坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

世間知らずの恥さらし

2009年02月07日 | 南無阿弥陀仏の結婚式
 2月7日

 雑費  缶ミルクティー      120円
 外食  ラーメン         418円
 食類  諸々(酒類込み)    1508円

 合計              2046円
 2月累計           19536円

 夕寝してたらオカンから電話あり。諸々喋っててビックリしたのだが、オカンの実家辺り(能登半島)では『祝儀は倍返し』であるらしい。さすがに今は大阪の方が長いので「うちの実家の方では」なんぞと云っていたが、ビックリである。
 当然、能登半島の全てがそうだとは思わんが、もの凄い利率やのぉ。。。バレンタインは3倍返しらしいが、これに匹敵する利率である。なんちゃらマルチなんぞよりも、どこぞの投機よりも利率は高いのではないか(笑)

 祝儀のお返しなんぞを調べてみると、半額であったり、3分の1であったり、礼状だけであったりと様々である。この中に倍返しも入って来る。
 これが『村』の内部だけの話なら問題はないのだろう。その村の風習があるのだろうし、村の風習が『半返し』なら『半返し』をしておけば問題はない。まあ、無難である。
 しかし、都市部はそうはいかない。都市部は『田舎者の集まり』である。よって様々な風習が入り乱れている。
 当然、憲法や条例で祝儀の相場や、祝儀のお返しの相場なんぞが決まっているわけではない。
 
 葬儀や法事でもそうなんだが、式典なんぞの時には年長者が威張りだす。「私の出番でっせ!」みたいなもんである。当然、その年長者が『物知り』ならともかく、大方は『世間知らず』である。だいたいの場合は個人的な体験、つまり、その地方の事を『当り前』と思い込んで居て、それを押し付けて来る。
 
 焼香の仕方だって様々なのだ。
 「皆さん、これからお焼香をして頂くのですが、お焼香の仕方は御存知ですか?」なんぞと聞いてみる。すると、結構バラバラだったりする。ただ、多くは『香を頂く』。つまり、香をつまんで眉間辺りにもって来る。この作法は大谷派ではしない。
 「一応、大谷派ではこうするんですよ」と説明したりする。すると、「え?」っと驚かれる方も多い。なんせ香を頂かないのだから。
 香を頂く事が『当り前』というのならば、香を頂かない作法は間違っている事になる。違うのだ。どちらもあるのだ。香を頂く作法をする宗派もあるだろうし、頂かない宗派もある。単にそれだけの話である。
 単にそれだけの話なんだが、これが認められない。単純な話だ「私が正しい」のだから。

 様々な人が集まると、様々な習俗がある。これが当り前なのだ。
 しかし、その『当り前』を無視して、各地の習俗、限定された習俗を『当り前』にされると、違う習俗の持ち主は困り果てる。
 「これはこうするのが当り前だ!」なんぞととは、非常に限定された社会の内部にしか通用しない事である。それを押し付けて来るのは単なる世間知らずなんだが、非常に残念な事にこの世間知らずが多過ぎる。
 自分の世間知らずを棚にあげて「これはこうする事が当り前だ!」と、世間知らずの恥さらしでしかない。しかも、そういう人に限って『世間』を気にする。世間を無視して、自分の狭い知識を『世間』と思い込んでいるにも限らず、その事が『世間』であると、世間全てに通じる事であると頑なに信じている事がどれだけ『恥さらし』なのかを全く疑わない。
 そして自分の狭い知識に従わない人を「あの人は世間知らずだ。これはこういう風にするのが当り前だ」等と云う。最早、爆笑もんの恥さらしなんだが、それを当人が『恥さらし』であると思っていない事が多い。

 世間には様々な人が生きている。それが『当り前』なのだ。
 違う事が『当り前』なのだ。
 それを認められないのは『世間知らずの恥さらし』にしか過ぎない。