2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

土筆 中央小学校の終わり

2016年03月25日 | ひとりごと
どこんじょ土筆である。群馬大橋の歩道のプランターの中、排気ガスにもめげず今年も顔を出す。
蛇の頭のようにも見え、華がないが春には定番の風物詩だ。

今日は市立中央小学校の閉校式とのこと。
自分が設計で関係した小学校もいくつも廃校になった。まだ20年前後のことだ。
明治以来の木造校舎を建替えたものもある。

まさか前橋の街の中心部の小学校が隣の通学区と合併する。
先方は群馬で最古の桃井小学校であるから相手が悪い。名前は譲ることになったようだ。

今の校舎はかつて久留万尋高等小学校があり父はここの卒業生である。
旧学制では小学校卒業後2年間ここで学んだ。桃井、中川、城東、城南、若宮、敷島の各小学校から集まったそうだ。
一クラス60名、桃井だけでも6クラスだったそうで巨大な学校であったと思われる。

昭和20年8月5日のアメリカ軍の夜間空襲で校舎は消失、昭和22年に再建された校舎は第一中学校となった。
その第一中学校も敷地が手狭で線路の南側に移転しそのあとに中央小学校として昭和32年に設立された。

戦後すぐの木造校舎で、小学生が使うにはやや不都合もあったらしい。桃井などの戦前の校舎と比べるとなんとなく安普請。
窓廻りのディテールも粗末なものだった。なにしろ教室に照明がない。小学校だから遅くまで授業が無いという思い切り。
高学年になってやっと白熱電球1灯が点けられた。階段室下に石炭置き場があり当番がブリキバケツをぶら下げて朝取りに行ったものだ。

新学期からは中央小学校が桃井小学校になり、校舎を新築してまた桃井小学校の位置に戻るそうだ。
もともと中央小学校は桃井、城南、中川の三校がベビーブームのあおりで満杯になったことにより出来た学校であるから元に戻るということかもしれない。そもそも回りにめっきり小学生の姿が見られないのだ。

若い人たちがどうしたら戻ってきてくれるのか。街の魅力とは・・・

JIAで「空き家空き地コンペ」が開かれる。

JIAでは6月に開かれる支部大会に合わせて今話題になっている空家問題のケーススタディとして本町二丁目地区を選んだようだ。
この地区は中心部にありながら性格がはっきりしないありふれた街である。街の中の限界集落。おそらく日本中の中心市街限界集落の典型であろう。
経済活動をするには集積度向上の当てはないし、路地奥にひっそり暮らす老人世帯。結構しぶとい飲食店。どんな提案が出るだろう。空き地空き家が出来る原因にまで遡る深堀をした提案が出ることを期待したい。