坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

不退転

2006年02月26日 | 坊主の家計簿
 2月26日

 雑費   缶コーヒー    120円
      パワーエイド   168円
      タバコ      300円
 交通費  JR        160円
      南海       320円
 外食   ミックスピザ   504円
      ドリンクバー   189円
 
 合計     1761円
 2月累計  101063円

 今日はボケボケの日。昨夜、深夜に3時間程起きてた以外は合計するとかなり寝てたんだが、と云うか、そのせいかも知れないのだがボケボケ。車で道を間違えるは、お参りしなくていい家に行ったりするは、案内を置いて行くのを忘れてもう一度戻って届けたりで、ボケボケボケボケ。

 夕方から学習会。う~ん。。。インド人はワケ解らん。。。んが、何とか教えて貰いつつ、読んだとこを思い出しつつ。。。

 どうも私は自己関心が強いらしく、ピンと来ない部分は頭に全く入らない。学習会の帰りに持って行ったテキスト以外の本を電車の中で読んだりして「ここは重要そうやから赤線引いとこ」の部分でも忘れてるしなぁ。。。
 まあ、でも、インド思想っちゅうもんの中に仏教が産まれたわけであって、釈尊が何を否定したのか?どういう展開をみせたのか?って云う事から学ぶ所は大きいし、「おお!」っちゅうのもあるし、ちゃんとやっとこ。
 
 んで、学習会。刺激があるなぁ~。今日の学習会には『校長』と『教授』が居てて(まあ、勝手に私が呼んでいるだけだが。。。)、そういう『場』がある。同じくインド思想なんぞ全く学んだ人も居る。そういう『場』がある。
 特に『教授』なんぞ先輩だが、年齢で云うと一つ年下である。もう、出会った時から「ワケ解らん」ぐらいに勉強してやがって、それから延々と勉強してやがるので「もっとワケ解らん」のだが、なんせ世間の相場(?)で云うと私の方が一つ年上である。こういう娑婆意識を私は持って居るので「なにくそ!」と、刺激になる(笑)
 まあ、他の学習会でも同じ。何か一つのテーマにした学習会でも集会でもなんでも良いのだが、そういう『場』に行くと刺激を受ける。さすがにライヴを観に行ってバンドを組みたくなる事は無くなったが、まあ、似た様なものだろう。刺激を受ける。その刺激が力になる。
 『姿勢』も力になる。学ぶ姿勢、教える姿勢。

 教える姿勢なんぞ、一番解りやすいのかも知れない。『伝える姿勢』と云った方が的確かも知れない。
 確か昔のインドの坊さん(まあ、竜樹だったと思うのだが。。。)が「私がこうやって論を作る事自体が菩薩道なのだ」みたいな事を書いて居たと云う怪しげな記憶があるのだが、御丁重に「解りやすく」解き証してくれる事、その『姿勢』か。も、刺激に成る。一応専門職だし。出来の悪い生徒の為にも懸命に伝えようとする『姿勢』。

 んで、私が出来る『姿勢』と云えば、こうやってほぼ毎日酒を飲みながらでも、「目指せ60ギガ!」とエロ画像の収集を趣味にしつつでも、ちょっとづつでも「学んで行こう」と云う『姿勢』を忘れない事か。
 んで、そういう『姿勢』は当然、学習会などの『場』で得られる力である。


 昨日の法事で喋ってて気が付く事が出来たのだが、『寺』と云う『場』に参加するには、『寺』と云う仏教の場に『見学者』としてじゃなく『参加する』には真宗でなら参加条件は念仏申す事ぐらいである。「足が悪く成って正座出来ない人は参加するな」とは書いてない。「女性は参加するな!」とは書いてない。もっと云うと「前科者は参加するな!」とも書いてない。もし書いてあったりしたらそれは念仏ではない。仏教ではない。


 【世尊がさとった者の眼で世間を観察されると、生けるものたちにして、汚れの少ない者たち、汚れの多い者たち、資質のすぐれた者たち、資質の劣った者たち、善い性質の者たち、悪い性質の者たち、教えやすい者たち、教えにくい者たち、また来世に苦しみを受けなければならないと自分が行った罪業に怖れを見つつ暮らしている一部の者たちなどがいるのを世尊は見られた。
 見終わって、世尊は世界の主・梵天に詩句をもって答えられた。

  耳ある者たちに不死へのもろもろの門は開かれた。
  浄信を発こせ。】
  (律蔵・大品より。但し講談社『原始仏典 ブッタの生涯 成道から伝道へ』より。聖求経にも同意文あり)

 
 【仏弟子の仲間に入れてもらえなかった者が、たった一言「南無阿弥陀仏」と称するだけで浄土に往生する者の仲間に入る。往生人の歴史に<参画>できることになったわけですから、すぐに<共鳴>を呼び起こしたと思います。】(藤場俊基『親鸞の教行信証を読み解く』P192より)