父の父、祖父は昭和20年に亡くなっているので当然のことながら生前の記憶はない。父の兄弟もすでに他界、いとこの誰も面識がないのだが墓碑に刻まれた出身地のことがみんないつも気になっていた。
場所は現在の松本市郊外、旧白瀬渕村である。
市役所を定年退職したいとこの亭主らが松本市を訪れ、なんとか探し出す。
祖父は26歳のときには高崎に来てその後なくなるまでこちらで暮らした。
祖父の子として唯一生存する父と甥、姪、その家族、そして自分と7名で現地に向かう。
先祖の墓は正連寺の墓地にあったが生家はすでに他人の手に渡っていたがご好意で見せていただく。屋敷の中の門のみが残ってた。瓦に家紋があるのを発見する。
美ヶ原に続く山のふもとのしずかな里である。
現在墓を守る現地の親戚筋の方たちから手厚いもてなしを受ける。年配者が使うのこ地方の方言から前橋と松本の距離を感じつつも祖父もきっと同じような言葉で育ったのだろうと思うと不思議な感動がある。