風のたより

つれづれに

                 2018  ワールドカップ ロシア大会

2018-06-29 | ロシアの旅



夕べは眠い目をこすりながらロシアで開催されているワールドカップロシア大会の
日本とポーランド戦に夢中になった人が多かったことでしょうね。

私もその一人です。

0-1でポーランドに敗れたものの、日本は決勝進出とか!!

良かったです。

次回対戦国は7月2日のベルギー戦とか。





日頃はあまりサッカーには関心がなく、日本選手の名前もよく知らなかったのですが
数週間前ドイツ、ミュンヘンに家族で住んでいる娘から、オーストリアのゼーフェルト
という場所での日本チームの合宿の様子を見に行き、その様子をLINEで送ってきてから
やっと覚えました。

二人の孫たちと一緒に写っていたのは、、、、柴崎選手、乾選手、吉田選手,長谷部選手
動画には香川選手、そして後ろには長友選手や本田選手の姿もありました。

周りにはかなりの日本人が来ていて、皆さん選手からのサインをもらったようです。

(この写真はネットからお借りしたものです)





今年のワールドカップの開催地ロシアには、ちょうど去年の今頃旅行で行っていました。

そのこともあってか、日頃は関心の薄いサッカーに、ちょっと興味を持った感じです。





6月のロシアは百夜の前っ最中で、夜は10時を過ぎてもまだ明るく、陽が沈んでも
朝の3時過ぎにはもう夜明けです。

昨年のロシアの旅はモスクワとサンクトペテルブルクの二都市だけでしたが、
夏のロシアを体験してきました

これはモスクワで有名な聖ワシリー寺院です。





サンクトペテルブルクルのペテルゴフにあるピョートル大帝の夏の離宮の大噴水は
今でも鮮やかに思い出します。

7月2日のベルギー戦には、ぜひ日頃の練習成果を出して日本選手に頑張ってほしいと思います。


ロシアの旅はこちらに10回にわたり綴っています。
よろしかったらどうぞご覧ください。


                 ~~~  ロシアの旅⑩ 番外編   ロシアあれこれ ~~~

2017-07-17 | ロシアの旅



ロシアの旅は終わりましたが、今回は番外編としてまだまだ残っている写真の中から
ロシアで見たあれこれを思い出しながら、、、、

① 白夜

サンクトペテルブルクで迎えた初日の白夜。

ホテルの窓から眺める風景は、午後9時半を過ぎてもまだこの明るさです。





更に2時間たった午前0時すぎです。

さすがにお店には灯が入りましたが、とても深夜とは思えぬ光景です。

サンクトペテルブルクでは、白夜の時期の日の入りは、22:24。
そして日の出は、3:34とか。
これが北極圏で言われる白夜なんですね。

ホテルの窓からなんだか眠れぬまま眺めた白夜です。





そして迎えた翌日5時。

もうとっくに日の出の時間は過ぎ、明るい日差しが差し込んでいました。

サンクトペテルブルクで味わった白夜・・・良い思い出です。





② マンション

ロシアでは多くの人々はマンションに住んでいます。

今回バスの中からたくさんのマンションを目にしました。
特に市内には一戸建ての住宅というものはなく、その多くは大きなマンション住まい。

そのマンションのほとんどが、こんな高層マンションが多いようでした。





更に郊外に行くとこんな白亜のマンションが、、、、

結構新しい感じです。





更にこんなモダンなマンションも、、、、





またこんな建物も、、、これもマンション???

装飾もなく、いかにも実用本位という感じです。
ひょっとしてこれはソ連時代に建てられた建物かもしれません。

ロシアで見た多くのマンションには、ベランダやバルコニーが付いているものはわずかで
その多くが窓だけというのが多く、その時代や国の特徴が見えたような気がします。






又バスの中からはこんな建物も見ました。

現地ガイドさんのお話では、これはかつての戦車工場だった所とか。
下半分には全く窓がありませんでした。
製造工程の秘密を守るためだったんでしょうね。





バスが郊外に入ってくると、こんな光景が見えました。

広い緑の中に瀟洒な建物が、、、これは??

③ ダーチャ

ガイドさんのお話では、ロシア人の多くは日常は市内のマンションに住み、土日には
ダーチャといわれる郊外の別荘で過ごすことが多いのだそうです。

ダーチャというのは、ロシアでは一般的な菜園付きセカンドハウスをさすようで
土日には家族そろって郊外のダーチャに行って野菜作りや自然を楽しむのだとか。

特に夏の時期には郊外のダーチャに行く車で、道は大渋滞になるのだそうです。





ダーチャといっても、かつての貴族の別邸から掘っ立て小屋のようなものまで、規模はいろいろですが
基本は自給自足のなごりのようです。

このお宅は立派な建物でした、、、ひょっとしてかつての貴族の別邸だったのかも??





③ G020サミット会場

更にバスが進んでいく中に、現地ガイドさんから”右にかつてサミットが行われた建物が見えます”と。

G20サンクトペテルブルク・サミット(平成25年9月5日~6日)が開催された場所らしく建物には
ロシア国旗が掲げられていました。

後で調べたところ、ピョートル大帝の夏の離宮に近い、コンスタンチン宮殿と分かりました。





当時のニュースで見た記憶には、会場前には素晴らしい湖が広がっていましたが、それが今思えば
フィンランド湾だったのですね。

日本からの一行は、近くの夏の離宮にも立ち寄っていたようです。





④ ロシア料理

ロシアに来てロシアの食事についての記事が抜けてました。

ホテルでの朝食は大体こんな感じですが、観光途中に立ち寄ったレストランでは、モスクワではボルシチを
サンクトペテルブルクではビーフストロガノフを食べたのですが、うっかり写真を撮り忘れました。(笑)





最後にやっとサンクトペテルブルクの素敵なレストランに入りいただいたものは、、、





ロシア料理で有名なピロシキと壺焼きでした。





壺焼きは一種の煮込み料理で、壺の上のパンをつぶして、、、、





中の具と一緒にいただきます。

中味はボルシチのような煮込みで、とてもおいしかったです。





⑤ 思わぬプレゼント

とうとうロシア旅行の最後を迎えたサンクトペテルブルクのレストラン。
ここで思わずプレゼントが待っていました。

今回の旅行中丁度この日が誕生日という方が見え、この会場で急に始まったパッピバースデイの音楽が、、、






その方のお陰でおいしいロシアのケーキをいただく嬉しいハプニングがありました。

皆さんで和気あいあい最後のお食事をいただき、良い思い出になりました。





⑥ マトリョーシカ

今回のロシア旅行で唯一買ったお土産が、この可愛いマトリョーシカでした。
一筆一筆丁寧に描かれた手書きのこの色合いと、可愛い表情が気に入りました。

歴史をたどれば、このロシアのマトリョーシカ、実は日本のこけしがルーツとか???

それでは姿を変えての里帰り。
さあ―、日本へ帰りましょ!!


長い間ロシアの旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。


                    ~~~  ロシアの旅⑨ エカテリーナ宮殿  ~~~

2017-07-15 | ロシアの旅



今回のロシアの旅の最後の観光となるエカテリーナ宮殿にやってきました。

金で装飾された豪華な門扉がお出迎えです。





一足中に入ると、ここにもロシアバロック建築の全長310メートルもある華麗な宮殿が建っています。

ピョートル大帝の娘の女帝エリザヴェータの命により建てられ、母のエカテリーナ1世にちなみ
エカテリーナ宮殿とし、後にこれをエカテリーナ2世が引き継ぎロシアの女帝たちの権威を誇示する
宮殿となりました。





階段を上り入口へ、、、





見上げると装飾された彫像が迫ってくるようです。





玄関ホールに入り階段を上って二階へ、、、

窓を飾るピンクのカーテンが、いかにも女帝の館という感じです。

階段の両側には伊万里焼の皿や壺がはめ込まれていました。

これもジャポニズムの影響でしょうか???





金で装飾されたいくつかの部屋を通り~~~





黄金に輝く大広間にやってきました。

その広さと息をのむ程の絢爛豪華な大広間には、ただただ圧倒されました。

あの大黒屋光太夫が女帝エカテリーナ2世と謁見し、日本への帰還を許されたのも、正にこの部屋です。
この部屋に通された大黒屋光太夫、この豪華さにさぞかし驚いたことでしょうね。

大黒屋光太夫に関しては、こちらから。





江戸時代、嵐に会いロシアのアリューシャン列島の孤島に漂着した一行でしたが、最後に残った
光太夫はカムチャッカ半島からシベリアを横断し数年かけてサンクトペレルブルクにやってきて
この宮殿で女帝エカテリーナ2世に謁見し帰国の許しを得、漂流から10年後やっと日本へ戻れたのでした。





そんな思いでこの大広間を見ると、その時の光太夫の思いがこみ上げてきます。

大黒屋光太夫のことは、井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」や映画にもなりその数奇な生涯が
描かれています。映画は私もかなり以前に見たことがありました。





大黒屋光太夫がこの部屋で謁見したのが、この女帝エカテリーナ2世でした。





宮殿の大広間から広大な庭園が眺められます。





その後は、豪華な食器が並べられた食堂や絵画の間などを見学。(スライドです)

その各部屋で目立っていたのは、どの部屋にもなぜかオランダのデルフト焼の大きな暖炉が
設えられていることでした。





そして、ここエカテリーナ宮殿で外せないのが琥珀の間です。

この琥珀の間は撮影禁止でしたので、写真はネットからお借りしました。

この部屋の琥珀もナチスドイツに持ち去られ今でも行方が分からないといいます。

現在あるのは、サンクトペテルブルク建都300年にあたる2003年に復元されたものだそうです。





宮殿内の通路には、当時破壊された宮殿を描いた絵や、、、





破壊された内部の様子を記録した写真などが展示されていました。





宮殿内の見学を終え、やっと外に出てきました。

宮殿の外に置かれた長ーい椅子には、見学で疲れた各国の観光客が一休みしていました。





これから宮殿内に入るために並んでいる観光客の人々の姿も、、、





宮殿内の見学を終えた私達一行は、園内の散策に・・・





綺麗に手入れされた広い園内を歩きます。





宮殿の奥にあったのは、、、女帝エカテリーナ2世の隠れ家???

女帝エカテリーナ2世には、たくさんの愛人がいたことで有名です。





宮殿の周囲に広がる美しい庭園。

大きな池が広がっていました。





豪華絢爛なこのエカテリーナ宮殿を最後に、今回のロシアの旅も無事終わりとなりましたが
旅はまた多くの歴史を知ることにもなりました。

今まで知らなかったロシアですが、今回の旅から多くのことを学ぶことができたことは幸いでした。


                 ~~~  ロシアの旅⑧ ピョートル大帝の夏の離宮  ~~~

2017-07-12 | ロシアの旅




サンクトペテルブルク二日目の朝です。
この日もバスの時間まで朝の散策に出かけました。

途中でお会いした同行の方からお聞きしたニコライ聖堂へ。
時間がないので橋の袂から見学です。

朝の通勤の方々が足早に橋を渡っていきます。
近づいてきたサンクトペテルブルクのハトさんと一緒に、、、





帰りは昨日の朝通ったスフィンクスの銅像のある橋を再び渡って戻りました。

サンクトペテルブルクの朝の気ままな運河沿い歩きもこれで終わりです。





バスはまず今日の観光の最初としてピョートル大帝の夏の離宮(ペテルゴフ)へと向かいました。
この夏の離宮の大噴水、、、、これも今回の旅の大きな楽しみの一つでした。

噴水開始は11時からというので、たくさんの観光客が大階段の噴水の前で今や遅しと待っています。





そして11時!!
ついにあちこちから美しい水しぶきが上がり、噴水が始まりました。

思わず人々からどよめきが、、、、





これを見たかったんです!!!

夏の離宮にふさわしい宮殿前のこの素晴らしい大噴水は、圧倒的な迫力で最大の見どころです

ペテルゴフには大小150もの噴水があり、水は20キロ以上も離れ森から引かれ、その高低差
だけで噴水が吹き上がる仕組みになっていて、電力などは一切使っていないのだとか。

凄い技術ですね。





階段前のサムソン像からの噴水の高さは20メートル。

ちなみにサムソンはロシア、サムソンに口を開けられている獅子は、戦いの相手だったスウェーデンを
象徴しているのだそうです。





階段を上がり大宮殿を背に立つと、大噴水の向こうにみえるのはフィンランド湾です。

ここからいったん階段を下りて園内を回ることになりました。





宮殿内には大小150もの噴水があり、いろいろの仕掛けがされているといいます。

先ずはチェス盤をした噴水。

チェス盤の両側の彫刻は、イタリアから取り寄せたものということでした。





またこの彫刻はナチスドイツの侵略時、事前にこのように穴を掘って埋められ難を逃れたといいます。





更に園内を歩いていくと、、、これはローマの噴水です。

この噴水は、ローマのサンピエトロ大聖堂前の噴水をモデルにした噴水とか。

ピョートル大帝は、この宮殿を作るまえに自ら何度もヨーロッパ各地を訪れています。
その際目にした素晴らしいものを早速取り込んだのでしょう。

プロイセンでは砲術を、オランダでは造船術を学び、自ら道具を使い舩造りをしたので周りの人々から
”王様の船大工”といわれたそうです。





周りが木々の生い茂る森の中の散策路。

この両側からは、噴水が弧を描くように出されます。
この時は出てませんでしたが、、、





これは傘の噴水。

傘の中に入ると、、、雨が降ってきました!!!  
あら、出られない!!





こちらは池の中をゆっくりと回る太陽の噴水。

その向こうには立派な鳥小屋がありました。
誰かが”鳥になりたい!!”と、、、(笑)





これは、いたずら噴水。

実は白い椅子の見えない場所にいるおじさんが、足でスイッチを操作しているとか。






園内には、この大宮殿を作ったピョートル大帝の銅像がありました。

何百年後、こうして世界各国からやって来るたくさんの観光客の姿に、高い台の上から見まわしながら
大満足しているのかもしれません。

何しろピョートル大帝の悲願は、ロシアをヨーロッパのように造り上げることだったのですから。





フィンランド湾のすぐ前に築かれたモンプレジール宮殿。
ここでピョートル大帝は妻となったエカテリーナ1世と過ごしていたようです。

きっと夏の間だけで、だから夏の離宮なんでしょうね。
冬はフィンランド湾からの強い風で相当寒かったのではないかと思いますが、、、





フィンランド湾が見える場所まで歩いてきました。





ここからフィンランド湾が見渡せます。
湾の向こうは、もう北欧です。

このフィンランド湾に面した北の果ての湿地帯に、壮大な宮殿を建設しようとしたピョートル大帝の
意気込みは、、、一体どんな思いだったのでしょう??





宮殿内の庭園を東側からぐるっと回ってきました。

正面に大宮殿が見えています。

フィンランド湾に近いためか、この辺りにはあちこちにカモメの姿がありました。





更に宮殿の方に近づいて、、、





園内を一回りして、また大噴水のある場所に戻ってきました。
更に階段に近づくと、、、水しぶきがかかりそうですが迫力満点です。

水しぶきの彼方には、黄金に輝く大宮殿のキューポラが見えています。





宮殿を背にした大噴水の競演、見れば見るほど素晴らしい!!!

よく見ると宮殿下、噴水の間にその当時ヨーロッパの王侯貴族の間で流行ったという
グロッタといわれる地下の洞窟が見えました。(アーチ形の所)

このグロッタは、貴族の間で厳しい教会の掟から逃れ、心を解き放した場所だったとか。





ピョートル大帝の夏の離宮は、期待にたがわず素晴らしい宮殿でした。

この夏の離宮の大噴水を、ロシアの夏の時期((噴水の見れる時期は、5月中旬~10月上旬まで)
に来ることが出来、また思う存分楽しめたことは幸いでした。


この後バスは、いよいよ今回のロシアの旅の最後の観光となる、エカテリーナ宮殿へと向かいました。

            ~~~  ロシアの旅⑦ エルミタージュ美術館・・・ その2  ~~~

2017-07-10 | ロシアの旅



絵画観賞はは、まず新館に展示されている印象派の各品からとなりました。

先ずはモネの「庭の女」

女性の持った日傘の影が印象的です。

欧米ではあまり日傘をさした女性はほとんど見かけませんが、こんな時代もあったんですね。





ルノアールの「小さい鞭を持った少年」

髪を伸ばしスカートらしきものをはいています。
女の子かと思いました。

その当時の上流階級では、男の子を女の子の格好をさせて育てた時代があったようで
男児が早逝しないようにと邪気払いのために女児の服を着せる習慣があったようです。

やっぱり女性の方が強いんでしょうか?(笑)





同じくルノアールの「ジャンヌ・サマリの肖像」

女優の彼女は、ルノアールのモデルもやっていたようです。





これはゴーギャンの「果物を持つ女」

個性的な絵ですね。






これも確かゴーギャンです。

題は確認できずでしたが、タヒチの女性を描いたものでしょう。





ゴーギャンといえば、ゴッホですね。

ゴッホの「あばら家の家」

ゴッホの絵はドイツ、ミュンヘンにあるノイエピナコテーク美術館で何点か見たことがありましたが
この絵は今まで見たことがありませんでした。

ご興味のある方はこちらからどうぞ。





同じくゴッホの「アルルの競技場の観衆」

この絵はアルルにある競技場の中の観衆を描いた絵ですが、アルルに行った折、この
競技場までの道沿いにゴッホが描いた絵としてこの絵が看板で紹介されていたので
見覚えのある作品です。

アルルのゴッホにご興味のある方はこちらから。





この後は印象派の作品が展示されている新館から、エルミタージュ美術館の本館に移動し
本館に展示されている作品の観賞となりました。





まず初めにガイドさんに紹介されたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ブノアの聖母」

かなり小さな作品でしたが、さすがこの絵の前はカメラやスマホを構えた人がびっしりで
なかなか順番が回ってきません。

それにガラスに光りが映り込み、さらに斜めからでは綺麗には撮れませんでした。





これも同じくレオナルド・ダ・ヴィンチの「リッタの聖母」。
この作品も小さいものです。

お乳を含ませるなんとも言えないマリアの優しいまなざしが印象的な作品でした。

この写真もガラスが映り込み見づらいものになりました。(ご容赦を)






これもかなり小さな聖母子を描いた作品ですが、絵とともに素晴らしい額縁にも見とれました。





イタリアのティツイアーノの「ダナエ」といわれる作品です。

このダナエとはどんな女性???こちらから

ギリシャ神話に出てくるアルゴスの王女と初めて知りました。





今回ティツイアーノの作品の中でぜひ見たいと思っていたのがこの作品でしたが、実は残念ながら
見逃してしまい、仕方なく写真はネットからお借りしたものです。

ティツイアーノの「懺悔するマグダラのマリア」

マリアからあふれ出る涙のまなざしに、なぜか圧倒される作品で、やぱり実際この目で
見たかった作品でした。残念!!!





次はオランダの光の画家といわれるレンブラントの「フローラに扮したサスキア」

モデルはレンブラントの奥さんのサスキアといわれています。





次は同じくレンブラントの「ダナエ」。

この絵は1985年にリトアニアの青年に硫酸をかけられた上、刃物で2回も切りつけられた作品で、その後
事故当日から1997年まで、12年かけて修復作業が行われた物らしいですが、完全には修復できなかった
というお話でした。





こちらは同じくレンブラントの作品の「放蕩息子の帰還」

これもせっかく期待した作品でしたが、この絵も光が入ってしまいうまく撮れずでした。





そこでこれもネットからお借りしました。

この絵の前で、、、何かひきつけられるものを感じました。
放蕩の限りを尽くしてやっと帰ってきた哀れな姿の息子を優しく抱きかかえる年老いた父親。

レンブラントの晩年の作品といわれていますが、なぜか深い悲しみを感じる作品です。

レンブラントのこの絵は、ナチスドイツがエルミタージュ美術館の絵画を根こそぎ持ちだそうと
した時、大きな木の箱に詰められ一番先に避難場所へ送り出された作品だと聞きました。

やはり名画中の名画なんですね。

ロシア、エルミタージュ美術館にもいろいろな歴史があることを初めて知りました。