坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「悪いのは私じゃなく、あいつだ!」

2006年10月20日 | 坊主の家計簿
 10月20日

 雑費   缶コーヒー        120円
      タバコ          300円
 薬局   洗剤詰め替え用      158円
      目薬           298円
      歯磨き粉         398円
 食類   焼き鯖           50円
      青リンゴ          90円
      二十世紀梨2       198円
      発泡酒          175円
      唐揚げ弁当        473円

 合計               2260円
 10月累計           75891円

 しまった。。。エラい時間になってもうた。。。

 という事でお休みなさい。。。
 なんだが、夕寝をさんざんしてもうたので眠くないのだ。起きたら報道ステーションがとっくに始まってる時間っちゅうのはなぁ。。。

 少し気になったので珍しくトラックバックする。
 まあ、直接的には関係ないのかもしれないが、ここの(http://www.magadha.net/horyu/sb.cgi?eid=339)記事。

 私は現在大谷派の大阪辺りの集まりの中で『「在日」問題に学ぶ』ある会合に入らせて貰っている。一応若干の手当も出る会合。
 その中で、少し前にある在日一世の方に御会いして来た。ちなみに朝鮮総連の幹部でもある。もう年が年だけに現役からは退いて『元幹部』なのかもしれないが。
 これは別に教団から「この人に会って来なさい」という話ではない。会の中で「在日一世の方の話を聴きたいなぁ。。。」と云ってたら一人の参加者が、以前からのキリスト教系のツテを辿って探して来てもらっただけの話。

 ちなみにこの会合自体も数年前に出来たバッカリ。確か『人権フリー枠』だったかな?勝手に名称をつけているんだが、「大阪ならではの人権を学ぶ集まりがあってもいいのではないのか?」で、前回と今回がタマタマ『在日』だっただけの話。

 ちなみに個人的にも在日の運動家の方々との交流もある。僧侶に成る前からの付き合いで。
 また、以前にやってた『聖カミソリ』というバーは、ある間接的ではあるが、知人の朝鮮総連の運動家からの紹介でもある。
 でも、私は朝鮮総連とは全く関係ない。
 っちゅうか、在日運動家の方々の話は聞くが批判もする。別にイエスマンではない。その辺は少し前にも書いたが女性解放運動でも同じだ。解同でも同じ。話は聞くし、出来る範囲で協力もするが、同時に批判もする。別に私は運動家ではなく、一応仏教徒だし。

 先のリンク先の記事とは直接関係ないのだろうが、例えば大谷派教団と朝鮮総連との互恵関係があると疑われるのなら、私たちの会合なんて真っ先に疑われるだろう。
 でも、そんな事などありやしない。
 朝鮮総連の(元)幹部だった人の話も聴いて来たが、それはタマタマだったし、作為的であるのなら、その人を紹介した人が教団の手先でないといけないのだが、そんな事はあり得ない。

 また、『教団』というが、『教団』は選挙で選ばれた議会制である。
 で、今の内局は、どちらかというと『保守』だの『右派』であるとかの声を聞いたりする。
 不戦決議を出された時の宗務総長とは人が違う。教団政治の現状が違う。よって様々な人達が声をあげているのであって大谷派教団自体が左派である事はあり得ない。
 同時に朝鮮総連と互恵関係にある事などもあり得ない。

 実際に良く似た話があったのだが、例えば寺の掲示板に
 『すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。』
 と云うダンマパダ(岩波・中村元訳『ブッダの真理の言葉・感得の言葉』28ページより)の言葉が書いてあって、その言葉を読んで
 「この寺は左翼の寺か!」
 と云う事はおかしい。
 
 仏教は左翼でも右翼でもない。仏教は仏教である。
 ただ、戦争を肯定する教えなど、仏教全般を知っているわけではないが、あったとしても非常に珍しいのではないのか?
 『仏の顔も三度まで』の話もあるが、あれだって2度までは止めたわけだし、三度目も決して肯定したわけではなかっただろう。

 戦争に繋がる流れは、私は仏教徒として反対である。当然、大谷派教団も同じだろう、よく解らんが。
 それは決して「左巻き」などではなく、単に仏教教団だからだ。

 私は浄土真宗本願寺派が出した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の地下核実験に対する抗議(声明)にある一定の評価はする。個人的にもいかなる国の核実験に対しても反対なので。
 だが、『教団』となると非常に政治的な話になって来る。
 別に北朝鮮が本願寺派の声明を読んで「ああ、やっぱし核実験はあかんなぁ。。。」と考える事は、ほぼあり得ないと云っていいと思う。ならば、どこに対する声明かと云うと、まず本願寺派の門徒であり、日本政府・日本国民であろう。

 私が与党政治家なら、今回の本願寺派の声明を悪用するが。
 「ほら、お宅らの本山もこう云ってまんねんで。やっぱり北朝鮮の核実験は強く抗議しないとダメな事であって、あの国はああいう国やねんで」と、北朝鮮に対するパッシングの国内ムードを、世論を作り上げる道具に利用する。
 「まあ、戦争はあかんけど、北朝鮮はああいう国やしなぁ。。。仕方ないなぁ。。。」という世論を作り上げる道具の一つにする。当然、最初に武力行為をするとすれば北朝鮮になるのだろうし。

 「○○君は、いくら注意しても私たちの事を聞いてくれません」
 と追いつめる。多勢に無勢。先に手を出してしまった方が当然悪いのだが、追いつめた方も悪い。

 そういう流れの中での『日本人』であり、『日本の伝統仏教教団』である。
 原則論としては否定しないが、ただ、呑気過ぎる。

 当然、様々な声明や、教えの言葉が政治利用される場合もあるだろうが、不戦決議を政治利用して戦争は出来ない。

 今回の北朝鮮の核実験に関して教団中枢がなぜ反対声明を出さないのか私は全く知らない。
 ただ、もし仮にそういう声明を出したとすれば徹底否定する。断固抗議する。

 私は『日本人』であり、『日本の伝統仏教教団』に身を置いている。
 当然、私が可愛いし、私と同じ日本に住んでいる人達が可愛い。エゴ中心だし。

 北朝鮮は、国連からも非難されている。当然、非難する中に日本も含まれている。それどころか、近くの国であり、北朝鮮にとっての『敵国』である、アメリカの同盟国であり、日本国内には米軍基地もある。
 日本はそういう国であり、私はそういう国の伝統教団に身を置いている。

 仏教は、仏教教団内だけのモノになるのなら、それを『小乗』と云う。
 釈尊は大乗だ。当然、真宗教団も大乗だ。世間の中に身を置いている。世間に対して語りかけている。世間を無視した仏教なんぞ、原理原則だけの役に立たないモノでしかない。

 私は美醜を兼ね備えた存在自体を包み込む様な事を『本当の美』と呼びたい。
 自分の『罪』を見つめようとしない事が『美』であろうわけがない。
 でも、そういう『美』が大流行り。
 人間の匂いを消す。人間存在を隠そうとする。

 日本は「美しい国」を目指すらしい。間化の国。自らの罪を問わない国。問わなくてイイ国。
 「悪いのは私じゃなく、あいつだ!」


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