The Triumphal Entry (Mark 11:1–11)
訳出時間枠:21分04秒から25分27秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、マルコ福音書から改革派神学基礎教理を学ぶ。
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ユダヤ人にとって、それはホロコーストのようなものであり、オリーブ山をすっかり取り囲んでいた。
そして、書いてあるように、イエスはこの旅を開始しました。
人々は木から葉の茂った枝を切り取って道に敷いた。
毎年パームサンデーの日には、必ずシュロの枝を振ります。
そして、人々は「ホサナ。主が私たちを救って下さる。主の御名によって来られるお方に祝福あれ」と叫ぶのです。
「主の御名によって来る者に祝福あれ。」
さて、興味があるなしに関係なく、もうひとつ小さな技術的なポイントがあります。
死ぬ前にイエスがエルサレムで過ごした時間をマルコは短縮したと言う研究者がいます。
私たちはパームサンデーを皮切りに聖なる週を祝います。
それから、金曜日に十字架があり、日曜日には復活があります。
しかし、実際に、ヨハネの福音書によると、十字架に付けられる前4か月間、イエスはエルサレムにいたという記載がされています。
恐らくマルコはこの出来事を短縮し、春ではなくて、仮庵の祭りの時期である秋にこの出来事が起きたとしたのではないか。
仮庵の祭りの時期である秋に、人々は特別な祭りの祝いとしてシュロの枝を手に取るのが恒例だったのです。
しかし、確かなことは分かりません。
いずれにせよ、福音書4書いずれも次のように書かれています。
人々は勝利のシンボルであるシュロの枝を手に取り、「ホサナ。主が私たちを救って下さる。主の御名によって来られるお方に祝福あれ」と叫びながら、空中でシュロの枝を振り回すのであります。
彼らの王が身を低くして子ろばに乗ってやって来る時に人々が歌った歌が、最初に歌う三聖唱(サンクトゥス Sanctus)でした。
☞ サンクトゥス
ほぼ日曜毎に、ここ聖アンデレの地で、私たちが歌う歌であります。
「来られるお方に祝福あれ。高きところに、ホサナ。主の御名によって来られるお方に祝福あれ。」と歌います。
ところで、マルコ伝には極めて奇妙な点があります。
「主の御名によって来る私たちの父ダビデの王国に祝福あれ。いと高きところにホサナ」の次の11節、イエスはエルサレムへと入り、そして神殿に入った。
彼がすべてのものを見回した時、時間はすでに遅かったので、弟子12人とべタニアへと出て行った。
このエピソードに関するマルコの結論は、クライマックスとは真逆であります。
「イエスはエルサレムへ入城し、神殿へ行き、見回して、家に帰った、べタニアに戻った」ということです。
まるで重要なことは何も起きなかったように聞こえます。
いや、違う。
わずかな内容ではあるけれども、この出来事はイエスの生涯において大変重要なことなのです。
人々はイエスがエルサレムに到着することを長い間待っていました。
エルサレムにとっての火打石のように、ご自分の顔をしっかりとエルサレムに向けた。
苦しみ、そして死ぬために、その聖なる町へ入城することを弟子たちに宣言していた。
しかし、エルサレムはイエスの最終目的地ではなかった。
そこは第2の目的地だった。
彼の目的地はその町ではなかった。
彼の目的地は神殿だった。
彼は神殿に行くつもりだった。
代々いけにえが捧げられていた場所に行き、見て回るつもりだった。
幕屋に取って代わった神殿に行くつもりだった。
その構造および用途において、そこは来たるべきメシアの生ける預言そのものだった。