☞ Parable of Lazarus and the Rich Man: The Parables of Jesus with R.C. Sproul
最初から6分11秒まで。
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最後のセッションで、金持ちで愚か者の例えを見たいと思います。
富に信頼を置くことが如何に危険であるか。
富に憑りつかれることが如何に危険であるか。
この点に関して、あまり深刻ではない例を取り上げたいと思います。
よって、このセッションで、地獄を取り扱っている例えについて話そうと思います。
富んでいる人とラザロの例え、あるいは、単純に、金持ちとラザロの例えと呼ばれる例えをお読みします。
ここで、富んでいる人(ダイブス、Dives)とは、実際には適切な人ではないという意味です。
ラザロと言う名の男がいて、ダイブスという名の男がいる。
ダイブスとは、ラテン語では「金持ち」という意味ですが、この例えにおいて、この男の名前は分かりません。
ちょっと時間を取って、イエスが与えたこの例えを見ていきましょう。
ルカの福音書16章19節から。
ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
非常に恐ろしい例えです。
重大な対比にフォーカスが当てられた例えです。
この例えの特徴は、ダイブスと呼ばれる金持ちとラザロという名の乞食。
金持ちの男は、大変贅沢な形振りとして描かれています。
紫色できめ細かい亜麻布でできた、王家のような衣を着ている。
一年に一度とか、1月に一度とか贅沢な生活をしているのではない、毎日のように贅沢に暮らしている。
この男とは対照的に、ラザロという名の乞食がいた。
彼は、不治の皮膚病を患っていて、爛れが彼の体を覆っていた。
その金持ちの家の門まで、自分で動くことさえできず、そこまで誰かに、例えば友人に担いでもらう必要があった。
門のところで彼は横にされ、金持ちのテーブルからこぼれ落ちたパンくずで養ってもらおうと思っていた。
彼は残飯の残りで生活することに満足していた。
金持ちの贅沢な食卓から放られた残り物だ。
さらに、犬がやって来て、皮膚の爛れをなめた。
さて、思い出して欲しい。
イスラエルやパレスチナでは、犬は人間の親友ではありませんでした。
犬は家で飼うペットではなかった。
基本的に野生であって、ゴミをあさる極悪な動物と見なされていた。