人生は物語です。
人生には色々な出会いがあり、事件や出来事に遭遇します。
そして一番大きな事柄を中心に生涯は語られるでしょう。
人生は一つの物語です。
昔「誰でも小説の一つや二つは書けるもの」とよく聞きました。
これは自分を主人公に小説は書けるもの ということでしょう。
そして人生は物語だから という意味が込められていると受け取りました。
小説という大げさなものではなくとも、皆 どこの人生で区切っても 少なくても己を語れる話はあるでしょう。
ただ 物語とは、運命論的なものではなく、自由設計的な‘枠組み話’みたいなもの でしょう。
一般的には、付き合いの長さに比例して(お互いの)物語がより細かくみえたりするのでしょう。
しかし、稀ですが、人によっては 初対面でも 瞬時に 相手の物語を理解出来る方もいるでしょうね。
初めて会った方でも以前会った感じのする方のいらっしゃるということはこれに近いものでしょう。
そう この物語の読み合いが、人間のコミュニケーションの底にあるような気がします。
人との意気投合、好き嫌い、憎愛は、相手の持つ物語の相性なのでしょう。
落胆や喧嘩や 失恋やらは相手の物語を読み違えた結果ともいえるでしょう。
最近今までにはなかった犯罪や事件が多くなったのは、相手の物語を読み違えたものもあるように思います。
日本古来の、厳しい環境下で培われてきたDNA、相手を慮る、相手の将来や目的をも考慮に入れる、相手との共生的な、生き方は少しずつ薄らいでいるように思います。
そしてこれは 相手の物語を読み難くしている社会の変節に由るところが大きいように思います。
自由や人権、プライバシーの過大解釈が行き渡って、人々の、相手の、物語を見え難くさせてはいないでしょうか?(因みに 自由、人権、プライバシーの先進国たる欧米で同棲期間が長いのは、ジョブホッパーが多いのは、このへんに問題があるからでは)
日本で近年、自由・人権・プライバシー保護は絶対正義になってきました。
お互いが見え難くなってきているということは、嘘が普通に多くなり、差別化の拡大を経て、多くの人が、トランプさん、ゴーンさんのように妖怪化するような気がしてきます。
自由・人権・プライバシー保護に負けない理論武装、共生社会の堅守、物語を語り合う社会を目指して行きたいものです。
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