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+ 海空の果に凍る・・・ 玄界灘のシベリア風  神とともに住むアニミズムの再評価  対馬の海岸を埋め尽くす朝鮮のゴミ

2006年01月15日 09時15分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   海空の  果てに凍りし  真冬かな 

  馬糞 Bafun

 

 

 

 玄界灘の向こうは北極かと思えるほどに、シベリアの

真冬が吹き付けてくる。

 その海底は、日向灘、別府、九重につながる地震山脈

のラインにつながっているように見える。

 天変地異を秘めた海なのか。

 

 海の風景は見えない世界の風景である。

 海を見ながら海底の都市を思い、水平の向こうの大陸

を思う。

 海空無限、果てしなく展開する光景に未来を思い、見

えない意思との対話を楽しむこともある。


 

【環境破壊時代における日本神道の再評価】

 日本伝統の神道はおおらかで清々しく、ストレートに

神様と対話をする素朴な宗教である。

 対話する神を感じさせる美しい風景にも恵まれている。

 まさに「神国日本」である。


 海に神を見、空に神を見る。

 山川草木にも神を感じ、そこに生きる美しく強い生き

物にも神の姿を感じる。

 

 そうした素朴さが日本人のお人よしな性格を育たので

もあろう。

 ちなみに、人間は、素朴なだけではいけない。

 自助努力して知性を磨き、異文化への理解と距離感を

養成しなければならない。

 確かに、自然の中に「神」の姿を見る伝統は、キリス

ト教や仏教から見ると、世界第二位の経済大国日本とは

思えない幼稚なアニミズム(精霊信仰)のレベルかもし

れない。

 少なくとも、国家の指導的精神としては不足であり、

誤解を生むことにもなるのだろう。

 

 しかし、俳諧が花鳥風月の心象風景の中に諸行無常の

感慨を楽しむように、素朴なアニミズムは、生きとし生

きるものの中に神聖を感じて大切に思う善良な基礎文化

を育ててきた。

 

 そのような心が文化として定着していれば、地球生命

を危うくしている今日の環境問題は克服できるはずであ

る。

 自然を畏れ敬うことは、人間の善良な文化として誇る

べきものではないだろうか。

 



【対馬の海岸を埋め尽くすコリアのゴミ】


 対馬の浜には大量のごみが漂着するという。

 その9割がコリアのゴミだという。

 コリア人は、ゴミを大漁に海洋投棄しているのだ。

 海の神を畏れる心があるならば、そのような海洋汚染

などできるはずがない。

 

 チャイナはさらに地球規模の汚染国家である。

 アニミズムの基礎文化を欠いた国は、傲慢と汚染の国

になるという実例である。

 

 もっとも、現代の日本人も汚して省みない劣等の人種

に入れ替わってきつつある。

 農業も、漁業も、牧畜業も、大地や海や生き物に神聖

を感じて畏れているだろうか。

 こざかしい科学技術の感覚で神を冒涜しているのでは

ないのか。

 

 そうした者たちの産物を食べざるを得ないというのも

日本人の不幸というべきであろう。


 鶏のストレスを食べ、牛や馬の悲しみを食べているの

ではないのか。

 生命力を弱めた野菜を食べ、根こそぎ命を絶たれた魚

の嘆きを食べているのではないか。


 生き物が犠牲となって提供している食べ物を、われわ

れは感謝していただいているだろうか。

 そのような教育がなされているだろうか。

 生き物への思いやりと感謝なくしては、健康な食生活

は成り立たないのである。

 

 大人になっても、信仰の世界で犬神、お稲荷に祈願を

するようでは情けないが、高度の世界宗教の基礎として、

自然の中に神を見る精神文化は環境先進国日本の誇るべ

き伝統として、再評価されるべきではないかと思うので

ある。

 

 アニミズムとは、感謝と思いやりの精神文化である。

 生きとし生けるものの魂は、神聖なるものから生まれ

たという福音にほかならない。

 

 九州もまた、福音によって作られた神の国と知るべき

である。
      
                      
               

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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