2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

たんぽぽ

2007年09月30日 | ひとりごと
市立図書館のCDを借りるようになってとにかくなんでも聞いている。
mixiに聞いた曲の情報がでるものだから友人のKさんが面白がっていた。なにしろ彼の年代ではありえない曲名が並んでいるのだから。

最近「たんぽぽ」という曲に注目している。
歌詞、旋律ともすばらしい混声合唱の曲だ。
「歌声喫茶」というCDには入っているのだが日立製作所の労働歌だったようで放送で流れることは無い。「要注意歌謡曲」のようだ。放送局がかってにクレームの付きやすい曲を自主規制の名で決めている。問題がおきそうな曲を隠蔽しているのだ。
公序良俗のためと称し、責任放棄している。都合が悪くなるとすぐサボるのがこの国のマスコミだ。しっかりせい。耐震偽装はその後どうしたんだい。

「歌声喫茶」が全盛であったころまだ中学生だった。
したがってその様子は伝え聞くしか知らないのだが共産党主導の歌声運動から派生したらしく初期にはロシア民謡や労働歌が良く歌われたらしい。
現在も生き延びている歌も多いのだが教科書の副読本として配布された歌集にも当時歌声運動から生まれた曲が沢山乗っていた。日教組が絶頂期の思い出でもある。

ラジオから流れる流行歌とは一味違った何かしゃれたものだったような気がした。
敗戦の反動で共産党が輝いていた時代、知識階級のプレゼンスが感じられた時代でもあった。今に思えば敗戦国民がアメリカ資本主義とソビエト社会主義の双方に劣等感から日本の伝統に背を向けた時代であったのかもしれない。

祖父母、両親の大家族で暮らした時代、歌声喫茶でさかんに歌われた曲は流行歌より何か上の存在であると錯覚させるものであった。
ソビエト崩壊後アメリカ一辺倒である。歌謡曲もアメリカ黒人音楽の強い影響下にある。
阿久悠なきあと歌詞の力はもう無い。