坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

植物人間

2006年04月26日 | 坊主の家計簿
 4月26日

 雑費   缶コーヒー     120円
 通信   携帯電話     4305円
 食類   おにぎり2個    100円
      イカゲソ      100円
      白ワイン      268円
      かいわれ       28円
      発泡酒       175円
      ウーロン茶       1円
      サラミ        98円
      納豆2パック     39円
      チャルメラ       1円
      刺身(サンノジ)  250円
      新子         68円
      イカナゴくぎ煮   188円
      さわら味噌漬3切れ 150円
      ひるげ3袋      69円
      レトルトカレー    59円

 合計      6019円
 4月累計   89741円

 睡眠時間調整で、今日は夕寝抜き。なので『さっさと酒飲んで寝よ』気分。
 焼酎のアテに刺身を購入。新潟産の天然ハマチが398円で売ってて無茶苦茶美味そうだったのだが、量が多い。。。どう考えても一人では喰えない。。。ので、お初の『サンノジ』と云う魚を頂く。白身で結構美味い。間違いなく養殖の鯛よりは美味い。身もしっかりしてて脂も乗ってるし、結構好み。今度売ってたらまた買お。

 夕方のワイドショーを観てたら、最近の青少年犯罪の事で、また例の『なんで人を殺しちゃいけないんですか?』をやってた。そういや『女王の教室』やったっけ?あれの特番でも教師が生徒に対して「それは、あなたも殺されるのがイヤでしょ!」と首を絞めていたが。。。まあ、年寄りには解るまい。
 
 『なんで人を殺しちゃいけないんですか?』
 と云う言葉は、厳密に云うと『なんで人だけを殺しちゃいけないんですか?』であると私は感じる。
 百姓にとっては『人間以外の生き物を殺す事は当たり前』なんだろうが、都市生活者を始め、現代の私みたいな『若者』はそれから遠ざかっている。が故に、一方で『人は殺しちゃいけません』なのだが、平気で『害虫』は殺す。そういう矛盾を突いた言葉なのだが、いかんせん学校教育に関わる人達を始め多くの人達はその声を押し殺そうとする。
 それは単純な話だ。「私は悪くない」である。単なるヘタレの『罪を感じたくない』と云う理屈である。

 仏教は『十方衆生』と仏から呼びかけられる。『衆生』とは人間だけではない。その辺が仏教の素晴らしい所でもある。例えば最近評判の悪い『一切衆生悉有仏性』であったり、『山川草木悉皆成仏』、『草木国土悉皆成仏』にしても、自己不在の
 ♪往ったきりなら幸せになるがイイ~(ジュリー)
 と云う、梵我一如的な発想の危険性はあるが、根本は『そこからも問われる』という事ではないのか?問われるのは人間だけではない、と。
 故に、私達仏教徒は生き物を殺して食べる時に「いただきます」と合掌するのではないのか?
 また、輪廻思想が残った事の一つに私は「生まれ変わる前には虫であったかも知れない、畜生であったかも知れない」と云う『あらゆるいのちあるもの達と、共に生きよう』と云う思想を観る。
 アートマン(霊)否定の仏教では当然輪廻などあり得ない。輪廻する主体がないのだから。が、輪廻思想が残った中の一つに私はそういう発想方法を感じる。
 また、夏(雨期)の安吾は『生き物を殺して歩く事はダメだ』みたいな思想もあったはずである。

 しかし、それは同時に雨期であっても出歩いて虫を踏んずけて出歩かないといけない人達を斬り裁く事にもなる。しかし、その辺を一番突っ込んで考えたであろう親鸞ですら
 【この如来、微塵世界にみちみちてまします、すなわち一切郡生海の心にみちたまえるなり、草木国土ことごとくみな成仏すととけり。】(唯信鈔文意の異本より)
 と書かれている。
 私は、この思想を決して「往ったきり」の思想とは思えない。むしろ『いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら』の思想の徹底したやつだと感じる。

 『成仏』と云うが、草木国土に霊はない。っちゅうか、仏教は無霊魂である。無霊魂の教説の上で『成仏』が成り立つのは、「私がどう観るのか?」という問題である。
 例えば大谷派(っちゅうか、一部か?我が母校)では『ダイバダッタを救ったのは親鸞である』と云われる。それは地獄に堕ちたダイバを親鸞は『提婆尊者』と云われている。この辺が非常に親鸞らしい。徹底した『悪人の自覚』である。
 
 んが、西洋思想との交流か、あるいは自己を問う事なく『梵我一如』的な発想方法に対する批判なのか解らないが、私にとっての仏教の非常に素晴らしいと感じる点である「あらゆるいのちあるもの達と共に生きたい!」「みんなと一緒に生きたい!」と云う思想を否定する仏教徒も居る。
 だったらクリスチャンになって『人間以外の生物は神から与えられたものである』に成ればイイのだと感じるのだが。。。まあ、これは『砂漠の宗教』であるキリスト教と、虫を踏みつぶして歩く事に罪意識を感じる仏教『森の宗教』との違いなんだろうが。

 多分、年寄りには全く理解出来ないんだろうが、私みたいな『若者』(まあ、私は中年に足を突っ込んでいるが。。。)には、そういう『大人の欺瞞』が目に付く。
 故に、同じ『若者』として言いたい。
 「なんで人を殺しちゃいけないんですか?」
 それは、いのちあるもの全てを殺してはいけないからだ。そして、その『いのち』の中に当然あなたも含まれている。だから大人が云う『人間らしく』生きなくてもイイ。事実あなたは人間なのだ。多くのいのちと共に関係性を生きて居るのだ。

 ♪ドブネズミみたいに美しくなりたい
  写真には写らない美しさがあるから
  もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
  そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
  ドブネズミみたいに誰よりもやさしい
  ドブネズミみたいに何よりもあたたかく
  もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
  そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
  愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
  決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ
  (甲本ヒロト)

  南無阿弥陀仏