台風の 秋に染みたる 色葉かな
中村 梅士 Baishi
今日は「敬老の日」の祝日である。
敬老と言って、親を祝ったことはない。
そもそも、祝うということが苦手である。
公共の式典はともかく、私的な祝事には親しまない。
守護霊にもそのような経験は少なかったであろう。
台風一過、涼しい秋の気候となった。
しかし、ここ数日家に引きこもって運動不足である。
今日はジョギングくらいはしたいと思う。
昨日、『ドストエフスキーの霊言』を読み返してみた。
『罪と罰』は高校生の頃読んだと思うが、『カラマー
ゾフの兄弟』は敬遠して読まなかった。
トルストイの大作にも手を出さなかった。
長編だったパールバックの『大地』は文学全集で読んだ
が、トルストイもドストエフスキーも配本されたのに、敬
遠気味だったのは知的センスに欠けていた。
パールバックは母も読んだと言っていたが、共産文学の
一種ではなかったろうか。
最近の霊言で、トルストイがイエス・キリストの分霊で
あり、ドストエフスキーはゾロアスターの分霊であると語
られた。
救世主格が共産革命直前のロシアに二人も降臨していた
ことになる。
ロシアの共産化を阻止する使命があったのではないか。
さらに、イエス・キリストはビートルズのジョン・レノ
ンとしても分霊して降臨していたという。
唯物的人生観に退廃した現代にあって、芸術活動で霊的
感性を目覚めさせようとしたのだろうが・・・。
ゾロアスターは現代Chinaに転生しているという。
しかし、恐怖政治の共産主義軍事大国として体制を強化
した現代Chinaの内部で革命を起こすことは極めて困難な
ことだろう。
圧倒的な警察力と軍事力で殺戮されるからである。
物質化した巨大社会を宗教や思想の力で変革することは
極めて難しいことである。
心の感性が失われているからである。
一旦、物質文明を破壊する必要があるのかもしれない。
バイオ戦争は、物質文明の自滅現象ともいえる。
いずれ、仕掛けた者にも及ぶ禍である。
読書の秋にも、天の警告が満ち溢れている。
人類最大の危機とは、地球人類が悪魔の支配によって奴
隷化されることである。
地球人類が神からの自由を求めた結果である。
否、神そのものも、人間の霊性も認めない矛盾に自滅す
る自業自得である。
悪質レプタリアンと言われる捕食者でさえも、自分たち
が霊的実質を持ち、霊界宇宙に存在していることを熟知し
ている。
せめて、食料として食われるだけでもありがたいと思え
というのが本音だろう。
悪質なのは、弱肉強食こそは宇宙の原理だという破壊想
念に自縄自縛されている所にある。
堕落した人間だけではなく、信仰心に目覚めた文化的な
星に対しても、軍事的に弱ければ容赦なく攻撃してその星
を滅ぼしてきた。
神の本質にある愛を見落としているのである。
たしかに、強さを軽視する文明は、ある意味美しくない。
自己中心的である。
しかし、愛のないレプタリアンは傲慢である。
宇宙創造の神に成り代わろうとさえ考えている。
この悪質宇宙人に対抗するためには、創造の神エル・カ
ンターレを信じ、その教えを学んで実践し、正しいものを
守る強さをも身に着けることである。
実際、救世主は軍神でもあるのだ。
イエス・キリストはこの世的には弱い救世主見える。
しかし、人々に神の愛を教えるために処刑されたのだ。
最後の試練にも一人で立ち向かい、処刑を恐れることな
く戦ったからこその救世主であった。
単なる平和主義ではない。
アメリカに絶対服従し、中共に恐れ入り、利権を貪るた
めに「平和」を掲げて自ら国を守ろうともしない賎しい平
和主義とは根本的に異なるものである。
イエスの時代は、救世主殺しの罪を刻印された人々であ
っても、ユダヤの神には祈ってきたのだ。
限定的ではあっても、信仰心に生きていたとは言える。
ところが現代日本は根本的に事情が異なる。
日本の戦後教育には、愛国心と信仰心が忌避されている
からである。
現代の日本人の大半は救世主を認めず、あざ笑う。
神の警告として、天変地異が求められる理由である。
信仰なき者たちに対しては、もはや説得ではなく、天罰
が下されるべきである。
政治に求められるべきは植民地主義を排除する革命であ
り、中共の影響を排除し、中共の軍事的影響力を無力化す
るほどの軍事力である。
既に宇宙戦争が始まっているのであれば、宇宙魂をもっ
た幸福の科学会員が結集して、せめて、アジア防衛宇宙軍
を起動できないものか・・・。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party