英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

「耳かき店員殺害判決」に思う

2010-11-03 17:21:25 | 時事
 以前、裁判についての記事を書きました。
 確か、主旨は「弁護士が真実を明らかにしようとせず、ひたすら被告の罪を軽くすることに努めることに対する批判」だったと思います。
 それに対し、裁判や法律に詳しい人の意見は「裁判は真実を明らかにする場ではなく、罪や刑(責任や補償)を決定する場である」と。
 素人ながら私なりの解釈した結果が「検察官と弁護士が綱引きをして、その釣り合いの取れた地点を裁判官が判定する」というものでした。

(以下も私の素人考えです)
 その引っ張る力(判断の材料)となるのが、
①犯した罪の重さ(殺人・強盗・詐欺などの罪の種類やその人数、被害の大きさ)
②罪の背景(動機、計画的か偶発的か、過失、正当防衛、過剰防衛)
③情状酌量(自首・出頭、罪を素直に認めたり反省する、既に社会的制裁を受けている)
④社会的影響(被害者家族の心情や社会に与える影響←警察官や裁判官や教師など倫理観が必要とされる職業)
⑤被告の精神状態(異常で責任を問える状態かどうか)

などが考えられます。

 私は①が最重要視で90%近くで、10%を②が占めるべきだと考えます。計画的かどうか、動機も重要だと思います。
 ①が9割なのは、被害者にとって、例えば人生を絶たれることは、その動機などには関係ないですから、罪の重さ以外のことで大きく刑が左右されるのはおかしいと思います。

 今回の判決の場合、「被告の動機が誤った恋愛感情によるもので非常に悪質とは言えない。反省も見える」という判断も加えて、無期懲役となったようです。
 ここで私が思ったのは、「反省すれば刑が軽くなるのか」ということです。
 もちろん反省はして欲しいし、するべきだと思います。しかし、反省しようがしまいが罪の重さは変わりません。犯した罪の重さはその後の反省とは全く無関係です。 同じ観点から、被害者家族の心情もあまり判断材料にするべきではないでしょう。被害者が世捨て人か国民的大スターかで、刑が左右されては、裁判の意義自体が揺らいでしまいます。と言っても、被害者の心情を思うと画一的であるべきとも言い難いですね。

 今回のような事件、恋心が昂じてストーカー、ストーカー行為が殺人に至ってしまう例は、今後も(かなりの頻度で)起こり得そうです。
 それなのに、「反省したから」無期懲役になったという印象を世間に与えてしまったのは、いかがなものでしょうか?(後付けの「反省」、しかも「反省したふり」でも可かもしれません)
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『将棋世界』12月号の発売日 ~私が田舎を感じた日~

2010-11-03 16:37:32 | 将棋
 実際は昨日のことなのですが、11月2日は『将棋世界』12月号の発売日でした。
 通常は発売日に書店に買いに行くことはありません。入荷していないことが多いので、発売日から2、3日、忙しいと1週間や10日ぐらい経ってしまうこともあります。昔と違って、棋戦情報はもちろん、棋譜や解説もネットで得ることができるので、多少遅れても関係ありません。それに、まだ先月号を完読していませんし。
 でも、今月は竜王戦と清水女流×あから2010戦があります。昨日あから戦の記事を書こうと思っていたのですが、それを読んでからの方がいいと思って、買いに行ったのですが、空足でした。さらに翌日の今日は祝日なので入荷はないので、4日まで待たねばなりません。普通の日ならともかく、次の日が休日の場合は頑張って入荷していただきたいものです。
 田舎の方が、自然、空間、抒情の面で恵まれていますが、経済面や文化面では都会が羨ましいです。特にイベント(スポーツや将棋の大会)や博物館などはそう感じます。
 それはともかく、都会だと『将棋世界』はいつ手に入るのでしょうか。実は、それが知りたくて、記事にしました。
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