みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#64 基礎教理 Parable of Lazarus and the Rich Man, NO.1

2024年05月28日 | 基礎教理

Parable of Lazarus and the Rich Man: The Parables of Jesus with R.C. Sproul

最初から6分11秒まで。

◇◇

最後のセッションで、金持ちで愚か者の例えを見たいと思います。

富に信頼を置くことが如何に危険であるか。

富に憑りつかれることが如何に危険であるか。

この点に関して、あまり深刻ではない例を取り上げたいと思います。

よって、このセッションで、地獄を取り扱っている例えについて話そうと思います。

富んでいる人とラザロの例え、あるいは、単純に、金持ちとラザロの例えと呼ばれる例えをお読みします。

ここで、富んでいる人(ダイブス、Dives)とは、実際には適切な人ではないという意味です。

ラザロと言う名の男がいて、ダイブスという名の男がいる。

ダイブスとは、ラテン語では「金持ち」という意味ですが、この例えにおいて、この男の名前は分かりません。

ちょっと時間を取って、イエスが与えたこの例えを見ていきましょう。

ルカの福音書16章19節から。

ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」 

非常に恐ろしい例えです。

重大な対比にフォーカスが当てられた例えです。

この例えの特徴は、ダイブスと呼ばれる金持ちとラザロという名の乞食。

金持ちの男は、大変贅沢な形振りとして描かれています。

紫色できめ細かい亜麻布でできた、王家のような衣を着ている。

一年に一度とか、1月に一度とか贅沢な生活をしているのではない、毎日のように贅沢に暮らしている。

この男とは対照的に、ラザロという名の乞食がいた。

彼は、不治の皮膚病を患っていて、爛れが彼の体を覆っていた。

その金持ちの家の門まで、自分で動くことさえできず、そこまで誰かに、例えば友人に担いでもらう必要があった。

門のところで彼は横にされ、金持ちのテーブルからこぼれ落ちたパンくずで養ってもらおうと思っていた。

彼は残飯の残りで生活することに満足していた。

金持ちの贅沢な食卓から放られた残り物だ。

さらに、犬がやって来て、皮膚の爛れをなめた。

さて、思い出して欲しい。

イスラエルやパレスチナでは、犬は人間の親友ではありませんでした。

犬は家で飼うペットではなかった。

基本的に野生であって、ゴミをあさる極悪な動物と見なされていた。