Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ZEISSの空気35. 馬が合う

2018年07月21日 | Okinawa

 芸術系の人間の、それも若いときだけの感性だが、妙にフィーリングが合う女と至極まれに出会うことがあった。調度ジクソーパズルのように2枚の紙片がぴたりと合う感覚、それはスライダーを投げるように肩の力を抜いたような案配で、こいつと暮らせば気遣いしなくていいよなと思わせてくれる感覚を残してくれた。そして拾わないと他の形の合わないジグソーパズルの大量のチップのなかに埋没してすれ違ってゆくのだが、馬が合うという表現かな。

 大半は、歳だからソロソロあきらめてという、あきらめ婚とか、まあ男と女は違うしさと達観した者同士の達観婚とか、できちゃった婚といった案配でカップルができあがってゆく。つまりパズルのチップが似ていたけど少し違ったかぁー、といった案配だ。だから少し削ったり継ぎ足したりするわけだが、それで馬の合わないカップルばかりの仮面夫婦となる。男と女の関係程度の話では、それ位の誤差があって普通のことなのだろう。

 多分馬が合うというのは、どこかに共通性がある。それが生い立ちであったり、育て方であったり、苦労していたり、価値観であったりと探っても答えは出ない。ようは感性がそんな共通性を嗅ぎ取ったのだろう。

 そんな馬の合う女をひろいそびれたと思うことがあった。もっと自分に正直であればよかったのだが、若い頃はいろんな向上心のみならず、思惑・欲望・野望が働くから、それらが邪魔をして自分の感性に正直になれず、ひろいそびれたのだろう。人間は、そうして自分の感性とは違う選択をいつもしているわけだ。

 というのも先日の祇園祭で大量のカップルが成り行きでできあがり、夏の暑さで頂点に上り詰め、それでやっぱり馬が合わないと気がつけば、京都には縁切り寺の安井金刀比羅宮がある。そこで願かけをして縁を切り、また来年に次のチャンスねというわけだ。祭が男と女をひっつける役割は今も昔も変わらない。そして縁切り寺も必要になる。これらはセットなのだ。

 その祇園祭前半が終わり、一時少し静かな日々に戻った。京都の夏も最高気温38度以上の日が一週間以上続いているし、この先の予報でもまだ一週間はこの暑さだ。これほどに暑い京都の気温は私は記憶にない。過去には、フィールドサーベイで出かけた中国広州市で連日40度の気温を体験しているが、それに迫る京都の最高気温だ。

 だから、せめて画像ぐらいは沖縄にしよう。画像はもろに沖縄の成り行きカップル風。オカンの方が支配的な感じもして日焼けてしていて素晴らしい。オトンのひ弱な感じは内地からきたのかな!?。

 最近、色の白い女子アナみたいなポニャポニャ感が漂う女の子って都会には多いのだけど、いかにもスポーツをしてない感じがモロだ。私スポーツ苦手でと愛嬌を振りまいても、この猛暑のなかで体が動かないなんて、こちらは願い下げだよ。猛暑だと自己管理も家事も旅もできない人種ですといっているようなもので、そういうつまらない女には手を出さないことだね。

 私には、ひ弱な文学的趣味はないので、やはりスポーツとか農作業とかをして黒くたくましいほうが魅力的だなというのが最近のテイストですけど。

 

那覇市松山

SONYα6000,ZEISS Vario-TessarE4/16-70mm

ISO25600,焦点距離24mm,露出補正-0.3,f/8,1/25

 

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