元気なことを良いことにのんきに生きてきてしまったが自分自身の健康年齢にもやはり限りが有ることも自覚。だからこそ時間を大切にしなくては。これはあらゆる局面においてである。