英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

最近の『将棋世界』は、面白さが減った

2023-05-20 22:07:15 | 将棋
最近の『将棋世界』はつまらなくなった。
……正確に言うと、面白さが減った。
 そう言えば…いつの頃からか、ページ数も減っている。たまたま手元にあった2001年10月号は274ページ(750円、消費税は5%)、今年の6月号は242ページ(870円、消費税10%)。

 《日本の物価はずっと上がらず、賃金も上がらず》で、この状況は経済や人材獲得の点から言うとマイナスで、日銀主導の円安政策で《正常な物価上昇》(←庶民にとっては“余計なお世話”だ)、《賃金上昇》を目指し、物価上昇で、ここ1年で、物価上昇は30%アップ(←私の主観)。物価高騰はコロナ感染拡大やウクライナ侵攻などの影響も大きいが、円安が要因であるのは間違いない。
 将棋世界誌の低下は、私の実感としては、世間の物価上昇曲線(双曲線)とは違い、比例直線のように感じる。まあ、その定価上昇具合はともかく、20年以上(定価が750円になったのはいつなのかは不明)で16%アップというのは許容範囲であろう(ページ数が減ったので実質20%程度アップか)

(【追記】
更に将棋世界誌を発掘。1993年1月号は266ページ(680円、消費税3%)。30年?で28%アップ)

 問題なのは、面白さが減ったこと。
 特に、この1,2年の低空飛行は残念である。
 誌の構成としては、巻頭カラーグラビアでは、タイトル戦の結果・観戦記や大きなイベントトピックス記事、それに、スポットを当てる棋士の写真。
 モノクロページの最初は、「リレーエッセイ」(3ページ)、「俊英棋士インタビュー」(12ページ)、「女流棋士たちのエモーション」(11ページ)……続けて読むと食傷気味になる(順番に読む必要はないが、性格的に順番に読みたい)。

 エッセイは好きな方だが、申し訳ないが、面白くないか少しだけ面白いという程度が多い。最近では中村真梨花女流三段(5月13日に四段昇段・おめでとうございます)が面白かった。
 今月号(6月号)の長谷部五段のエッセイは疲れる。
 《気分転換》を主題に、それに関連することを連ねていて、一応の一貫性はあり、それぞれのエピソードも工夫しているのだが……

 「趣味は何ですか?」と聞かれることが多くて、それに困っている状況と、「四段になった時の調査書の趣味の欄に“プロ野球観戦”と書いた記憶があるから、(趣味は)“野球観戦”になるだろうか」と書き始めていた。
 しかし、《対戦チームの主力の成績を調べ、作戦や打線などを想定する》《18時試合開始なら、13時ごろに球場入りし練習の豪快なバッティングやバックホームの返球の凄さを堪能したり、選手の調子をチェック》……野球の話になると話が止まらないことに気づいた、これからは、趣味は野球観戦ですといっておきたい……最初の「趣味は野球観戦……になるだろうか」というのはフェイントで、実は“ガチガチの野球ファン”だったというオチ。
 また、「対局中の一番の気分転換は連盟内に置いてあるコーヒーメーカーでお茶やコーヒーを飲むこと……、余談だが、コーヒーメーカーの使い方が最初分からなかった。ふたの部分が空くのを知らずに、いきなり給油ボタンを押していた。なので、ランダムにお茶やコーヒーが出てくるものだと思っていた。実際は、前野の日とのセットしたお茶やコーヒーが薄まってでき来ていただけだった(←要約)。職員に「運試しのルーレットのようなものなのか?」と聞こうとしていた……というオチ。

 
 上記のエピソードは面白いのだが、文章の推敲が不十分。例えば……
球場には東北楽天イーグルスさんと東竜門とのコラボイベントで現在の楽天モバイルパーク宮城で2018年に観戦してから4シーズンいけていない……文や語句が長い(私も人のことは言えないが)
以前ある棋士に「長谷部、最近いいことがあった?」と聞かれたので、「いや、ないですね」と答えると「カレンダーに(余白の無駄なく)きれいに予定を書き込めて、それがすごくうれしかった」と言われて、気分転換のうまさに驚愕した覚えがある。
 ……前半の質問されて答えた部分は要らない。“カレンダーにきれいに予定を書き込めたことがうれしい”のは、《気分転換のうまさ》ではなく、《予定がびっしり詰まっていることの多忙さ》か《その状況を喜ぶ性格》を表すエピソードだ。
読者の皆様に採点していただく意味でも、私なりの気分転換を以下に書き記したい(その後、コーヒーメーカーのエピソード)……文意がよくわからない。削除した方が良い。
(食レポに挑戦したエピソードで)スイーツをいただくことはわかっていたので事前に数種類は研究していたのだが、想定とは違うメニューが出てきたので軽いパニックになってしまい、「……お餅が入っていますね」という、ただ事実を報道しただけのジャーナリズムを感じさせるコメントでCMに入ってしまった………エピソードとしては面白いが、「報道」、ジャーナリズムを感じさせる」という表現はどうなのか?この記事を書いていて、《ああ、皮肉を込めた自虐的表現なんだな》と思ったが、初見時は《報道を馬鹿にしている?》と思った。
(観戦記を書いた時のエピソードで)私自身、序中盤を綿密にしっかりと研究して、中終盤で妥協なく読んで勝つという理想の将棋像を持っているので、観戦記を書く際も序盤の綿密な事前取材、中盤の対局室でのメモや感想の取材、終盤の妥協のない執筆を意識して観戦記に取り組んだ。
 いたらないとこも多々あったと思うが、その経験をしてから観戦記者の方々仕事に対する妥協ない姿勢を以前に増して感じるようになり、観戦記のつくようなところで1局でも多く指したいという気持ちが強くなった
……言いたいことや気持ちも分かるし、同じような表現を重ね対比する手法も分かるが、同じような表現が続くので、疲れる。

 おそらく、非常にあれこれ考えて時間をかけて工夫して書いたと思われるが、もう少し推敲してほしい。(出来上がった文章を全体を通して読んでいないと思われる。読み手を意識していない)


 ……ああ、余計なことを書いてしまった。書いているうちに吐噶喇が入って、あれこれ書き過ぎている。長谷部五段の事を言えない……

 エッセイの後、若手棋士、女流棋士へのインタビュー記事が続く。それぞれは興味深いが、20ページ以上続くのは食傷気味。しかも、「俊英棋士インタビュー」は8回目、「女流棋士たちのエモーション」は7回目である。
 私としては、そんな記事(ごめんなさい)より、観戦記のページをもっと増やして、知りたい変化や対局者の心の内を書いて欲しい。
コメント (4)
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