10月6日
雑費 タバコ 300円
家裁の人12巻 105円
ラーメン発見伝 55円
外食 いも膳 726円
食類 無添加ワイン 438円
発泡酒 175円
シャケアラ 69円
土しょうが 88円
ウインナー 218円
たまねぎ3 100円
合計 2324円
10月累計 35404円
う~、寒む。と云う事で今年初フリース。薄手のヤツをひっかけながらパソコンに向かっているのだが、眠い。。。
いや~、今日はたっぷし寝たし、夕寝もたっぷししたんだが、眠い。。。
買い物だけして、でも、結局近所の大衆食堂で晩飯に秋刀魚とか諸々喰って、テレビみながらゴロゴロしてたので眠い。。。
夕寝で夢をみた。私は幼い兄弟二役。
兄は金が欲しかった。金を求める為に島を出る。
弟は泣く。
泣いてるのは弟なんだが、なんせ兄弟二役とも私なので、どっちが泣いているのか解らなくなった。
起きたら『関西クローズアップ』という番組で『岐路に立つ同和行政~大阪市見直しの波紋』というのをやってたので観てた。
なんと、解同・矢田支部は、矢田の解放会館(今は名前を変えたのか?)から出たらしい。会館から出て、自分達の、要するに大阪市の建物でなく、自分達の事務所を構えたらしい。
矢田には『ふれあい温泉矢田』と云う、恐らく「俺等にシッポがあるのかどうか、ホンマに見に来いや!」とタンカを切ったのかどうか知らんが、銭湯料金で入れる温泉がある。確か、出来た当時の支部長の肝いりだったはず。銭湯料金で入れるし、温泉の質も有馬と同じらしく(?)近所の人達だけじゃなく、結構遠くからも来てると思う。
専修学院時代に、いわゆる『寺族』という寺産まれの人達と沢山出会った。
正直、『在家』という寺産まれでない事で差別された事もあった。まあ、個人と個人の力関係ではこっちの方が強かったので圧迫『仕返して』しまったのだが。。。
沢山の寺で産まれたと云う『泣き』を観た。
夢の中では弟が泣いていた。でも、私は二役やってたので、どっちが泣いているのか感情に混乱をきかせた。
私は専修学院と云う学校は『本科』と『別科』の2年、2回行った。
気が短く人間性の狭い私は『本科』時代の一年間担当してくれた先生と相性が合わなかった。まあ、人間性が狭いわけやし。
その担当の先生に気の短い私は、結局一年間ずっと絡みまくってた気がするし、卒業式の前の日にも怒鳴ってしまったし。
ある日、多分、私がいつもの如く酔っぱらって居た時だと思うのだが、『寺族』パッシングをした事があった。様子は全く覚えて居ない。でも、私が、「寺族がどうてらこうてら」と、言ってた時に先生が「それは差別だ」と云った。まだ、今より10歳若かった私には全く解らなかった。きっと、なんじゃかんじゃで言い返したんだと思う。
ある一つの運動論で言うのならば『在家』が『寺族』をパッシングする事は差別にはならない。またそれを「差別だ!」と云う事は運動潰しである。
では仏教は?
日本では否定されがちな上座部仏教。
別にこれはイコール『小乗』ではない。『小乗』とは法輪が止まった状態をさして『小乗』と云う事でしかないと私は判断する。
で、その上座部の『上座』とは、如何なるカーストであろうが、世間的名誉であろうが、関係なく、ただ、先に仏弟子になったものを『上座』にするだけ。
大乗・真宗仏教では『同朋』『平座』。
『寺族』も『在家』も『世間話し』にしか過ぎない。
ただ、そういう世間話しが横行しているだけの話。
人間が論理や、目的のみで『行動』出来るのなら、生きて行けるのなら、『救い』は要らない。
『私』の正義の下で誰かが泣いている。
じゃあ、誰が泣いているのか?
「ああいう風に生きたい」
「ああいう風に成りたい」
あるいは
「私は私だ」
と突っ張る。
私が、固定化された『私』にこだわる事によって、夢にまで出て来る涙。
圧迫されて居る『現場』。
倫理でもって涙の現場を理由付け言い訳する。
でも、人って、当然『論理』なんかよりデッカイ。
そんなデッカイ、デッカイ所から出る涙。
兄と弟。誰が泣いてたか解らなくなったけど、最初に泣き出したのは弟の方。
小さくされた弟の方。でも、夢の中の私は二役だったので誰が泣いてるのか解らなくなった。
雑費 タバコ 300円
家裁の人12巻 105円
ラーメン発見伝 55円
外食 いも膳 726円
食類 無添加ワイン 438円
発泡酒 175円
シャケアラ 69円
土しょうが 88円
ウインナー 218円
たまねぎ3 100円
合計 2324円
10月累計 35404円
う~、寒む。と云う事で今年初フリース。薄手のヤツをひっかけながらパソコンに向かっているのだが、眠い。。。
いや~、今日はたっぷし寝たし、夕寝もたっぷししたんだが、眠い。。。
買い物だけして、でも、結局近所の大衆食堂で晩飯に秋刀魚とか諸々喰って、テレビみながらゴロゴロしてたので眠い。。。
夕寝で夢をみた。私は幼い兄弟二役。
兄は金が欲しかった。金を求める為に島を出る。
弟は泣く。
泣いてるのは弟なんだが、なんせ兄弟二役とも私なので、どっちが泣いているのか解らなくなった。
起きたら『関西クローズアップ』という番組で『岐路に立つ同和行政~大阪市見直しの波紋』というのをやってたので観てた。
なんと、解同・矢田支部は、矢田の解放会館(今は名前を変えたのか?)から出たらしい。会館から出て、自分達の、要するに大阪市の建物でなく、自分達の事務所を構えたらしい。
矢田には『ふれあい温泉矢田』と云う、恐らく「俺等にシッポがあるのかどうか、ホンマに見に来いや!」とタンカを切ったのかどうか知らんが、銭湯料金で入れる温泉がある。確か、出来た当時の支部長の肝いりだったはず。銭湯料金で入れるし、温泉の質も有馬と同じらしく(?)近所の人達だけじゃなく、結構遠くからも来てると思う。
専修学院時代に、いわゆる『寺族』という寺産まれの人達と沢山出会った。
正直、『在家』という寺産まれでない事で差別された事もあった。まあ、個人と個人の力関係ではこっちの方が強かったので圧迫『仕返して』しまったのだが。。。
沢山の寺で産まれたと云う『泣き』を観た。
夢の中では弟が泣いていた。でも、私は二役やってたので、どっちが泣いているのか感情に混乱をきかせた。
私は専修学院と云う学校は『本科』と『別科』の2年、2回行った。
気が短く人間性の狭い私は『本科』時代の一年間担当してくれた先生と相性が合わなかった。まあ、人間性が狭いわけやし。
その担当の先生に気の短い私は、結局一年間ずっと絡みまくってた気がするし、卒業式の前の日にも怒鳴ってしまったし。
ある日、多分、私がいつもの如く酔っぱらって居た時だと思うのだが、『寺族』パッシングをした事があった。様子は全く覚えて居ない。でも、私が、「寺族がどうてらこうてら」と、言ってた時に先生が「それは差別だ」と云った。まだ、今より10歳若かった私には全く解らなかった。きっと、なんじゃかんじゃで言い返したんだと思う。
ある一つの運動論で言うのならば『在家』が『寺族』をパッシングする事は差別にはならない。またそれを「差別だ!」と云う事は運動潰しである。
では仏教は?
日本では否定されがちな上座部仏教。
別にこれはイコール『小乗』ではない。『小乗』とは法輪が止まった状態をさして『小乗』と云う事でしかないと私は判断する。
で、その上座部の『上座』とは、如何なるカーストであろうが、世間的名誉であろうが、関係なく、ただ、先に仏弟子になったものを『上座』にするだけ。
大乗・真宗仏教では『同朋』『平座』。
『寺族』も『在家』も『世間話し』にしか過ぎない。
ただ、そういう世間話しが横行しているだけの話。
人間が論理や、目的のみで『行動』出来るのなら、生きて行けるのなら、『救い』は要らない。
『私』の正義の下で誰かが泣いている。
じゃあ、誰が泣いているのか?
「ああいう風に生きたい」
「ああいう風に成りたい」
あるいは
「私は私だ」
と突っ張る。
私が、固定化された『私』にこだわる事によって、夢にまで出て来る涙。
圧迫されて居る『現場』。
倫理でもって涙の現場を理由付け言い訳する。
でも、人って、当然『論理』なんかよりデッカイ。
そんなデッカイ、デッカイ所から出る涙。
兄と弟。誰が泣いてたか解らなくなったけど、最初に泣き出したのは弟の方。
小さくされた弟の方。でも、夢の中の私は二役だったので誰が泣いてるのか解らなくなった。