みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #78

2017年04月30日 | コーヒーブレイク
エペソ1章21節
すべての支配、権威、権力、主権の上に、
また、今の世ばかりでなく、
次に来る世においてもとなえられる、
すべての名の上に高く置かれました。

この聖句にも「principality」と「 power」が出てくるが、この聖句では単数で使われている。

英語訳KJVを見てみよう。


Far above all principality, and power,
and might, and dominion, and every name that is named,
not only in this world, but also in that which is to come
(KJV)

原典に忠実に英訳されている。

この聖句では、この物理的時空間(この世)における神の支配に関する定義が為されているようだ。よって、principality、power、さらにそれ続くmight、dominion、every nameいずれも、この世に属する何かということになるのだろう。

従って、「principality」と「 power」などを(人の)権威、(人の)権力、云々と理解してよいのではないかと思う。

これがエペソ6:12と違うところ。まあ、霊的な含みがあるのかもしれないが。

主イエスキリストの御名は、人が得ることができるあらゆる何かより遥か上にある。





Medicine, #16

2017年04月29日 | 聖書研究・信仰
テモテの例から、一つの教訓を得ることができる。

テモテがそうであったように、我々も神を信じて依り頼む必要がある。

これは確かに真実だ。

しかし、たとえそうだとしても、同時に極端に走ってはいけない。

もし体が弱っているなら、高栄養価の食物を摂取するように主が導いて下さっていることを知るべきだ。

主の導きに従って、高カロリー食を少量摂取することにより我々の体は丈夫になる。

この体はまだ十分に贖われていないので、当然のことであるが、肉体を有する人類であり続ける。

それ故、我々は肉体の生理的欲求には気を使う必要がある。

滋養を摂ることは信仰に相反しない。

但し、含まれている栄養素が分からないとか、神に依り頼む状態にないなら、注意が必要となる。




Coffee Break, #77

2017年04月28日 | コーヒーブレイク
エペソ6章12節
我々の闘いは血と肉に対するものではなく
ἀρχή(アルケー)とἐξουσία(エクスーシア)
すなわち、この世の闇を支配する諸霊、
空中の権威をもつ悪しき諸霊との闘いだ

【まとめ】

αρχή:この世の闇を支配する霊

ἐξουσία:空中の権威をもつ霊

この世の闇を支配する霊たちの総称がαρχήであり、天々の中にいる悪しき霊たちの総称がἐξουσίαなのだろう。

第1の天を支配するαρχή、そして第2の天を支配するἐξουσία。この連中と戦うのが我々キリスト者の任務だ。我々は第3の天にいる者として上位に立つ。勝利はもちろんすでに得ている。何故戦うのか。言うまでもない、全宇宙を万物の創造主イエスキリストに復するためだ。

主権を国家主権、力を国家権力などと誤って理解してはならない。

・・つづく。




Medicine, #15

2017年04月27日 | 聖書研究・信仰
しかし、極端に走らないように注意が必要だ。

確かに、神は我々に全的信頼を寄せるよう命じておられる。

しかし、自分自身の活動を否定し、完璧に主に依り頼んだ後であれば、自分の体に役に立つ天然資源の利用を喜んで下さるに違いない。

テモテのために処方された「少量のワイン」がそれだ。

テモテは胃腸が弱くて、くり返し胃痛に悩んでいた。

不信仰と神による癒しの欠落を責めるのではなく、パウロはテモテに少量のワインを飲むように勧めた。

それが彼には有益だろうと思われたからだ。

パウロが我々に使ってもよいと言っているものは、ワインのような成分、つまり自然素材の性格をもつ何かニュートラルなもの。




Coffee Break, #76

2017年04月26日 | コーヒーブレイク
Now unto Jesus our Lord who is able to do exceeding
abundantly above all that we believers ask or think
according to the power that works in us His followers.
Hallelujah!




Coffee Break, #75

2017年04月26日 | コーヒーブレイク
エペソ6章12節
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。


次に、「この暗やみの世界の支配者たち」に関して。

実は、検討したかったのはこの箇所だ。

原典を提示する。

τους κοσμοκρατορας του σκοτους του αιωνος τουτου

これを見ると「この暗やみの世界の支配者たち」という訳出は誤訳だと分かる。

全文直訳する。

この世の闇の支配者たち

となり、上の日本語訳と原典の間には決定的な違いがある。

定冠詞「この」の修飾語が、日本語訳だと「暗やみ」であるのに対して、原典では「「世(界)」となっている。

この違いを説明する。

まずは、「この世の闇の支配者たち」について。

この世には闇が存在し、その闇を支配している者たちがいる

と理解するのが自然だろう。

一方、「この(暗)闇の世界の支配者たち」はどうだろうか。

この世とは無関係に何処かに(暗)闇という世界が存在し、そこを支配する者たちがいる

つまり、前者においては危機的臨場感があるが、後者はそれが全く感じられない訳出となっているのだ。

つまり、砂糖まぶし的な言い回し。

次に、「 天にいるもろもろの悪霊」について。

原典を示す。

τα πνευματικα της πονηριας εν τοις επουρανιοις

直訳する。

天々の中にいる悪しき霊たち

この箇所に誤訳はない。

・・つづく。




Coffee Break, #74

2017年04月25日 | コーヒーブレイク
エペソ6章12節
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。


次に、力。

「力」と訳された原語はεξουσιαςで

ἐξουσία:
From G1832 (in the sense of ability); privilege, that is, (subjectively) force, capacity, competency, freedom, or (objectively) mastery (concretely magistrate, superhuman, potentate, token of control), delegated influence: - authority, jurisdiction, liberty, power, right, strength.

英語訳ではpowersと訳されているので、天使のひとつの階級である能天使ではないかと類推される。

先のサイト「天使の階級」を参照すると

能天使:
神によって最初に作られた天使で、その任務は地獄に落とされた天使、つまりは堕天使である悪魔の軍勢と最前線において対抗することである。そのため全ての天使の階級の中で堕天使となる数が最も多い。

ここに書いてある通り、このpowersとは堕天使と思われる。「堕」とは落ちるという意味であるから、その存在は空中にある(った)のではないか。つまり、この者は、聖書にあるとおり、空中の権威をもつ支配者だろうと想像される。 

ἐξουσία:空中の権威をもつ支配者(空中とはたぶん第2の天)


・・つづく。




Medicine, #14

2017年04月24日 | 聖書研究・信仰
「それ故、よくよく言っておく、自分の魂について心配してはならない」(マタイ6:25)

主に委ねるなら何でも、主が面倒を見て下さるだろう。

今この瞬間に癒されたいのなら、神を賛美せよ。

病状が悪化しているなら、疑わずに、ただ神の約束に目を凝らせ。

自己愛の再燃に機会を与えるな。

自己愛の最後の一絞りを消し去るために、神はこの状況を備えて下さっている。

体を注視すれば、疑いが湧いてくる。

しかし、神の約束を堅持するなら、主の近くに引き寄せられる。

信仰が強められる。

すると、ついに癒しが始まる。




Coffee Break, #73

2017年04月23日 | コーヒーブレイク
エペソ6章12節
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ある本に出てきた聖句。

この聖句については、通読していたNeeの「標準」においても触れたことがある。

More Than Conquerors Through Him, #3

この訳出で問題となるのが、2行目の「主権」「力」という訳だ。何となく中に浮いたような印象を受ける。その後に続く「この暗やみの世界の支配者たち」や「天にいるもろもろの悪霊」なら、具体的な敵の様子が書いてあるので分かりやすい。

では、「主権」「力」とはどういう抵抗勢力なのか。この日本語訳ではまるで見えてこない。

早速検討を加えてみたい。

「主権」と訳された単語はαρχαςで

αρχή:
From G756; (properly abstract) a commencement, or (concrete) chief (in various applications of order, time, place or rank): - beginning, corner, (at the, the) first (estate), magistrate, power, principality, principle, rule.

英語訳ではprincipalitiesと訳されているので、以下のサイトを参考にすると権天使のことと思われる。

天使の階級

しかし、この聖句においては敵の霊について語っているので、権天使レベルに相当する「敵の霊的存在」ということになるのではないか。どのように訳出すればよいのか大変難しい。岩波訳では「もろもろの支配」と訳している。上のサイト「天使の階級」を参照にすると、

権天使:地上にある国や都市を統治支配することを役職とし、人間の指導者たちの行いを監視して正義の方向に決断させるようにしている。

とあるので、他の聖書箇所にあるように「この世を支配する諸霊」とすれば、それなりに言い当てているのではないかと思う。

・・つづく。







Medicine, #13

2017年04月22日 | 聖書研究・信仰
人の方法や薬を否定して、一つ心で御父に依り頼む時、神の子は信仰がさらに強まっていることに気づく。

神との新たな関係の始まりだ。

かつてはあまり信頼していなかった、この新たな命によって歩み始める。

霊と魂のみならず体さえも天の御父に委ねる。

神の御心とは主イエスの力と御父の愛を明らかにすること。

これを見出す。

そして、フェイスを実践するように導かれる。

主が霊と魂のみならず体さえも贖って下さることを目の当たりにするために。