さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

1月末日にあたって…

2019-01-31 09:53:18 | ダイアリー
もう1月は終わりです。この一か月間何をしていたのだろう?
例年なら年間の目指すターゲットを決めていたのに、今年は普段通りに過ごすとしたのに、何か残してしまった ような 1月でした。

若い時は こんなことを学びたい、この辺まで学びたい、収益を達成したい、効率のいい売り方とはなに、グループの人心をまとめたい などを考えていたものでした。家庭や学校や社会や時代の 環境や価値観などに影響されて、多分皆さんと同じように、計画や目標を定めたものでした。

あまり眠れないので、今朝4時過ぎにスマホのラジオを点けると、画家の野見山暁冶氏(98歳で、彼の風景画は好いです)が語っていました。ボーっと聞いていて うろ覚えですが「作品とは、画家の立場では、対象の表層を描くのではなく、それを形作っているもの (中に)存在しているの を探し求めるもの」と、そのようなことを、言われていました。

なるほど です(よね)

野見山氏の言葉から、人は 特に年を取ると 若い時とは違って、人間社会のみならず、自然界に、過去に 将来に、生活にかかわる社会全体に その関心を向け、その底に・裏に・真に 何があるのか(追い求めることに)興味を持つようになる のではと、ふと思いました。

そういえば、
撮像素子がフルサイズのカメラを初めて覗いたとき(レンズの違いでしょうね) 何か見えないものが見え始めた記憶があります。山中や海辺での療養後に、古典的な(長く読み進まれてきた)哲学・経済・文学書の読後に、講義・講演・演奏会後・絵画鑑賞後・スポーツ競技観戦後に、失敗後や身近な人の死後に 世の中が変わってみえた記憶も あります。

違う骨格はあるのでしょう(ね)

今年は 情報過多で見えづらくなっている 生活や情報を構成している 要素や枠組み・エレメントを その一部でも かけらでも 普段の生活の中で見つけられたら いいかなぁ…
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