ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

小説を書く。その2

2024-09-13 | あらためて文学と向き合う。
 この3月あたりから小説を書いているのだけれど、「世の中にこんな面白いことがあるのか」といった塩梅で、ほかのことをやる時間がない……そもそも、ほかのことをやる気にもならない。だからブログも更新できない……。
 ということを、今年の4月にここに記した。「小説を書く。」というサブタイトルの記事だ。それで、そろそろ半年が経って、だいたい半分くらいまで、できた。
 400字詰め原稿用紙に換算すると、200枚を少し超えたくらいだろう。かなり遅い。しかし、草稿や反古、細かい書き直しなども含めれば、その6~7倍は書いていると思う。
 だからぼくのばあい、パソコン(のワープロ機能)がなければ、文章を完成させることができない。これは小説のみならずブログも然り。
 思えば、はるか昔、高校時代には、なにかしら毎日、ノートに文章を書いていた。ごく簡単な日記とか、本やらドラマの感想とか、折々の心境とか、印象に残ったことばとか……。とにかく何でも一冊のノートに書きつけた。文字どおりの雑記帳だ。それが、高校の3年間で5冊分くらいにはなったろうか。
 そのなかには、小説の断片めいたものもあったと思う。映画でいえば、ワンシーンではなくワンショットくらいの、ごく短いスケッチだった。そういうものをいくつか書きとめたはずだ。
 はじめて小説を書きあげたのは18の時だ。当時はコンビニがまだなくて、近所のスーパーでコクヨの400字詰原稿用紙の50枚セットを買ってきた。冊子になっているものではなく、バラで透明な袋に入ったやつだ。そこに、HBの芯のシャーペンで書いた。きっかり50枚の短編ができた。
 それから今日までの、けして短いとはいえない歳月のなかで、特筆すべきエピソードといえば、20代のおわりに文芸誌の新人賞に応募して、二次選考まで残ったことくらいか。
 この時は両親もとても喜んでくれたが、このあいだ実家に帰って話したとき、その話を出したら「そんなことあったかな」と二人とも首をひねっていた。まあ、ぼく自身ふだんはすっかり忘れていて、こんな時でもなければ思い出すこともないので、べつに薄情とはいえない。
 その雑誌は、いわゆる「4大純文芸誌」のひとつで、かつて70年代には村上龍と村上春樹を輩出した。10代後半から20代までのぼくはこの2人に傾倒していたから、「新人賞に応募するならこの雑誌」と決めていた。
 二次選考まで残ったときは、「よし。これでコツは掴めた」と思い、勢い込んで翌年にまた投稿したら、これがまったくの門前払いで、たしかそのあと2回くらいは送ったと思うが、やはり相手にされなかった。
 仮に「二次選考まで残る」というのをヒット(単打)、「最終選考に残る」を長打、「新人賞をとる」を本塁打にたとえるならば、ぼくのケースは、
「まぐれ当たりでボテボテのゴロが転がって、運よく野手の間を抜けた……」
 といったていどのことだったのだろう。それでなにか勘違いしてしまい、言葉だけが上滑りしている、すかすかの作品をせっせと投稿していたのだから、その結果も当然だった……と今は思う。
 それからネット社会になって、「ケータイ小説」なるものが出てきたり、「なろう系」というワードを見かけるようになったり(ぼくはいまだに「なろう系」というのが何だかはっきり知らないのだが)、又吉直樹さんが芥川賞(直木賞ではなく)をとったりして、ぼく自身、「小説」というものがよくわからなくなってきた。
 より精確には「今の社会のなかで小説が果たすべき役割がよくわからなくなってきた」というべきか……。ここでの「小説」とは、もっぱら「純文学」のことで、だったら「今の社会のなかで文学が……」といったほうがいいのだろうか。
 いずれにしても、中上健次が亡くなったり、大江健三郎の作品が大衆レベルではほとんど読まれなくなったり(ノーベル賞をとってさえも)……という状況のもとで、「社会」にたいする「文学」の影響力が、どんどん弱まりつつあったのは間違いない。
 それらは90年代に起こったことで、だからネットが普及する前なのだが、ネット社会の到来で、その流れはいよいよ加速された。
 何年か続けて門前払いをくったあと、ぼくは新人賞に応募しなくなり、小説を書くことにも熱が入らなくなっていくのだが、それはむろん、たんに自分の才能が乏しいってだけのことではあるにせよ、上述のような「状況の変化」と無縁でもない。
 「新人賞をとる」ということは、「当面の目標」として、ある。それはけして小さなことではない。ただ、その先に……というか、そのずっと上のほうに、
「小説を書くこと、すなわち文学にかかわることによって、社会をより活性化させ、すこしでも善き方向へ導く……」
 という、こうして実際に記すといかにも大げさで、いくぶん自己啓発セミナーっぽい匂いすら感じる言いかたになってしまうのだが、それでもやっぱり、ことばにするならこう書くほかないような、「大きな目標」ってものがある。
 そんな「大きな目標」が、時代の推移でどんどん見えなくなっていく。いまもその勢いは増すばかりだ。「小説というものがよくわからなくなってきた。」と上で述べたのはそういうことだ。
 新人賞もとれず、「大きな目標」も見えず、ということで、ぼくはずいぶんと長いあいだ、創作から離れていたのだが、ただこのブログだけは続けていた。あまり更新はしないけども、いちおう。
 創作はしなかったにせよ、とりあえず、文学には惹かれつづけていた……ということだ(アクセスがくるのはアニメの記事ばかりだが、これは文学ブログです)。
 ブログを続けていたことは、何よりも、自分にとって「よかった」と思う。文章を書くのは、とても大事だ。やはり映像や音楽を享受しているだけではだめで、自分の「言葉」を使いつづけなければいけない。
 ことばを使いつづけているかぎり、読書欲も衰えない。
 そのなかでケン・フォレットの『大聖堂』と出会い(児玉清さんのエッセイがきっかけだった)、トルストイやディケンズやバルザックなどの「19世紀小説」の衣鉢が今日の「エンタメ小説」に受け継がれていることを改めて知って、がらりと新しい地平が開けた気がした。
 それから、皆川博子のここ20年くらいの作品たち。ヨーロッパあたりを舞台に据えた一連の歴史小説。
 とりわけ、『海賊女王』と『聖餐城』。これはほんとに凄かった。
 なんのことはない、小説とは、何よりまず、「面白い」ものなのだ。「社会の中でどのような役割を果たすか」なんて関係ない。いや関係ないことはないのだろうが、それはあくまで二次的なことだ。
 「読んで面白い。」それでいい。
 真に面白い小説は何度でも読める。1度目は夢中になってはらはらしながら寝食を忘れて読み耽る。2回目は「ああ。これがあれの伏線だったのか」と発見を楽しみながら読む。3度めは構造を分析しながら読む。4度めは……。
 と、こちらの関心の度合いに応じて、いくらでも深く入り込んでいける。
 そういう小説を、じぶんでも書きたい。
 と思って、書き始めた。冒頭で述べたとおり、それがだいたい半分くらいまでできた。
 ジャンルなどはわからない。純文学ではないのは確かだが、かといって、ミステリーでもない。ビジネス小説ともいえない。
 リアリズムの基準でいえば、ひどく誇張された性格の「類型的」なキャラたちが、激しく感情を剥き出しにしてぶつかり合っている。だからストーリーも波乱に富む。このブログでも何度なくとりあげた「メロドラマ」である。SF調のギミックも出てくる。
 だからライトノベルなのかもしれない。しかし冒頭部分を読んでくれた知人は「ラノベにしては語彙が多いし言い回しとか表現が難しすぎる」といっていた。ぼくは『君の名は。』関連本と「涼宮ハルヒ」の1作目以外にライトノベルを読んだことがないのでよくわからない。だがもちろん、そう言われたからといって書き方をかえるつもりはないので、自分が読んで「面白い」と思えるよう、ただそれだけを目指して書いている。
 だから自分にとっては、とにかくこれが、古今東西、ほかのどんな小説よりも(さらにいうなら、マンガやアニメやドラマや映画なんかを含めたどんなコンテンツよりも)面白い。小説を書くこと自体も面白いし、ゆっくりと、ゆっくりと全容をあらわしつつある作品そのものも面白い(小説とは「作る」ものではなく「恐竜の化石を掘り出す」ようなものだとスティーブン・キングがいっていた。詳しくは前回の記事を参照してください)。
 先が気になって仕方がない。キャラたちがこれから先どう絡み合い、どんなセリフを口にして、どんな関係性を取り結ぶのか、ぜひ読んでみたい。
 18のころから断続的に小説を書いてきて、こんな気持ちになったのはこれが初めてだ。あるいはぼくは、今になってようやく、「小説を書く」ということの意味が……もっと言うなら「小説」というメディアのもつ力が、ようやくわかってきた……のかもしれない。