坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

無条件

2006年04月23日 | 坊主の家計簿
 4月23日

 雑費   缶コーヒー        120円
      缶コーヒー        105円
 交通費  JR×2          320円
 外食   こんぶ饂飩        260円
 弁当   唐揚げ弁当        473円
 食類   発泡酒          175円
      徳島ラーメン2食入り×2 170円
 薬屋   トイレットペーパー12  298円
      エスカップ12本     648円

 合計      2569円
 4月累計   75063円

 学習会。今日はウパニシャッドの『解脱』と『倫理観』。
 テキストを輪読、後座談。
 で、多分ウパニシャッドの『解脱』と『倫理観』とは直接関係ないのだが。。。


  罪障功徳の体となる
  こほりとみづのごとくにて
  こほりおほきにみづおほし
  さはりおほきに徳おほし
  (親鸞)

 【(煩悩のこおりがとけて菩提のみずとなる)が、それは罪をけしうしなわずして善になされるから、功徳がふえることは同時につみの(自覚の)深くなることである。罪の自覚が深くなって、自分の存在のすべてが罪と化してしまった状態、言わば罪なき人間(倫理や戒律を立派に守れる人間)として生きる余地がなくなった状態、行うことすべてが罪であることを免れないことが自覚される状態が「罪業」の自覚である。それが「卯の毛羊の毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべし」ということである。存在のすべてが罪となっている「自覚」は、すなわちそこに絶対の大悲・仏智がはたらいていることを意味している。】(上田義文『親鸞の思想構造』141ページより)

 【まったく、悪は往生のさわりたるべしとにはあらず。「持戒持律にてのみ本願を信ずべくは、われらいかでか生死をはなるべきや」と。かかるあさましき身も、本願にあいたてまつりてこそ、げにほこられそうらえ。】(歎異抄第十三章より)

 【吾々がエタであることを誇りうる時が来たのだ。
  吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。】(宣言より)


 んで、学習会終了。上記は個人的復習。
 今日は18時始まりの22時過ぎ終了で、かつ、遠方から来てた人(私もだが。。。)が居てたので、いつものファミレスに行かず。。。そうなのだ、この学習会最大の欠点は、校長も教授も酒が好きでなく、しかも車で来てはるのでファミレスなのだ。
 んで、今日は『初!22時過ぎ解散!』でもって、帰りにスーパーに立ち寄る。昼飯を結構喰ったし、夕方に立ち食い饂飩を喰ったし、地元に付いたら23時半やし、脳味噌は「バナナ、バナナ」である。夜食にバナナを食いたい気分&腹である。
 んが、スーパーの果物コーナーに行ったら売り切れてやがんの。
 そんなバナナ。。。

 寝よ。。。