「信長まつり」の行われた同日の午前に、その信長の眠る菩提樹の「崇福寺」を訪ねました。
天下を轟かせた歴史上の大人物のお墓とは、一体どんな所にあるのだろうかと興味深々でした。
信長の菩提樹の臨済宗、妙心寺派の「崇福寺」は、長良川を渡り岐阜市内からちょっと外れの
福光にありました。
祭りのこの日は一般公開となり、織田家の家紋の入った幕が張られ、すでに門が開かれていて
入口から奥のお庭が見えました。
門を一歩入ると、手入れの行き届いた落ち着いた庭が目に付きましたが、そんなに大きな寺ではなく
意外にこじんまりとした感じで、想像していたものとはちょっと違いました。
石畳を進んでいくと、、、
まっ正面の本堂の右隣に庫裏があります。
本堂に入る前に外庭をもう一度眺めで、いよいよ本堂へ上がります。
本堂表面の伽藍です。
本尊は延命地蔵菩薩、聖観音とか。
前日にはこの場所で信長の追悼式が行われたようで、正面上には信長の肖像画が掲げられ
まだお花やお供物が並んでいました。
この本堂の中で有名なのは、廊下の上の「血天井」と言われる天井です。
信長の孫の秀信の時代、関ヶ原の戦の前に敵方の東軍に攻められ岐阜城は落城となりました。
その時この戦いで戦死した38名の武将を弔う為に後日この岐阜城の床板を譲り受けて
ここ崇福寺の天井板に使用したのだそうです。
今でも天井板には生々しい血痕の跡が残り、当時の惨状を彷彿とさせていました。
いったん本堂を出て中庭へ向かうと、まるで京都の石庭を思わせる様な庭のたたずまいです。
この中庭を巡りいよいよ墓所のある裏庭へと回ります。
この門塀が墓所の入口です。
信長のお墓はこの中に、、、、どんなお墓なのでしょう?
期待が高まります。
入口方からまっすぐ進むと、大きな石の上に縦長のお墓が現れました。
これが信長の墓のようですが、想像していたお墓とは違い、墓碑銘はまん中から二つにわかれ
二つの戒名が書かれていました。
どうやらこのお墓は、織田信長とその息子の信忠との父子のお墓のようです。
天下の信長のお墓がでんと大きく鎮座していると思っていたので、この父子のお墓は
本当に意外!!??
石の左右に書かれていた文字は
総見院殿贈大相国一品泰巌居士 覚霊
大雲院殿三品羽林高岩大禅定門 神儀
墓地の右側には、格子戸に囲まれた一段高い木造の極彩色の小堂の位牌堂があります。
この位牌堂の中には父子の位牌が収められているようですが、お墓よりもむしろ位牌堂の方が
立派に感じました。
後でわかったことですが、信長のお墓と言われる場所や霊廟は各地にたくさんあるようです。
京都市中京区の本能寺にある「信長公廟」
京都市上京区寺町の蓮台山阿弥陀寺にある石碑 「織田信長公本廟」
高野山奥の院の五輪塔の「織田信長墓所」
安土城二の丸跡の「織田信長公本廟」などなど、、、、、
本当のところ、信長の遺骨はどこのあるのか定かではないようで、、、、
どうやらここ崇福寺のこのお墓は、信長の側室お鍋の方が父子の遺品をこの寺に贈り、
位牌を安置した所のようです。
普段はあまり歴史に触れることもないのですが、信長まつりのお陰でほんの少し戦国の世に思いを
馳せることができました。
庭に置かれたお休み所には、秋の日ざしがまぶしいほど降り注いでいました。