群馬の平野では麦の穂が実り麦秋を迎えている。
麦秋という言葉を知ったのは結構年をとってからである。
この時期かつては麦わらを現地で直接焼いたものだから盛大な煙で自動車の走行にも支障があるほどだった。
米の収穫は一年の終わりのような開放感があるものだが麦は米作前の慌ただしい気分の中にある。
麦の刈り取りが終わると田んぼに水が張られ蛙の大合唱が始まる。
なんとも生命感に満ちた夏の始まりである。
麦の収穫が終わりではなく新たな生命を育むことを暗示しているといえよう。
その意味では「秋」ではないのだ。さみしさは感じられない。
そんな思いから結構「麦秋」を楽しみにしている。