週刊誌の見出しだったかWEBの記述だったかは忘れたが、AI が人間にとってかわる時代が来る、そんな記事を読んだことがある。
AIは、順列組み合わせであらゆるパターンを休むことなく演算するから、芸術もロジックを解明すれば、AIで絵が描けるというわけだ。
だから文科系だ、いや絵が描けない人種の台詞だと、私が無視したい発想だと思われる。
AI「MIKAMIさんのこれまでの思考と描いてきた絵の傾向などを演算して、絵を描きました、いかがですか?」
MIKAMI「何これ!、なんで抽象画なの?、これは没!!!」。
AI「MIKAMIさんのこれまでの傾向を演算すると抽象画がお好きという結論がでたものですから・・・」。
MIKAMI「俺、今日からクラシックな絵が好きになったの、」。
AI「そんなデータは、MIKAMIさんのファイルにはないのですが・・・」。
MIKAMI「だからAIが描いた絵をみてさ、抽象画はつまらないと気がついたのさ、今から気が変わったわけ、ボケカスAI!、消えてしまえ!!!」。
データというのは、現在から過去へのベクトルである。だから過去データを未来に当てはめようとすることはできない。順列組み合わせ程度のことは既に多変量解析でやってきたから特段新しい方法とも思われない。さらにAIが描いてきた絵をみて気が変わったというのは予測式でもだせない。
つまり芸術家は気まぐれなのだ。だからAIが描いてきた絵をみて、その場で気が変わるということはありえる話だ。気まぐれだからこそ芸術が成り立っている。さらにいえば、AIが人間にとって変われるのは、車の運転などのようにルールがあって定量化しやすいルーチンワーク止まりなのである。従ってAIは、永久に人間にとって変わることができない。
AIを最初に使い出すのは、芸術家、特にデザイナーではないかと思う。
「ああっ、ミニコミ誌のイラストかぁーー、請負金額が破格に安いからなぁー、AIに最適解でもデザインさせておこう。どうせ文科系の編集者はデザイン経験がないし、読者なんか芸術に無縁な人達ばかりだからさ・・・。さてAIに仕事をさせて、その間に個展の作品でもつくろうっと・・・」
そして芸術家の個性も一定である必要はない。あるときはレンブラント風に、またあるときはカンディンスキー風に、そしてあるときはムサ美風に(何それ!、データないじゃん)と、つまみ食いして、それを素材にして表現したりできるわけだ。つまり傾向が読み取れないのが作風になってゆくかもしれない。
そんなわけでAIが登場してきたら、毎日がAIと喧嘩だろうね。所詮AIは人間の道具の一つでしかなく、もし人間の能力を補完するとすれば痴呆症の患者ぐらいはサポートできるかもしれない。
いずれにしてもそれは、気の合わない女と一緒にいるみたいでやだねぇーー。人間は、映画「her/世界でひとつの彼女」みたいに絶対にAIに恋することはないんですね(笑)。
さて軽く沖縄でダイビングをするので、このブログも数日ほどお休みです。
2015年9月4日 沖縄県慶良間諸島アジュメール号
OLYMPUS E-M1、M,ZUIKO DG FISHEYE8mm/F1.8
ISO200,露出補正-1,f/11,1/1000