雪霞み 普賢迫れり 火砕流
馬糞 Bafun
島原大変、肥後迷惑といわれた眉山崩壊と津波の天変
地異は有名であるが、普賢岳噴火に伴う大火砕流はテレ
ビで報道されたリアルな天変地異であった。
⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E4%BB%99%E6%99%AE%E8%B3%A2%E5%B2%B3/
普賢岳といえば、噴火など思いもよらない静かな山だ
った。
思えば、その遠因は島原の乱に遡るのかもしれない。
キリシタン弾圧、農民に過酷過ぎた年貢取立て、天変
地異による飢饉が複合しての反乱には、土着の農民たち
が根こそぎ参加し、女子供を含めて根こそぎ殺戮された。
藩主も斬首された。
誰もいなくなった島原に、幕府は熊本を中心として各
地から移民を送り込んだのである。
そのためか、島原弁は熊本弁の流れを受けている。
長崎県にあって、明らかに長崎とは異なる文化圏であ
ることは間違いない。
島原の乱⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1
因みに、その中に小豆島などの素麺職人がいて、有家
は素麺の一大製造拠点となった。
有家の素麺は評判がよく、各地にOEM出荷されていた
が、産地表示の偽装にあたるとして問題となったことが
ある。
⇒ http://www.yomiuri.co.jp/tabi/gourmet/fudoki/20050816tb03.htm
それは良いとして、問題は虐殺と移民の事情である。
アメリカ開拓史とは異なる事情があるとはいえ、共通
するのは、神の許しなき土地のように思われるのことで
ある。
アメリカの罪は奴隷政策も加わってさらに深く、それ
故に滅亡する運命を背負っているのであるが、そうした
歴史に残る罪を、土地の文化として引きずってはいない
か、反省すべきことに思えてならない。
火砕流の慰霊祭はあるのだろうが、島原南部の虐殺と
移民の歴史を慰霊する祭りは行われているだろうか。
住民は真摯に受け止めているだろうか。
400年昔のこととはいえ、慰霊と感謝の気持ちがなけ
れば、大虐殺のあとに入植して利権を得た形の島原南部
人は、キリシタン文化を残す長崎人からは、長崎のユダ
ヤ人と陰口をたたかれ続けるであろう。
有明海沿岸の島原が、有明海を通じて福岡都市圏にも
愛される清々しい文化都市となることを願う。
J.D.Subunroco.