坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

湯呑みと箸

2009年02月16日 | 坊主の家計簿
 2月16日

 雑費  缶ミルクティー     120円
     回数券        3000円
     キップ         640円
 食類  諸々          738円

 合計             4498円
 2月累計          69269円

 仕事が終わって携帯みたら旧友より留守電。「訃報やから折り返し電話頼む」との事。あいつとの共通の旧友で死にそうなヤツは一人だけだったので部屋に帰ってから電話する。やっぱし、思った通りの旧友だった。

 今日は仕事が早く終わったので昼間のワイドショーなんかを見たりする。
 何やら日本の財務大臣が酒に弱いと云う事が国際的ニュースになり、国内でも問題が起っているらしい。確かにテレビを見てると日本の財務大臣として恥ずかしい酒の弱さである。あっこまで酩酊状態になったらアカンやろ。と、自分の事を置いといて思ったりする。「舌が廻っていないし~」みたいな酔い方をするぐらいの酒の弱さは日本国大臣をして恥ずかしい。
 「エリチンを見習え!エリチンを」
 と、アル中でありながらロシアの初代大統領だったエリチンを思い出しつつ、そういや死んだ旧友も酔っぱらうと舌が廻らなくなり、語尾に「ら」が付く。多分、本人は「な」と云っているつもりなんだろうが、「ら」になったりする。

 2つ下だったので38歳か。まあ、若いのだろうが、それもそいつの人生であり、なんとなく「長生きしたのぉ~」と思ったりする。

 夕方から、まあ、いわゆる『通夜』なんだが典型的な密葬で、しかも無宗教でやるとの事だったので、礼服を着て、香典と数珠と、一応、葬儀の時に使う勤行本を持って行く。
 生活保護家庭だったので簡単な祭壇があって、位牌は俗名のまま。
 無宗教でやるのは、確か兄弟が某宗教団体にハマっていて、そのせいかと思ったら、単なる金の問題だったらしい。
 「ほんだら、葬儀しまっせ」と、突然葬儀。
 キンという音がなる、いわゆる「チン、チン」と鳴らすアレでんな。キンが無かったので、湯呑みと箸を使って葬儀の始まり。少しだけ早く読んだのだが、大谷派の葬儀式プラス最後に『白骨の御文』っちゅうのも読んだので通常の葬儀タイムになったりする。良かったのか悪かったのか知らんが、まあ、喪主である18のガキの想い出にはなったとは思う。彼がその後に縁ある人達の葬儀に出た時でも『礼服のまま葬儀をする坊主』っちゅうのに出くわす事は殆どないだろうし、湯呑みと箸でする葬儀もないやろう。
 
 葬儀が終わった後に一緒に行った旧友達と、「あれは『KIRIN』とか書いたグラスの方が良かったな」なんぞと喋ったりする。まあ、酒飲み友達やったし。

 帰りの電車は終電。隣に座ってたオッさんが立ち上がって駅で降りようとする。その時に初めてオッさんの存在を確認したのでそっちを見たらカバンを発見。「カバン忘れてませんか?」と聞くと、中川財務大臣状態のオッさんが「ん?」と云って、扉の前に立ったまんま動かない。「なんやオッさん、吐くんやったら、もう少し腰を屈めて吐かんかい」と思ってたら、そのまま下車しやがった。しゃーないので、近くに居た兄ちゃんに「このカバンは兄ちゃんの?」と聞いた後に、車掌に届ける。カバンがオッさんの手元に戻るかどうかは知らん。そこまでは責任取られへんし。

 今日の喪主は18歳。高校3年生でんな。ガキの頃に、っちゅうか、殆ど親父の顔なんぞ憶えていない頃に両親が離婚してからの母子家庭。産まれた時に確か近所の市場で酒のアテにカニを買って行った事を思い出す。中学生になったら革ジャンとナイフを買ってやる、なんぞの約束をした事を思い出す。香典を受けとるのがイヤだったみたいなので「学費にせえ」と言うて来たが、結局買わなかった革ジャンとナイフ代みたいなもんでんな。しかも、オッちゃんが革ジャンとナイフを中学入学祝いに買わなかった御陰で、真面目な、しっかりとした兄ちゃんの育って、それはそれなりに嬉しかったりもするのだが、あれだけ家庭環境も悪かったのなら、若いうちにしっかりと不良になってグレておいた方がエエのではないかと勝手に思ったりもする。

 丁度、そのガキの年齢の時に私はガキのオカンに初めて会った。某フリースクールに通ってた時に、フリースクールの代表の兄ちゃんに連れられて、確か松原やったかな?松原で一人暮らしなのか、男と一緒に暮らしてて男に逃げられた後だったのかは知らんが、当時16歳だったガキのオカンの部屋に行った。
 今でこそ芋焼酎はブームだが、当時、16歳だった彼女の部屋に薩摩白波の一升瓶が置いてあって「おお!こいつは酒飲みやんけ!」と結構感動した。幸いな事にお互いタイプの異性が違うので御気楽に2人で飲みに行ったりして、見事にお互いが頼んだ分だけしか払わないという『完璧割り勘』をして飲んでた。一時期、一番親しい友達だったし。

 かなり激しい人生だったと思うのだが、結構、無茶苦茶な人生だったと思うのだが、それも人生だし、何歳で死のうと、どういう死に方をしようとも、あいつなりの尊い、たった一度の人生を全うしただけの話である。
 人が死ぬのは『生まれたから』である。生まれた後に色んな人間関係があったりして早く死んでいくヤツは早く死んで行く。

 とある恩師から、『死んで行く時に「ありがとう」という言葉を残して死んで行きたい。』という言葉を紹介して頂いた。
 昨日の早朝に死んだらしいあいつが「ありがとう」と云う言葉を残して死んでいったのかどうかは知らない。っちゅうか、寝てたらそのまま死んでた、みたいな感じだったみたいだし。

 「こんな人生はイヤ!」
 「こんな人生の方がイイ!」
 と、遺体に面して、遺体を差別する。
 ちゃう。「ありがとう」や。