風のたより

つれづれに

       天下の奇祭 「白川郷のどぶろく祭り」

2011-10-31 | 世界遺産 白川郷



いよいよ白川郷八幡神社の天下の奇祭と言われる「どぶろく祭り」の始まりです。
祭りに先駆けて、五色旗を連ねた行列が、笛や太鼓の音を響かせながら、地区内を練り歩く
御神行がやってきました。





こんな珍しい行列を見るのは初めてです。
先頭は獅子舞に使われる獅子の道具と衣装でしょうか?
鮮やかな色合いです。





その後には、、、金ぴかのお神輿が続いています。





続々と行列が続き、五色の旗が秋の風にたなびき、たくさんの雅楽人や村人が続きます。

これだけでももう結構盛り上がりますが、この行列が神社に着いた後、いよいよ珍しい獅子舞の
奉納が行われます。






今回は奉納されるこの珍しい獅子舞をぜひ見たいと思っていました。
白川郷に伝わる獅子舞は、獅子頭や演目がそれぞれの地区によって違い、現在七地区の保存会によって
保存継承されているのだそうです。

まづはどんなものかアニメをご覧ください。





獅子頭の後ろには、舞い手が四人はいる八本足の大きな「むかで獅子」が勇壮に動き回り
迫力ある舞いをお披露目します。
色鮮やかな獅子舞の色に目を奪われる思いです。
祭りの華やかさが伝わってきますね。





やがてこの暴れまわる獅子を治めようと、長い剣と長刀を持った少年が獅子と戦い、ついには荒れ狂う
獅子を退治するというお話とか。
その間、暴れまわる獅子を治めようと戦う、獅子と少年との格闘の場面が圧巻でした。

これこそビデオに収めたかったのですが、写真を撮るのに精一杯で、その余裕がなかったのが残念です。





この勇壮な獅子舞は、岐阜県指定の無形文化財になっているものだそうです。
同じ岐阜県に住んでいても、このお祭りを見るのは今回が初めてで、鮮やかな舞いに感激しました。





この獅子舞の奉納が終わると、いよいよ今年作られた「どぶろく」の登場です。
どぶろくは、古くから伝わる独特の技法で毎年作られ、このお祭りの日に人々にふるまうという風習が
あるのだそうです。





黒塗りの大きな樽に入った今年のどぶろくが神社本殿前に運ばれ、神官の詔が挙げられた後、いよいよ
婦人会のお手伝いの方々からどぶろくが観客にふるまわれます。
辺りはいっせいにお酒の香りがたちこんで、、、、、





300円で小さい盃を買うと何杯でもついでもらうことができるとか。
勢いよく何杯でもおいしそうに飲んでいる方々も多かったですよ。(笑)

ただし飲むのはこの場所でだけで、お持ち帰りや飲酒運転は禁止でした。







どぶろくの振る舞い酒の間にも、舞台では白川郷に伝わるいろいろの伝統芸能が披露されていました。
その中で一番目に付いたのは、体を小さくして笠で顔を隠しながら踊る「しょしょ節」という踊りでした。

この白川郷はその昔平家の落人達がひっそりと住んでいたという「平家の隠れ里」とも言われる所で、
偉い方の目にとまってはいけないと、若い女性達は出来るだけ体を小さくして笠で顔を隠しながら踊るのだと
お聞きしました。

白川郷は、平家の落人伝説の里でもあるのですね。
そう思うと、なんだか歴史ロマンを感じますし、連綿と伝わる郷土色豊かな伝統の深さを感じる
里でもありました。

       秋の白川郷集落

2011-10-27 | 世界遺産 白川郷






五箇山の菅沼集落を見たあと、よく道を知っているブロ友さんの案内でいよいよ白川郷にやってきました。

白川郷の合掌造りが一望できる、ここが絶好のポインの荻町城址展望台です。
この高台からの眺めを見ようと今日もたくさんの人が展望台にいっぱいです。

すすきの穂の向こうに白川郷の集落が広がっていました。





ぐっと近寄って高台から集落を眺めると、、、、
木々の葉も色づいて、秋の白川郷はこんな感じなのですね。

2008年の2月、私はこの同じ場所から雪に覆われた冬の白川郷を眺めました。
雪の白川郷のライトアップされた風景が見たくて、寒い2月にバスツアーに参加したやってきたことを
懐かしく思い出しました。





その時の写真がこれです。
この同じ高台から撮ったライトアップされた雪の白川郷の風景です。

その時のことは詳しく2回にわたりブログにアップしていますので、ご興味のあるかたは覗いてみてください。


世界遺産 白川郷 その1

世界遺産 白川郷 その2





先程の展望台から合掌集落に下りてきました。
数年前のあの時は、雪でよく見えなかった家並みも、今回はみなよく見えています。

まじかに見る大きな合掌造りの家は、意外に大きく立派です。
三軒並んだ合掌造りの家並みに、ここにもコスモスが似合いますね。





数軒並んだ合掌集落。
大きな木の舟形の桶に流れる水。

山からの湧き水かもしれません。
自由に飲んでもよかったのかも。残念!飲んでみればよかった。
きっとミネラル分たっぷりの、冷たい水でしょうね。





茅葺き屋根の明善寺の境内には、珍しい二つの鐘楼がありました。
お土産屋さんや喫茶店も茅葺き屋根ですが、大通りには新しい建物の店も並んでいます。





この白川郷の荻町地区の合掌集落は、五箇山集落と共に世界遺産に登録され、四季を問わず
観光客でいっぱいです。

前回私が訪れた時は雪の白川郷でしたので、今回の風景とは全く違った表情でした。
こうして秋の白川郷を見ることができ、とってもよかったです。


先に寄った五箇山の菅沼集落から、こちらの白川郷の集落はそんなに離れてはいないようですが、
入り組んだ山道を辿ってなので、この辺に詳しいブロ友さんがいなければとってもこられませんでした。
ブロ友さんに感謝です。

次回はいよいよ今回の目的の「白川郷のどぶろく祭り」をアップの予定です。

         越中五箇山の菅沼集落

2011-10-23 | 越中五箇山




          秋は何かと行事が多く、あれこれ出かけているうちに一週間があっという間に経ちました。
          “ 秋の日はつるべ落とし ”のように日も短になり、一日が早いですね。

          先週はお誘いを受けて、秋の一日、五箇山や白川郷方面にに出かけてきました。
          東海北陸自動車道をひた走り、まづは越中五箇山の菅沼集落へ。

          菅沼集落時は今までに何度か来ていますが、秋の時期に来たのは初めてかもしれません。
          真っ赤に熟れた柿の実が下がり、庭の可愛いコスモスが風に揺れています。
   






          越中五箇山にある菅沼集落は、平成七年十二月に世界遺産に登録されたのどかな山村集落です。
          
          三方を庄川の流れに囲まれ、もう一方は山の急斜面に挟まれた平坦地に12棟の集落があります。
          12棟のうち、その9棟が合掌造リ家屋だそうです。


          合掌造りの家屋にはまだ人が住んでいて、おもには観光客相手のおみやげ屋さんやお食事処として
          使われているようでしたが、畑で働く人の姿も見えました。   







          これらの合掌造り家屋は、江戸時代末期に造られたものが2棟、明治時代に建てられたものが6棟、
          残り1棟は大正に建てられてたものだそうです。

          五箇山は江戸時代、和紙や養蚕、鉄砲の火薬の原料である塩硝が主な生産品だったそうです。
          当時はこんな山あいで、ひっそりと火薬の原料の塩硝は造られていたのですね。







          菅沼集落は小さいながらも日本を代表する山村集落として、その景観を今に伝えています。

          でも、今回行って変わったなと感じたのは、、、集落へ降りる立派なエレベーターがとり付けられて
          いることでした。
          確か以前来たときには、坂道を下がって行った記憶があります。
          これも世界遺産に登録され、訪れる人が多くなったことからくる時代の流れなのでしょうね。

          このあとは、これまた日本を代表する山村集落として一番有名な白川郷へと向かいました。


        村国座の「子供歌舞伎」

2011-10-15 | Weblog



          “ 村の鎮守の神様の、今日はめでたいお祭り日、どんどんひゃらら、どんひゃらら~
          どんどんひゃらら、どんひゃらら、朝から聞こえる笛太鼓 ”

          こんな昔懐かしい歌がどこからともなく聞こえてきそうな、この日は子供歌舞伎で有名な村国座で
          歌舞伎が上演される日です。

          歌舞伎が上演される前に、本殿で執り行われた神事には、地元の小学生の女の子達がお祭りの日
          だけの巫女となり、神楽にあわせて舞いを務めていました。





          各務原市にある村国座は、国の重要有形民族文化財にもなっていて、農村歌舞伎の中でも特に
          子供歌舞伎が上演されることで有名です。

          関係者の男子は紋付羽織姿で、、、、ここにも昔からの伝統あるお祭りであることがわかりますね。





          ここが歌舞伎が行われる舞台と観客席です。
          まだ準備中のようですが、天井から下がったお祭りへの寄付をされた人々の名前を書いた紙がぎっしりと。
          凄いですね。そしてこんな光景も珍しいですね。
          金額はお祭りなので倍の金額を書き入れるのが習わしなのだそうです。






          いよいよ舞台も整い珍しい子供歌舞伎の始まりです。
          舞台のそでには唄いの方々も入り、本格的な歌舞伎の幕開けとなりました。
          本日の演物は三つありましたが、これは最初に演じられた「絵本太功記」です。


          この村国座は明治十年に村国神社の境内に建てられ、催事に合わせて地芝居を奉納されて
          いたものが、いつの頃からか大人にかわり子供が演じるようになっていったのだそうです。
          今では全国でも珍しいようですね。





          現在は地区内の三つの組が毎年持ちまわりで担当し、今年は東組の小学生四十人が舞台に立ちました。
          8月の暑いさ中から五十日間も歌舞伎の関係者からの演技指導を受けたのだそうです。

          こうした演技も中学生になるともう舞台には上がらないとか。
          歌舞伎への出演は小学生までだそうです。





          物語は明智光秀が織田信長を討ち死にさせた後、羽柴秀吉が光秀を討つまでの「三日天下」
          と言われる史実を脚色したもので、絵本太功紀の十段目のこの「尼崎の段」は特に有名とか。

          登場人物は明智光秀、その母さつき、妻のみさお、光秀の息子の十治郎と許嫁の初菊、それに羽柴秀吉
          などなど。
          小学生高学年の生徒とは思えぬ名演技で、その立ち居振る舞いに会場から盛大な拍手がおこりました。





          芝居が終わり幕が下がると、会場は出演者におひねりを投げようと総立になり、一気に賑やかに。
          おひねりの大きなお菓子の包があちこちから壇上めがけて投げられます。

          出演した子供の家族の方やお友達からは勿論のこと、近所のお馴染みのおじさん、おばさんからもお祝い
          のおひねりが飛び交い盛大のうちに終了となりました。

          今でもこうして伝統文化が引き継がれていることにはちょっと感動です。
          この日は子供が主役、大人はそのひきたて役の縁の下の力持ちといった感じでしょうか。
          本物の歌舞伎自体も見ることがない私にとっては有難い催しで、秋の日の平和なお祭りでした。

         関の「刃物まつり」

2011-10-10 | Weblog



          「関の孫六」などで知られる刃物の町、岐阜県関市の「刃物まつり」にでかけました。
          関の孫六は、室町後期に美濃国で活動した刀工として知られています。

          今年で44回を迎える「刃物まつり」の呼び物は、何といっても関鍛冶伝承館に併設されている
          日本刀鍛錬場で行われる今では珍しい古式ゆかしい刀物造りの実演がまじかで見られることです。
          この技は700年もの間受け継がれてきた正に伝統の技です。





          実演が行われる会場には、開始時間前から会場を取り囲む大勢の見学者でもう一杯です。

          会場にはすでに、白い着物に黒烏帽子姿の刀匠達が数名おり(現在18名の刀匠が登録)
          その姿が会場の雰囲気をなお一層引き締めているようでした。
          私も実演を見るのは今回が初めてです。





          いよいよ火が入れられました。
          どうやって日本刀が出来上がっていくのか皆さん興味津々の表情ですね。

          会場には報道関係者もカメラをセットしてスタンバイです。
          観客席近くの火の粉の飛び散る辺たりには、ガラス板がはめられています。





          赤々と燃えた刃物の材料の玉鋼が火から出され、刀匠のトントンと二つ打つ鎚の音を合図に
          刀匠と弟子が交互に鋼を鎚で打ち合う鍛錬に入ります。
          刀匠と弟子とのこの作業から「相鎚を打つ」という言葉が生まれたのだそうです。

          こうして何度か打つことによって鋼の中の不純物を取り除き、鋼に含まれている余分な炭素を追い出し
          鋼を均質にすることによって、やがて強い鋼が出来上がっていくのだそうです。





          さらにこの鋼は再び火に入れて焼きを入れます。
          火の温度は1500度にもなっています。





          「焼きを入れる」という言葉もここから来ているようですね。
          「鉄は熱いうちに打て」というものやっぱりここから来ているのでしょうね。





          焼きを入れた鋼を再び叩き、これを半分に折り曲げます。
          さらにこれを半分にし二層、四層、八層、、、

          半分に折って貼り付けるという折り返し鍛錬が繰り返されていきます。
          そうすることにより、最後は何万層もの鋼が出来上がるのだそうです。
          脇にいた刀匠の方からお聞きしました。

          この「折り返し鍛錬」という技は、日本刀造りの独特の伝統の技と言うことでした。
          刀造りはずいぶん奥が深いものなんですね。
          日本刀がそんな何万層もの鋼で出来ているとは全く知りませんでした。





          会場の後ろの台の上には、玉鋼から刀になっていくまでの工程が並んでいたり、刀鍛冶の
          最後の仕事とされる、出来上がった刃物に銘を入れる、「銘入れ」が行われています。
          皆さん真剣な表情で刀匠の仕事を見守っている感じですね。





          日本刀造りは、まさに繰り返し繰り返しの鍛錬なのですね。
          「鍛錬」という言葉も刃物造りから出た言葉だそうです。
          刃物造りから出た言葉、こんなにあったんですね。


          さてさて、難しいことは抜きにして、コンデジで撮ったビデオですがご欄ください。
          下手な説明より「百聞は一見にしかず」だと思います。(笑)


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