みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #252

2018年09月30日 | コーヒーブレイク
第1ヨハネ5章1節
イエスがキリストであると信じる者はだれでも
神によって生まれたのです
生んでくださった方を愛する者はだれでも
その方によって生まれた者をも愛します

誤訳と言うよりも、何か不快な臭いがする箇所がある。

>神によって生まれた

ここ。

原典にはこうある。

εκ του θεου γεγεννηται

εκとは、~(の中)から(外へ)という意味の前置詞。

英語に直訳すると

out of the God having begotten

神から生まれ出た

つまり

血を分けた者、分身、身内、血縁、同族、子孫、子。

「神によって生まれた」という訳はピントがズレている。

原典は全くブレない。

以下、「神によって」は、いずれも「神から」と書き換えて理解すべきだ。

「アダムは神によって生まれた」のであって、「アダムは神から生まれた」のではない。

だから、そう訳したのだろう。

旧約と新約の違いがまるで分かっていない。




Coffee Break, #251

2018年09月23日 | コーヒーブレイク
マルコ11章23節
まことに
あなたがたに告げます
だれでも
この山に向かって
動いて、海にはいれ
と言って
心の中で疑わず
ただ
自分の言ったとおりになると信じるなら
そのとおりになります

>動いて、海にはいれ

と書いてある。

万人に受け入れられるように、優しい表現に改ざんしてある。

21節を見ると

呪われたいちじくの木が枯れ果ててしまっている

とペテロは証言した。

つまり、この文脈の流れからすると

神の信仰があれば(22節)、呪いは必ず成就する

というのが主の主張ということになる。

>動いて

と書いてある。「動く」と訳された単語はαἴρωで、意味は

αἴρω:
airō
ah'ee-ro
A primary verb; to lift; by implication to take up or away; figuratively to raise (the voice), keep in suspense (the mind); specifically to sail away (that is, weigh anchor); by Hebraism (compare [H5375]) to expiate sin: - away with, bear (up), carry, lift up, loose, make to doubt, put away, remove, take (away, up).

この単語には自動詞「動く」と言う意味はない。上の意味を見ると、他動詞であり、「除く」「取り除く」「挙げる」が原義。

よって、この箇所を正確に直訳すると

除かれよ
海の中へと
放り込まれろ

となる。

ちなみに英語訳は

同b
Be thou removed, and be thou cast into the sea

原典に忠実に訳されている。

つまり

これが我々の目の前に立ちはだかる悪(霊)に対抗すべき祈りだ。

邪魔者には呪いをかけて抹殺せよ

我々の祈りには殺傷能力があるということだ。

故に、使い方を間違えるなと主は忠告する(25節)。

同11:25
And when ye stand praying
forgive
if ye have ought against any
that your Father also which is in heaven
may forgive you your trespasses

立って祈る時というのは、怒りが極限にある状態。

だから

マインドを敵に取られるな

呪う前に赦せ

と。

なかなか難しい注文・・だ。

天から見下ろすという1点に集中すると、感情が軽くなってくる。




Coffee Break, #250

2018年09月19日 | コーヒーブレイク
マルコ16章15節
それから
イエスは彼らにこう言われた
全世界に出て行き
すべての造られた者に
福音を宣べ伝えなさい

重大な誤訳が含まれている。

どこか分かるだろうか。

早速英語訳。


and he said to them
Having gone to all the world
proclaim the good news to all the creation
(YLT)
*proclaimは良い訳

KJVより正確に訳出されている。

誤訳箇所はここだ。

>すべての造られた者に

英語訳を見て欲しい。

all the creation

と書いてある。

原典を引用する。

παση τη κτισει

παση=all
τη=the
κτισει=creation, creature

なぜ、上の日本語訳のようになるのか。

もはや説明するまでもないだろう。


彼は彼らに言った
あらゆる世界の中へ入って
宣言せよ
福音を
全被造物に





Coffee Break, #249

2018年09月18日 | コーヒーブレイク
たった今
The Blood Speaks
Urquhart, Colin
販売: thurmanbooks
入手した。
Kojiくんに刺激されて、つい気の向くままに買ってしまった。
手に入れるまでおよそ1か月。
割とコンパクトな本。

現在 
Quantum Glory, PHIL MASON
通読中。
Dr.AIKOさんお勧めの本。
400頁近くある圧巻だ。
とても面白い内容で、楽しみながら読み進めている。

Coffee Break, #248

2018年09月17日 | コーヒーブレイク
第2テサロニケ3章13節
兄弟姉妹たち
弱気にならずに
上手くやりなさい

この章の最後18節について。

同3:18
どうか
私たちの主イエス・キリストの恵みが
あなたがたすべてとともにありますように

この聖句、礼拝の最後に牧師が必ず言う決まり台詞。

「祝祷」という。

wikipediaによると

祝祷(しゅくとう、Benediction、blessing、ドイツ語: Segen)とは
プロテスタント教会においては、礼拝のあとに、教役者によってなされる祝福の祈り

さて、英語訳を見てみよう。


The grace of our Lord Jesus Christ be with you all
Amen
(KJV)

一方、YLT訳では


the grace of our Lord Jesus Christ is with you all
Amen
(YLT)

この聖句、原典を見ると動詞が存在しない。よって、be withでもis withでも誤訳とは言えないが、ないならないで訳出しなければ良い。

つまり


the grace of our Lord Jesus Christ with you all
Amen

我らの主イエスキリストのカリスが
あなたがたすべてとともに
アーメン

恵みと訳された単語はχαριςで、英語訳ではgraceと訳されている。

「恵み」を英語にするとgiftでありgraceは閃かない。

そこで、χαριςの原義を調べてみる。

Strong's Concordanceによると

charis: grace, kindness
Original Word: χάρις, ιτος, ἡ
Part of Speech: Noun, Feminine
Transliteration: charis
Phonetic Spelling: (khar'-ece)
Short Definition: grace, favor, kindness

Definition: (a) grace, as a gift or blessing brought to man by Jesus Christ, (b) favor, (c) gratitude, thanks, (d) a favor, kindness.

こうやって見てみると、favorということばが目に付く。

これがよさそうだ。

恩寵、慈しみ、など。


我らの主イエスキリストの慈しみが
あなたがたすべてとともに
アーメン

我らの主イエスキリストの慈しみが私たちすべてとともにあるますように(希求、願掛け)では、アーメンしたくならない。

我らの主イエスキリストの慈しみが私たちすべてとともに今ここにあるから、アーメンできるのではないか。





Coffee Break, #247

2018年09月16日 | コーヒーブレイク
第2テサロニケ3章13節
しかしあなたがたは
たゆむことなく善を行ないなさい
兄弟たちよ

3章全体を通してパウロが言わんとしていることは、10節に書いてある。

同3:10
if any would not work
neither should he eat

働かざる者、食うべからず。

この章では、あまり霊的なことが語られてはいないので、やや面白味に欠けるところがある(失敬、主よ)。

信仰者の平凡な日常生活の送り方について書かれていて、説教交じりである点がさらにだるさを助長する(失敬、主よ)。

行間に、何か神秘的なこと、あるいはワクワクするようなことが隠されていないのか。

検討してみたい。

先に、上の13節について言及しておく。

すいぶんとカッコつけて訳してあるが、英語訳を見ると

同3:13
But ye
brethren
be not weary in well doing

well doingを「善」と訳している。

原典で使われている単語はκαλοποιέωで、意味は

καλοποιέω:
kalopoieō
kal-op-oy-eh'-o
From G2570 and G4160; to do well, that is, live virtuously: - well doing.

直訳するとκαλός(良い)ποιέω(する)。ここでは分詞形で使用されている。「上手くやっていく」程度の意味であって、「善を行なえ」は意訳のし過ぎだろう。

wearyと訳された単語はἐκκακέωで、意味は

ἐκκακέω:
ekkakeō
ek-kak-eh'-o
From G1537 and G2556; to be (bad or) weak, that is, (by implication) to fail (in heart): - faint, be weary.

文字通り、弱い、疲れる、できない、やる気を失う、など。「たゆむことなく」は堅すぎる。


兄弟姉妹たち
弱気にならずに
上手くやりなさい

程度の勧め的意味合いだろうと思う。

・・(たぶん)つづく。




Coffee Break, #246

2018年09月13日 | コーヒーブレイク
第2コリント2章10節
もしあなたがたが人を赦すなら
私もその人を赦します
私が何かを赦したのなら
私の赦したことは
あなたがたのために
キリストの御前で赦したのです

違和感を覚える箇所がある。

KJV訳を見てみよう。


To whom ye forgive any thing
I forgive also
for if I forgave any thing
to whom I forgave it
for your sakes forgave I it in the person of Christ

上の日本語訳のような単純な文章でないことはすぐ分かる。

まず、人を赦すとは書いていない。

KJV訳のように、τιはany thing(何か)と訳すべきだ。

つまり

何かを赦す

であり、「人を」ではない。

同じ内容の聖句がマタイ伝にもある。

マタイ6:14
もし人の罪を赦すなら
あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます

この聖句も正確に訳されていない。


For if ye forgive men their trespasses
your heavenly Father will also forgive you

彼らにおいて彼らの罪を赦すのなら

やはり

「人を」ではなく、「罪を」赦すのなら

だ。

人は、人のある部分を赦すことしかできない。

例えば、マタイ6:12において、ある部分とは負債。

人をまるごと赦すことができるのは神のみであり、人には到底不可能(と思う)。




Coffee Break, #245

2018年09月12日 | コーヒーブレイク
コロサイ4章12節
あなたがたの仲間のひとり
キリスト・イエスのしもべエパフラスが
あなたがたによろしくと言っています
彼はいつも
あなたがたが完全な人となり
また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう
あなたがたのために祈りに励んでいます。

>あなたがたが完全な人となり
>十分に確信して立つことができるよう

と書いてある。

我々キリスト者は、すでに完全であり、十分な確信を持っているのではないのか。

早速、確認していきたい。

英語訳を見ると

同b
that ye may stand perfect and complete in all the will of God

> ye may stand perfect

とある。

perfectと訳された単語はτέλειοςで、意味は

τέλειος:
teleios
tel'-i-os
From G5056; complete (in various applications of labor, growth, mental and moral character, etc.); neuter (as noun, with G3588) completeness: - of full age, man, perfect.

確かにperfectという意味がある。原義はcomplete (in various applications of labor, growth, mental and moral character, etc.)とあるので、いろいろな状況下においてすでに完璧である、完成している、という意味。つまり、完璧な状態にあるということ。

また、standと訳された単語はἵστημιで、意味は

ἵστημι:
histēmi
his'-tay-mee
A prolonged form of a primary word στάω staō (of the same meaning, and used for it in certain tenses); to stand (transitively or intransitively), used in various applications (literally or figuratively): - abide, appoint, bring, continue, covenant, establish, hold up, lay, present, set (up), stanch, stand (by, forth, still, up). Compare G5087.

留まる、続ける、確立する、固辞する、といった意味を持つ単語。

従って、ye may stand perfectは

完成された状態に留まることができるように

という意味になる。

意味を強調して、やや意訳すると

これからも完成された状態に留まり続けることができるように

自然に訳出すればこうなる。

上の日本語訳のように訳出することもできるが、彼らの神学オツムに従う必要もあるまい。

次に、(that ye may)complete in all the will of Godの箇所。

completeと訳された単語はπληρόωで、意味は

πληρόω:
plēroō
play-ro'-o
From G4134; to make replete, that is, (literally) to cram (a net), level up (a hollow), or (figuratively) to furnish (or imbue, diffuse, influence), satisfy, execute (an office), finish (a period or task), verify (or coincide with a prediction), etc.: - accomplish, X after, (be) complete, end, expire, fill (up), fulfil, (be, make) full (come), fully preach, perfect, supply.

くり返し聞いたことがあると思うが、充満するという意味のことば。

神のみ心のすべての中で満ち溢れることができるように

この箇所も意味を強調して、やや意訳すると

これからも神のみ心のすべての中で満ち溢れ続けることができるように

となる。

英語訳で使われているcompleteという訳出を尊重すると

これからも神のみ心のすべての中で完結し続けることができるように

と訳出可能だ。


同b
これからも完成された状態に留まり続けることができるように
これからも神のみ心のすべての中で満ち溢れ続けることができるように




Coffee Break, #244

2018年09月06日 | コーヒーブレイク
コロサイ3章23節
もしあなたがたが肉の思いから行なうのなら
それらすべての行ないは必ずや労苦を伴う
なぜなら、分かっているはずだが
それらは皆
人にではなく
主に対して行なっているのだから


古い人、すなわち肉によって、キリスト者と言えども常に足を引っぱられている。

我々のマインドから古い痕跡を抹殺することは、それほどに難しい。

自滅する場合もあるが、下へ下へと引きずり下ろし、地獄へ突き落とそうとしているのは、言うまでもなくサタンとその手下だ。

従って、我々は上へ上へと向かって行かなければならない。

これが、パウロが言いたいἀνακαινόω(上へと新しくなる)の意味だ。

下界(俗世)を見てはいけない。

我々の霊がいる上界(天)を見よ。

我々の肉は下界にいるが、霊は上界にいる。

天を目指せ。

キリストのマインド(福音書)を思い出せ。

同3:1
キリストと共によみがえったのなら
上にある事々を求めよ
そこには
キリストが神の右に座している

同3:2
地にある事々ではなく
天にある事々に傾注せよ




Coffee Break, #243

2018年09月05日 | コーヒーブレイク
コロサイ3章23節
もしあなたがたが肉の思いから行なうのなら
それらすべての行ないは必ずや労苦を伴う
なぜなら、分かっているはずだが
それらは皆
人にではなく
主に対して行なっているのだから

魂も新生したのか。

違う。

新生したのは霊のみ。

10節に何と書いてあるか。

同3:10
あなたがたは新しきを着ているではないか
その新しきとは
創造された方のイメージに従って
知識においてリニューイングされた人

創造された方のイメージに従って「知識においてリニューイングされた」人

と書いてある。

リニューイングとはどういう意味か。

原典にはἀνακαινόωという単語が使われていて、意味は

ἀνακαινόω:
anakainoō
an-ak-ahee-no'-o
From G303 and a derivative of G2537; to renovate: - renew.

ἀναとは「上へ」という意味、καινόωとは「新しい」という意味。つまりἀνακαινόωとは、「上へと新しくなる」というのが原義。「再生」「刷新」「更新」などと訳出されるが、良い日本語がない。リニューイングとしておく。

さて、「知識においてリニューイングされた」と書いてある。

これはどういう意味だろうか。

「神の知識において」リニューイングされたなら、我々は霊的にも、魂的にもパーフェクトだ。

つまり、我々は堕落前のアダムへと再帰したことになる。

しかし、魂は以前として肉に属していて、8節に書かれているようなことを繰り返している。

よって、「知識において」とは、神の御業によってではなく、我々の知識(知的訓練、あるいは知性)によってリニューされていくと理解すると合理的だ。

一方、我々はすでにキリストのマインドを持っている。

しかも、知性においてリニューングされた人を着ている。

にもかかわらず、なぜ知的訓練の継続が必要なのか。

古い人、すなわち肉が四六時中足を引っぱっているからだ。

我々のマインドから古い痕跡を抹殺することは、それほどに難しい。


・・つづく