2月23日
雑費 缶コーヒー 120円
タバコ 300円
食 鯖寿司 200円
おにぎり2個入 100円
ミンチカツ2個 100円
焼きイカ 100円
合計 920円
2月累計 92840円
早めに仕事が終わったせいか、いつも鯖寿司等を買いに行く店に色んな食べ物があったので買い込み買い込み。晩飯の分まで買い込み。焼きイカはキャベツと一緒に味噌汁に変更。おにぎりはでっかいシャケとゴロゴロした焼きたらこが『おにぎりの上』の乗っかって居るなのだが、まあ、具がデカイし、あんな具を入れて握られへんしなぁ。。。貰った伊予柑も食べて、インスタントラーメンも食べて一日の食事は終わり。
インドはやっぱりややこしい。。。脳味噌パンク状態やなぁ。。。
と云う事で途中で挫折して先日郵送して来た原始仏典1を読む。っちゅうか、釈尊の生涯でんな。
『成道から伝道へ』と云うのも載ってあって、これが『律』だった。『経』も『聖求経』っちゅうのが載ってあったのだが、それとかなり重複する内容で『成道から伝道へ』と云う『律』が載っていた。『律』とは仏教教団の生活規則である。解説を読むと
【成道から伝道へ(律蔵・大品一~二四)
「大品」は原始仏教教団の規定や行事とその成立事情を記す部分であるが、その冒頭部分にブッタの生涯に関する記述がある。ここにとりあげたのがそれで、成道から伝道の最初の時期までである。】(講談社原始仏典一より)
らしい。
『律』の最初にブッタの生涯が載っていると云う事は、「ブッタの生涯を見習え!」っちゅう事か?まあ、当たり前っちゅうたら当たり前か。。。
『梵天勧請』も当然載ってて、『律』と云う部分で読むと
仏陀「もし私が教えを説いたとしても、他の人人が私の言うことを理解してくれなかったら、それは私にとって疲労であるだけだ。それは私にとって苦悩であるだけだ」
梵天「尊い方よ、世尊は教えを説いて下さい。幸福な人は教えを説いて下さい。この世には、こころの眼の汚れの少ない類いの人々がおります。教えを聞いていないので退歩していますが、聞けば教えを了解する人々はありましょう」
が、なんか痛い。。。
私は仏陀ではないが、仏教徒であり、教団内資格で『教師』っちゅうのを持って居る。んが、法事は別にして、ほぼ読経と世間話しに終始しているなぁ。。。タマに聞かれると嬉しくて喋りまくってしまうのだが、まあ、いいわけやな。
っちゅうか、その前にしっかりと学ばな。。。
親鸞の生涯については覚如がまとめたものがあって、主にそれが伝えられて来ている。
んが、今の研究であきらかにおかしな部分があって、大谷派公式の『真宗』っちゅう機関誌の2月号を読んでると『これからの親鸞伝研究の課題』と云うタイトルで特集(?)を組まれてた。
例えば親鸞は9歳で出家得度をした事に成って居るがあれは疑わしいと。当時、9歳で『入室』したという事は珍しい事ではなかったが、10歳未満の出家はあまり例がないとの事。つまり親鸞9歳の時は入室だけで、出家はその数年後ではなかったのか?と。
また、親鸞が慈円の元に入室した事も怪しいと。当時の慈円は精神的に不安定な時期であったらしく、親鸞が入室した事は無理ではなかったか?と。慈円はまた、1207年の『承元の法難』の時に親鸞と同じ法然の弟子の証空と幸西の身柄は預かったが親鸞の身柄は預からなかった、と。
等々他にもあるらしいのだが、まあ、最新の研究の元に新しい親鸞伝を作ろうとしているのか?大谷派は?よく知らんのだが。。。
まあ、今の所の大谷派公式(?)の『宗祖親鸞聖人』の学習手引き書を買ったまま放ってあるのを読みたくなった。
ので、本棚の『すぐ読むコーナー』に移動、移動。
雑費 缶コーヒー 120円
タバコ 300円
食 鯖寿司 200円
おにぎり2個入 100円
ミンチカツ2個 100円
焼きイカ 100円
合計 920円
2月累計 92840円
早めに仕事が終わったせいか、いつも鯖寿司等を買いに行く店に色んな食べ物があったので買い込み買い込み。晩飯の分まで買い込み。焼きイカはキャベツと一緒に味噌汁に変更。おにぎりはでっかいシャケとゴロゴロした焼きたらこが『おにぎりの上』の乗っかって居るなのだが、まあ、具がデカイし、あんな具を入れて握られへんしなぁ。。。貰った伊予柑も食べて、インスタントラーメンも食べて一日の食事は終わり。
インドはやっぱりややこしい。。。脳味噌パンク状態やなぁ。。。
と云う事で途中で挫折して先日郵送して来た原始仏典1を読む。っちゅうか、釈尊の生涯でんな。
『成道から伝道へ』と云うのも載ってあって、これが『律』だった。『経』も『聖求経』っちゅうのが載ってあったのだが、それとかなり重複する内容で『成道から伝道へ』と云う『律』が載っていた。『律』とは仏教教団の生活規則である。解説を読むと
【成道から伝道へ(律蔵・大品一~二四)
「大品」は原始仏教教団の規定や行事とその成立事情を記す部分であるが、その冒頭部分にブッタの生涯に関する記述がある。ここにとりあげたのがそれで、成道から伝道の最初の時期までである。】(講談社原始仏典一より)
らしい。
『律』の最初にブッタの生涯が載っていると云う事は、「ブッタの生涯を見習え!」っちゅう事か?まあ、当たり前っちゅうたら当たり前か。。。
『梵天勧請』も当然載ってて、『律』と云う部分で読むと
仏陀「もし私が教えを説いたとしても、他の人人が私の言うことを理解してくれなかったら、それは私にとって疲労であるだけだ。それは私にとって苦悩であるだけだ」
梵天「尊い方よ、世尊は教えを説いて下さい。幸福な人は教えを説いて下さい。この世には、こころの眼の汚れの少ない類いの人々がおります。教えを聞いていないので退歩していますが、聞けば教えを了解する人々はありましょう」
が、なんか痛い。。。
私は仏陀ではないが、仏教徒であり、教団内資格で『教師』っちゅうのを持って居る。んが、法事は別にして、ほぼ読経と世間話しに終始しているなぁ。。。タマに聞かれると嬉しくて喋りまくってしまうのだが、まあ、いいわけやな。
っちゅうか、その前にしっかりと学ばな。。。
親鸞の生涯については覚如がまとめたものがあって、主にそれが伝えられて来ている。
んが、今の研究であきらかにおかしな部分があって、大谷派公式の『真宗』っちゅう機関誌の2月号を読んでると『これからの親鸞伝研究の課題』と云うタイトルで特集(?)を組まれてた。
例えば親鸞は9歳で出家得度をした事に成って居るがあれは疑わしいと。当時、9歳で『入室』したという事は珍しい事ではなかったが、10歳未満の出家はあまり例がないとの事。つまり親鸞9歳の時は入室だけで、出家はその数年後ではなかったのか?と。
また、親鸞が慈円の元に入室した事も怪しいと。当時の慈円は精神的に不安定な時期であったらしく、親鸞が入室した事は無理ではなかったか?と。慈円はまた、1207年の『承元の法難』の時に親鸞と同じ法然の弟子の証空と幸西の身柄は預かったが親鸞の身柄は預からなかった、と。
等々他にもあるらしいのだが、まあ、最新の研究の元に新しい親鸞伝を作ろうとしているのか?大谷派は?よく知らんのだが。。。
まあ、今の所の大谷派公式(?)の『宗祖親鸞聖人』の学習手引き書を買ったまま放ってあるのを読みたくなった。
ので、本棚の『すぐ読むコーナー』に移動、移動。