2月19日
外食 トンコツラーメン 630円
雑費 タバコ 300円
缶ミルクティー 120円
合計 1050円
2月累計 51582円
♪ロゥ~オオーー!
である。脳味噌でイギーポップが煩くて仕方がない。
と云う診断状況なので、疲労した肉体と精神が
♪ロゥ~オオーー!
と、『疲労』の『疲』を飛ばす為に
♪ロゥ~オオーー!
と叫んで居るのでトンコツ注射をしにラーメン屋へ。
んが、イマイチやったなぁ。。。トンコツならもっとやな、気取りを捨ててデックリと行ったれよな。この軟弱トンコツが!
どぅわいたいやな、『トンコツラーメン』なんぞ下品な喰いもんやんけ。っちゅうか、ラーメン自体下品な喰いもんやんけ。獣の骨を煮込んどんねんぞ。それをなんじゃい、最近のラーメンは。あっさりすっきり出汁をとり過ぎ違うか?もっと気合いを入れてやな、骨髄どころか骨まで溶ける気合いで煮込まんかい。
と云う事でトンコツ注射が失敗だったので今日は気合い入らずだらけて過ごす。本も3ページ読んで挫折。。。っちゅうか、小川一乗『佛性思想』はオモロイ。んが、読むには気合いが居る。『はじめに』からムチャテンション高い。学者やなぁ~。
と云う事でだらけて過ごしていたのだが、メシ喰い~の、テレビを観~の、飽き~の、なので放っておいた『月刊同朋』と云う雑誌を読みながら晩飯を喰らう。
やはり私はこの雑誌を購読したのは失敗やったな。どうも編集方針、っちゅうか、この雑誌を作ってる人達と相性が合わん。まあ、初めて読んだ10年ぐらい前からなんだが。。。
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】(月刊同朋2006・2 P14より)
俺は『決めつけて』なかったぞ(笑)勝手に
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】
と、『決めつけて』貰っては困る(笑)
【誰もが】とある事は、私はその『誰もが』の中に入っていない事であり、『例外』になる。
で、『例外』があるのなら『誰もが』と云う論は成り立たない。ちなみにオウム当時に私は仏教者でも何でもなかった。故に『仏教者は世間ではない』と云う屁理屈も成り立たない。
そういう個別性を無視した話での『誰もが』であり、それはとても危険な思想だ。
どうもこの月刊同朋と云う雑誌からは健康思想が感じられる。ドラッグ臭いイギーポップとは正反対だ。『明るく健全』なのだ。で、『明るく健全』な上での『他を認める』と云う思想だったりする。
金子みすゞが健康だったか?自殺する様なヤツが健康だったか?金子みすゞは病人じゃないか?狂っているではないか?だからこそああいう詩が書けるわけであってやな、金子みすゞは不健康で狂ってて追い込まれた上での叫びであってだな、故に決して
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】
等と、大上段に構えた『伝統仏教でござい!』みたいな感じで考える健康思想とは真っ向から対立する思想なのではないのか?
『いのち』と云う言葉がよく語られる。っちゅうか、まあ、大谷派でよく語られる。御遠忌のテーマにも言葉として入ったりしている。
んが、健康的な『いのち』なんぞ危なくて仕方がない。『いのち』と云う言葉で個別性が見失われる様な危険を感じる。
『いのち』とはゴミだ。ゴミだらけのドロドロベチョベチョしたバイ菌だらけの空間だ。決して綺麗な人間のエゴで掃き清められた空間ではない。
『ゴミ』と呼ぶのもエゴであり、『バイ菌』と呼ぶのもエゴである。
そういう『エゴ』を問うて来る様な『働き』『叫び』『言葉』を『いのち』と云うのならよく解る。踏みにじっている大地からの叫びとしての『いのち』ならよく解る。そしてそこには
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】
と云う思想が入る込む余地はない。
一つの論を組み立てる為に、『お話』として面白く『解りやすく』する為に個別性を無視する思想はあり得ない。
親鸞は犯罪者である。しかも更生していない。それは
【主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。】
でもあきらかである。
話がそれた。。。
個別性を無視する、あるいは『解りやすさ』が持つ健康的な世間性。
と、
『南無不可思議光如来』
外食 トンコツラーメン 630円
雑費 タバコ 300円
缶ミルクティー 120円
合計 1050円
2月累計 51582円
♪ロゥ~オオーー!
である。脳味噌でイギーポップが煩くて仕方がない。
と云う診断状況なので、疲労した肉体と精神が
♪ロゥ~オオーー!
と、『疲労』の『疲』を飛ばす為に
♪ロゥ~オオーー!
と叫んで居るのでトンコツ注射をしにラーメン屋へ。
んが、イマイチやったなぁ。。。トンコツならもっとやな、気取りを捨ててデックリと行ったれよな。この軟弱トンコツが!
どぅわいたいやな、『トンコツラーメン』なんぞ下品な喰いもんやんけ。っちゅうか、ラーメン自体下品な喰いもんやんけ。獣の骨を煮込んどんねんぞ。それをなんじゃい、最近のラーメンは。あっさりすっきり出汁をとり過ぎ違うか?もっと気合いを入れてやな、骨髄どころか骨まで溶ける気合いで煮込まんかい。
と云う事でトンコツ注射が失敗だったので今日は気合い入らずだらけて過ごす。本も3ページ読んで挫折。。。っちゅうか、小川一乗『佛性思想』はオモロイ。んが、読むには気合いが居る。『はじめに』からムチャテンション高い。学者やなぁ~。
と云う事でだらけて過ごしていたのだが、メシ喰い~の、テレビを観~の、飽き~の、なので放っておいた『月刊同朋』と云う雑誌を読みながら晩飯を喰らう。
やはり私はこの雑誌を購読したのは失敗やったな。どうも編集方針、っちゅうか、この雑誌を作ってる人達と相性が合わん。まあ、初めて読んだ10年ぐらい前からなんだが。。。
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】(月刊同朋2006・2 P14より)
俺は『決めつけて』なかったぞ(笑)勝手に
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】
と、『決めつけて』貰っては困る(笑)
【誰もが】とある事は、私はその『誰もが』の中に入っていない事であり、『例外』になる。
で、『例外』があるのなら『誰もが』と云う論は成り立たない。ちなみにオウム当時に私は仏教者でも何でもなかった。故に『仏教者は世間ではない』と云う屁理屈も成り立たない。
そういう個別性を無視した話での『誰もが』であり、それはとても危険な思想だ。
どうもこの月刊同朋と云う雑誌からは健康思想が感じられる。ドラッグ臭いイギーポップとは正反対だ。『明るく健全』なのだ。で、『明るく健全』な上での『他を認める』と云う思想だったりする。
金子みすゞが健康だったか?自殺する様なヤツが健康だったか?金子みすゞは病人じゃないか?狂っているではないか?だからこそああいう詩が書けるわけであってやな、金子みすゞは不健康で狂ってて追い込まれた上での叫びであってだな、故に決して
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】
等と、大上段に構えた『伝統仏教でござい!』みたいな感じで考える健康思想とは真っ向から対立する思想なのではないのか?
『いのち』と云う言葉がよく語られる。っちゅうか、まあ、大谷派でよく語られる。御遠忌のテーマにも言葉として入ったりしている。
んが、健康的な『いのち』なんぞ危なくて仕方がない。『いのち』と云う言葉で個別性が見失われる様な危険を感じる。
『いのち』とはゴミだ。ゴミだらけのドロドロベチョベチョしたバイ菌だらけの空間だ。決して綺麗な人間のエゴで掃き清められた空間ではない。
『ゴミ』と呼ぶのもエゴであり、『バイ菌』と呼ぶのもエゴである。
そういう『エゴ』を問うて来る様な『働き』『叫び』『言葉』を『いのち』と云うのならよく解る。踏みにじっている大地からの叫びとしての『いのち』ならよく解る。そしてそこには
【世間の誰もが「オウムは絶対的な悪だ」と決めつけていたときに、】
と云う思想が入る込む余地はない。
一つの論を組み立てる為に、『お話』として面白く『解りやすく』する為に個別性を無視する思想はあり得ない。
親鸞は犯罪者である。しかも更生していない。それは
【主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。】
でもあきらかである。
話がそれた。。。
個別性を無視する、あるいは『解りやすさ』が持つ健康的な世間性。
と、
『南無不可思議光如来』