坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

世界が歪んでいるのはレッカー移動のせいである。

2007年08月09日 | 坊主の家計簿
 8月9日
 
 雑費  缶コーヒー         120円
     銭湯&石鹸         310円
     ツタヤ更新料        200円
     毎日かあさん4巻      879円
 食類  ウニカニ飯         200円
     ラーメン発見伝ラーメン2  300円
     野菜ジュース6      1188円
 外食  焼肉ビール        2163円

 合計               5360円
 8月累計            35497円

 朝から鼻がずるずると。「夏風邪かな?」と思いつつも咳は出ないので「まあ、エエか」。喉さえ大丈夫ならなんとかなる。
 20時頃、御近所温泉に向かう。途中ツタヤに寄って、「風邪気味には焼肉である」と、風呂上がりの焼肉療法の娯楽で西原理恵子『毎日かあさん 出戻り編』を買う。癌で死んだ元夫の鴨志田の事が書いてある。別れた後も関係は続いてたのね。

 御近所温泉は休みだった。。。『館内点検日』だと。「ケ!」とツバを吐いて近所で銭湯を探す。チャリで少し行った所に銭湯みっけ。行った事がない銭湯。
 料金は310円だった。御近所温泉には石鹸が置いてあるので石鹸は持って行かなかったのでミニ石鹸込みの料金。ムラの銭湯だな、まあ。
 風呂の温度もエエ感じ。男湯は脱衣所で近所のオッさん連中がビールを飲みつつ何かを話してて浴場は私一人の貸し切り状態。
 女湯からお母さんと子どもの会話が聞こえて来る。一緒に歌ってる童謡も聞こえて来る。

 少年の母が家を出て行ったのは少年が8歳の時だった。その日も仕事で帰りが遅い父を二人で待っていた。
 帰って来た父は不機嫌だった。そんな父に声をかけた母を父はいきなり殴った。「お前もか!!!」と。
 父の眼は狂っていた。余程の事があったに違いない。父の母に対する暴力は一向に止まらなかった。キレた母は私に「ごめんね」と言葉を残し家を出て行った。それ以来母は帰って来なかった。
 父との二人だけの生活が始まった。父は仕事から帰って来るなり酒を煽るようになった。あの日に何があったのか解らない。ただ、父がベロンベロンに酔っぱらい、潰れて寝る間際に必ず「天下りのイヌが。。。」と云った。
 
 ある日、父の友人が家に遊びに来た。その時に少年は初めてあの日父が母を殴った理由が初めて解った。
 
 父はその日、仕事で営業を廻っていた。車に書類を詰め込み得意先を廻る。それが父の仕事だ。その日も父はいつもと同じように車で営業に行ってた。道端のパーキングメータに車を停めて得意先に向かった。その日は仕事の込み入った話で長引いたらしい。何時もなら30分、つまり1時間以内で余裕で済む話が、1時間5分かかってしまったらしい。
 父は車に戻った。車はなかった。レッカー移動させられていた。
 父は焦った。次の得意先への時間は迫って居る。しかし、車はレッカー移動させられていた。
 車を取りに行き、父は得意先からも会社からもかなり酷く怒られたらしい。

 そんな父の気持ちを「今になれば解る」と少年は語った。でも、8歳の少年にはハードルが高過ぎた。
 少年は当然のようにグレた。
 いや、最初は小学校に行ってクラスメートにその気持ちを伝えた。だが、小学生にとっては「警察は国家のイヌである」とは理解出来ても、「警察は天下り先のレッカー業者のイヌである」とは理解出来なかった。
 これは別に珍しい話ではない。幕藩体制の下に『殿の為』が実は『越後屋の為』である事や、『国家の為』が実は『三井・三菱等の財閥の為』である事を気づく事は難しい。
 8歳の少年の小さな頭にいきなり大人の知識が放り込まれた。
 その日から少年にとって警察とは『大好きな母を追い出した天下りのイヌども』でしかなかった。世の全ての怨みは警察に向かった。
 少年にとって『警察』とは警察官僚ではなく、町で会う警官だった。近所の交番であった。

 少年はある日ついに決行した。道の向こう側の電柱に盗んで来た鎖を巻き付け、道を挟むようにして鎖を垂らして草むらに隠れた。ひたすらバイクで移動する警官を待った。来た。警官がバイクに乗ってやって来た。少年は立ち上がり手に握った鎖を頭の上に挙げた。
 手から伝わる衝動。少年は草むらから道に飛ばされつつも、警官は面白い程簡単にバイクから転げ落ちた。少年以上に飛ばされ頭から血を流していた。
 少年に迷いはなかった。腰から拳銃を奪った。
 
 「家に帰って父を撃った。」
 と、少年は語った。

 このようにレッカー移動は少年非行の元凶である。ある資料によると少年・少女の非行のトップは「家族がレッカー移動させられた」事であるらしい。

 ついでだが、さっき帰って来てテレビをつけたら出掛ける前までの読売テレビのまんまでニュース番組をやってた。
 『知花くらら』という娘さんがお爺ちゃんの話を聞いていた。
 知花くららのお爺ちゃんは沖縄の慶留間島出身らしい。米軍が最初に沖縄に上陸した場所。集団自決の場所。
 知花くららのお爺ちゃんは集団自決の生き残りらしい。自決出来なかったらしい。
 知花くららのお爺ちゃんが今回『孫』である知花くららに初めて集団自決の体験を語った理由は日本の教科書から『集団自決に軍の関与がなかった』という事かららしい。そして知花くららのお爺ちゃんも軍からの直接の命令を聞いていないらしい。

 「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」
 という皇民化教育、軍国主義教育は何処に行ったのかな?軍の関与がなかったという人達は。
 『軍』は『日本軍』である。軍隊の直接命令だけが『軍』の仕事ではない。『国』の仕事ではない。『教育』も仕事である。
 んな事は、今の歴史が解り難ければ、北朝鮮での教育をみれば解るだろうが。

 で、今日、恐らく最早始まっているであろう『2ちゃんねる』等のネット右翼の『知花くららバッシング』をしている人達もレッカー移動の被害者である。きっと本人、家族、親族、友人、知人、御近所の人達の誰かがレッカー移動させられたストレスの伝達効果によりネット右翼という、本物の右翼からも見捨てられた行為を行っているんだろう。全ての元凶はレッカー移動である。

 そういや、別に明日に書いてもエエのだが、今日は夕寝してから全ての業務(勉強・公文筆ペン)をサボって銭湯→焼肉ビールツアーだったのでまだ眠たくないのだ。
 
 夏休みに『新潟ラーメンツアー』に行く予定の私は新潟の復興状況を知りたくて諸々調べている。「柏崎の『そばよし』は大丈夫なのか?」とか。
 そんな情報ツールの中にある大谷派の掲示板がある。
 そこに友人の僧侶から「僧侶は社会問題に関わるべきではない」と云われた事が書いてあった。
 恐らくその『友人』も同じ真宗僧侶であると思われる。

 ちなみに都会である大阪ではそんな発言は聞いた事がない。ただ、田舎の真宗王国の話であるのなら納得出来る。
 先日観た『土徳の里』があるから。

 現在、真宗教団に出家者はいない。出家した『僧侶』はいない。在家主義である。よって、『真宗僧侶』とはあくまでも『教団内資格』でしかない。
 しかし、知ってる限りでは江戸期に於いては『真宗僧侶』も寺社奉行の管轄だったらしい。つまり他の教団の僧侶、出家・授戒した僧侶と同じだったらしい。
 そういう身分制時代の名残りが今も生きている。

 よって、「僧侶は社会問題に関わるべきではない」とは、「出家者は社会問題に関わるべきではない」と言い換えた方が解りやすい。
 同じく、「僧侶は社会問題に関わるべきである」とは、「出家者は社会問題に関わるべきである」と言い換えた方が解りやすい。
 両方とも『出家者意識』である。
 前者は「社会運動等という下々の事柄に出家者たる私達が関わるべきではなく、私達は修行に専念するべきである」という事なんだろう。
 後者は「社会運動も私達の大切な修行であり、同時に社会運動をする事によって初めて私達出家者は僧侶として下々の者から尊敬されるのだ」という事なんだろう。

 これを『殿』『姫』としても解りやすい。
 『殿・姫は社会運動等という下々の事柄に関わってはなりませぬ。殿・姫としての品格を損なわれます。」と。
 あるいは
 『殿・姫はもっと熱心に社会運動に関わり殿・姫としての品格を高めるべきなのです」と。まあ、天皇・皇后も被災地に行くし。神谷美恵子を好きみたいだし。

 前者、後者とも同じである。共に『出家者意識』であり、『殿』『姫』意識である。

 先日、先輩達との学習会である先輩が「御遠忌をどうするのか?」と歎いておられた。
 私は『真宗門徒』に特化すべきであると思う。

 真宗教団は世界的にも珍しい(他は知らん)『授戒者がいない教団』である。
 『僧侶資格』を無くして、『門徒』『門徒の中で一定の資格を持った人を教師とする』という「僧侶を無くしてしまえ!」という議論が出る世界的にも珍しい伝統仏教教団である
 しかし、先の前者も後者も『出家者(僧侶)意識』であり、『殿・姫意識』である。
 つまり、真宗教団の特色をブチ壊そうとする動きである。
 そうではなく、真宗教団はその歴史の中で『僧侶』であり、『殿・姫』でもあった。それを解体、再構築する『動き』が大事なのではないのか?『無戒名字の比丘』として、あくまでも「法名を持った一仏弟子である」との『動き』を世に広めて行くべきではないのか?
 当然、『無戒名字の比丘』『一仏弟子』は『下々の者』と同じである。全く同じである。
 解りやすい『ボランティア』等の社会運動には『下々の者』と同じく、それぞれの縁でやればエエだけの話である。「困った時はお互い様ですよ」と。
 反戦、反差別の運動も同じである。『下々の者』と同じくそれぞれの縁でやればエエ。別にプライドなんぞ要らんやろ。

 しかーし!『出家者(僧侶)意識』や、『殿・姫意識』を持ってしまう事もよく解る。
 きっと、自分や、家族や、親族や、友人や、知人や、御近所の誰かがレッカー移動させられたのであろう。その怨みのストレスがプライドに代わり、「ホッホッホッホ!私はレッカー移動させられましたけど、下々の人達とは違うザマス」となってしまったのであろう。

 今日、諸々多くの事柄で証明したように、全ての元凶はレッカー移動にある。
 レッカー移動さえなければ、日本は憲法を変えて戦争に行く事もなく、それを煽るネット右翼もおらず、非行に走る少年少女もおらず、姫や殿意識、出家者意識を振り回す真宗僧侶もおらず、平和な世の中なのだ。。。

 ん?