みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#132 終末預言 by R.C. Sproul

2022年07月31日 | 終末預言 

The Coming of the Kingdom with Power

訳出時間枠:最初から3分45秒まで

◇◇

聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、マルコ福音書から改革派神学基礎教理を学ぶ。

◇◇


さあ、神のことばの学びに注意を向ける時間です。

今朝の聖書箇所は、マルコ福音書9章1節から12節まで、主イエスの変容の場面であります。

イエスは弟子たちに言った、「まことに、あなたがたに言います。神の国が力をもって現れるのを見るまで、決して死を味わわない幾人かがここに立っています。」さて、6日後イエスは、ペテロとヤコブ、そしてヨハネを連れて、彼らだけで高い山へとやってきた。そして、イエスは、彼らの前で変容した。彼の着物は輝き出し、それも極めて白く、地上の洗濯屋ではとてもそこまでできないほどの白さだった。そして、エリヤがモーセとともに彼らの前に現れ、イエスと話をしていた。その時、ペテロが答えて、イエスに言った、「先生、ここにいることができて大変光栄です。私たちに3つの幕屋を作らせて下さい。ひとつはあなたに、ひとつはモーセに、そしてもうひとつをエリヤのために。というのも、彼は何を言っていいのか分からなかった。彼らは大変恐れていた。そして、一片の雲がやってきて、彼らを暗くした。その雲から声が来て、言った、「これは私の愛する子、彼に聞け。」突然、彼らが振り返ると、もはや何も見えなくなった。イエスのみが彼らとともにいた。さて、山から下りてきた時、人の子が死人の中からよみがえるまで、今見た事々を誰にも言わないようにイエスは弟子たちに命じた。そこで、死人の中からのよみがえりとはどういう意味かと疑問に思いつつ、彼らはこのことばを自分たちに留めた。そこで、弟子たちはイエスに尋ねた、「どうして律法学者はエリヤがまず最初に来なければならないと言っているのですが。」イエスは答えて、彼らに言った、「確かに、エリヤは最初に来るであろう、そして万物を回復する。人の子については何と書かれていますか。彼は多くの事々を耐え忍び、侮蔑をもって扱われなければならないと書かれています。しかしあなた方に言います。エリヤはすでに来たのです。そして、彼について書かれているように、望むことは何でも彼らは彼にしたのです。」

決して朽ちず、無謬、激励してくれる神のことば、聖霊の力によって書かれ、私たちの慰めのため、そして私たちの啓発のため。

お座りください。

お祈りしましょう。

さて、主よ。今朝もう一度主のことばに注意を向けたいと思います。理解するために、あなたのお力が必要であります。あなたのことばを受け入れるために、あなたのお力が必要であります。というのも、私たちの耳は、あなたのことばに対して塞がれていて、聖霊の御力を介する必要があるのです。あなたのことばが私たちの心を貫くことがないように、私たちの心はカルシウムで覆われているのです。嗚呼、真理の御霊よ。今朝、あなたのことばの最も深いところまで耳を傾けることができますように。イエス様の御名によってお願いいたします。アーメン。

◇◇

賛美:Rock of Ages

 

 

 


#131-4 終末預言 by T.Tomii

2022年07月30日 | 終末預言 

☞ 我々がこの世に残されている理由は?

◇◇

異端やリベラルの荒らし対策のためにリンク先に飛べない仕掛けがしてある。
全文転載する。
 
◇◇ 


プレ・ミレは、携挙によって世から取り去られることを望むが、イエスのみこころは、我々が「世に留まり」、悪魔から守られることにある。

 

「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」(ヨハネ17・15)

つまり、イエス・キリストは、ここにおいて、

「クリスチャンを待っている運命とは、逃げるのではなく、悪魔と戦うことである」と言っておられるのだ。

しかし、ディスペンセーション主義の実質的な創始者であるJ・N・ダービーは、この御言葉と反対のことを唱えている。


「我々がこれから読む個所で学ぶべき教訓とは、『善が進展し続けることを期待してはならない。むしろ、悪が進展すると考えなければならない』ということである。

主の裁きの日が来る前に主を知る知識が地上を満たす、とか、地上において裁きが完成することを期待するなど、妄想である…。 キリスト教国は徹底して堕落し、異邦人の時代が不信仰の時代であることが明らかになった。

はたしてそれを回復することは可能だろうか。

否! 不可能だ。」(1840年にジュネーブで行われた説教: in William Kelly, ed., The Collected Writings of J.N.Darby, Prophetic no. 1, vol. 1 (Kingston-on-Thames: Stow Hill Bible and Tract Depot, undated), 471, 486))


無千年王国主義者マーチン・ロイドジョーンズは、先日亡くなったカール・F・H・ヘンリーとの対談の中で次のように述べている。


「世を改革するなど不可能だ。それこそ、なぜ私が、創世記1・28に訴えかけて社会的・文化的命令を説くことに賛同しないかの理由だ。

この教説は、人間の堕落を完全に忘れているように見える。世界をキリスト教化させるなど不可能だ。終末は、洪水の時のようだろう。今の世界の現状を見て確かに言えるのは、『我々は、かつてないほど熱心に、来るべき御怒りから逃れよと人々に訴えるべきだ』ということだ。」


このようなメッセージと、「彼らをこの世から取り去ってくださるようにとは願わない」という御言葉とどう調和させるのだろうか。

イエスの御言葉とロイドジョーンズの言葉とを並べてみよう。

キリストは、我々が取り去られることを願っておられない、と言われる。しかし、ロイドジョーンズは、「世を変えることはできない」という。

この2つの言葉をつなぎ合わせて起きてくる疑問は、「変えることのできない世界に我々が残っている理由は何か?」ということだ。

そう、伝道しかないのだ。

我々は、みな、「来るべき御怒りから逃れよ」と説いて回る終末を説く伝道師になる以外にはないのだ。

プレ・ミレとア・ミレが出家主義であるという理由がおわかりだろうか。
 

 

2003年12月15日

 

 


#131-3 終末預言 by T.Tomii

2022年07月29日 | 終末預言 

☞ もうしばらくの辛抱です

◇◇

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全文転載する。
 
◇◇ 

現在、再建主義に対する攻撃が激しくなってきました。

サタンは、教理的な問題だけではなく、我々の健康をも攻撃しています。

私を支援してくださっているある兄弟が、健康を害しておられます。どうか一日も早く回復されますようお祈りくだされば幸いでございます。

この働きが影響力を持てば、サタンが最もやりたがっている仕事=世界制覇が頓挫します。

私は、この働きを本格的にはじめてから、これほど攻撃が強烈なのか、と驚きました。

これまでのクリスチャンのミニストリで、これほど敵の痛いところを突いた働きはなかったでしょう。

サタンは、1830年代からディスペンセーション主義を通じて、「地上は変わらないのだから、そのことについては放っておくべきだ」とクリスチャンに信じ込ませ、地上を乗っ取る計画を着々と実行してきました。

ディスペンセーション主義によってクリスチャンが手足を縛られている間に、サタンは、マルクスを通じて、世界の乗っ取りを開始しました。マルクスは、最初クリスチャンで、信仰的な詩歌を作っていましたが(Richard Wormbrund, "Marx and Satan")、ある時からサタンに憑依されて、共産主義を編み出し、「プロレタリアート革命」という名の「神を除外した人間王国」の建設を企てました。

またサタンは、同じ頃、ダーウィニズムという名の「無神論的世界観」を世界中にはびこらせ、世界のほとんどの人々を洗脳しました。人々は、世界は神が創造したのではなく、自然に偶然の作用で出来たのだ、と信じるようになりました。

歴史を見れば、クリスチャンが世界から手を引くと、このようにサタンがはびこるのが分かります。

クリスチャンは世界再建の事業から手を引いてはなりません。手を引くと、必ず、そこにサタンが巣を作ります。

我々は、現在、サタンが作った巣を壊す働きをしています。そこでサタンは、我々を邪魔するために、いろんな攻撃を仕掛けてきています。

我々を助けようとする人々にまで攻撃を仕掛けます。

しかし、安心してください。サタンが出来るのはある程度までです。

一定期間辛抱すれば、神は我々に勝利を与えてくださり、サタンを世界から放逐してくださいます。

「悪魔に立ち向かえ。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去るから。」と聖書においてヤコブが述べています。

今しばらくの辛抱です。忍耐して勝利を取れるまでがんばりましょう。

 

 

2003年12月21日

 

 


#131-2 終末預言 by T.Tomii

2022年07月28日 | 終末預言 

☞ 自己満足じゃ話しにならない

◇◇

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◇◇ 
 


<ご質問>

 ルターが「たとえ明日終末がやってきても今日りんごの木を植える」というように、多くのプレ・ミレやア・ミレの人々も福音宣教に頑張っており、終末について無関心でもきちんとやっているのですから、問題はないのではないでしょうか。

 

<お答え>

 大いに問題があります。

 なぜならば、

 

(1)そのような姿勢は不信仰であるだけではなく自己満足だからです。

 

 キリストが「すべての国民を弟子とせよ。」と言い、「わたしには天地において一切の権威が与えられているからできる」と言われているのに、「できるかどうかはわからない」と言うのですから。キリスト御自身が、長期的な展望を見せてくださっているのに、短期的なものでもよい、ということは明らかな御言葉無視です。そして、そのような御言葉無視の頑張りというのは、自分勝手な献身であり、一番大切な主の御心を中心としていないので、的外れなのです。

 

(2)その他の人々をリードすることは不可能だからです。

 

 例えば、ある会社の社長が、「うちの会社は来月倒産するかもしれない」と宣言した場合、それからも相変わらず会社のために日々熱心に仕事を続ける立派な人もいるでしょうが、大多数の人々は、早急に次の仕事を探します。

 熱心に仕事を続ける人々は、自分の誠実な姿勢に自己陶酔するかもしれませんが、それは、その人個人の内面の問題であって、集団全体の問題を視野には入れていません。

 

 集団をリードして行くには、「うちの会社は今大変だ。しかし、今しばらく辛抱すれば、必ず業績は好転する。だから頑張ろう」といわねばならないのです。

 

 プレ・ミレのクリスチャンがいかに個人的にキリストに忠誠を尽くして、「明日、再臨が来ても、今日私は福音を伝え、神の国のために働く」と言ったとしても、それはその個人の内面の話しであって、「明日再臨が来る」と宣言することによって、他の人々にどのような影響があるかということを気にかけていないのですから、それは半面において、つまり、キリストの体全体に関して、無責任だということになるのです。

 

 クリスチャンは、常に神の視点からものを見なければならないので、個人的な信仰だけではなく、神の御国全体について考えなければならない。そのために、自分は何をしなければならないのか、という考え方をしなければならないのです。

 

 そういった場合、「終末がもうすぐ来る」という説を唱えることが、キリスト教会全体にどのような影響を与えるかに関心を払うのは当然のことなのです。

 

 「いや~、そんなことまで考える必要はないんじゃないですか。先のことは考えず、日々伝道に励む。これだけでいいと思いますよ。」というならば、もう話す余地はありません。

 

御言葉にはっきりと指摘されていることを無視するのですから、そのような理性至上主義者や、御言葉に無関心な自己満足クリスチャンと会話しても利益はありませんので。

 

 
 

 


#131 終末預言 by R.C. Sproul

2022年07月26日 | 終末預言 

Parables of the Kingdom (Mark 4:21–33) — A Sermon by R.C. Sproul

訳出時間枠:23分52秒から最後まで

◇◇

聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、マルコ福音書から改革派神学基礎教理を学ぶ。

◇◇


ベスタはさらに言います。

「ぜひ聞いて欲しい。この手紙は読んでおいた方がいい。」

そこで、私は3べージもの手紙を読みました。

この手紙の主は、20年前に初めて私のレクチャーを聞いた時の様子や、私の書いた本を何冊か読んだこと、また、テーブルトークに夢中になったことなどすべてのことを手紙で語ってくれていた。このような私の宣教活動について私に感謝していた。最後まで読み終わり、彼の名前を見たところ、彼は毎日ナショナルラジオに登場している人だった。私たちの社会における教会運動の偉大なリーダーの一人だ。

私がかつて語ったり書いたりしたことが、彼に多くのインパクトを与えるなんて思いもよらなかった。

しかし、それが神の国の方法。

私たちの奉仕を通して、或いは私たちの努力を通して神は何をなさるのか私たちには分かりません。

私たちは種を植えて、そして寝る。

そして、神がその種を取り、発芽させる。

すると、命が芽生えて、大収穫を生む。

一方、神ご自身は、ご自身の栄光のために刈り入れをする。

しかし、奉仕の結果としての短絡的な結実については忘れる必要がある。

私たちがそれを見ようと見まいと大したことではない。

すべきことは、種を蒔くこと。

私たちはその光を取り、明らかにし、平易にし、その欠片が落ちるにまかせるだけでいい。

成長に関する別のたとえとともに、この小さな一連のたとえについて、イエスはさらに続けます。

彼は言います、「神の国において、私たちは何と例えるべきでしょうか。どんなたとえでもって、神の国を描いたら良いでしょうか。それはからし種のようです。それが蒔かれる時には、地上のどんな種よりも小さい。蒔かれて、成長していくと、すべての薬草よりも大きくなり、空中の鳥がその陰の下に巣を作れるほどに大きな枝を張ります。」

1980年代、私たちは聖書無謬に関する世界大会に参加しました。

その時、私たちは教会や教会の学者たちをインスピレーションと不可謬というのタイトルの聖なる令状によって招集しました。

その場に、アメリカにおいて最も大きな神学校に勤める一人の新約聖書教授がいました。

彼は教理を廃止して、聖書の無謬性はもはや信じることはできないと学生に教えていた人であります。

新約聖書の、今私が読んだこの箇所に明らかな間違いがあるというのです。

彼は学生たちに、「からし種はすべての種の中で最も小さい種であるとイエスは言いました。しかし、植物学者はからし種よりももっと小さい種があることを知っています」と教えていたのです。

聖書に関するすべての見解やイエスに関するすべての見解を、そんなくだらないことに基づいて諦めてしまうということを想像してみて下さい。

イエスの教えに誇張表現という余地はないのでしょうか、また、イエスも福音記者も誇張的にそのような表現はしているのではないか。

すべてのカペナウムがイエスを聞くために出てきたと書いてある時、その意味とはあらゆる男女、すべての子どもたちがその日出てきたと理解するのではないか。

2週間前に、ピッツバーグ新聞が「デトロイトから来た仲間を歓迎し町全体がひっくり返った」と書きました。

注)町全体がひっくり返ったという表現は、大歓迎の大げさな表現であることは誰にでも分かることであり、からし種についても同様の誇張表現がなされているという指摘。

今年、私はそのためにたくさんのマイレージを貰う予定であります(笑い)。

この聖書箇所を読んだ時、報告者が嘘を付いていると告発するつもりは毛頭ありません。

加えて、ヘブル語のイディオムに、からし種が最も小さい種であるとするユダヤ人特有の共通のことわざがあるのです。

それは最高レベルほどに小さい種であり、小さい種、より小さい種、最も小さい種、さらに、極小レベルほどに小さい種だったということ。

ここでイエスを嘘つき者と訴えることは驚くべきことであります。

しかし、いずれにせよ、イエスが語っていることの要点は神の国のことであります。

スイカの種ではなく、トウモロコシの種でもなく、自分の指に留めることも難しいこの極小の種を取り、この最高レベルに小さい種を地に埋める。

地面は割れて、この草は成長し、鳥が巣を作るに足るほどの大きな木になる。

それは、とても小さな、ほとんど見えないほどに小さな種として始まった。

イエスの話しが単純に面白いということではなくて、農業について語っているのです。

彼の関心事は神の国についてであって、どのようにして神の国が働くのか私たちに教えることであります。

あなたが話す最も小さいことばから、あなたが与える最も小さい奉仕(それは取るに足りないもの、あまり意義深いものではないかもしれないが)を神が受け取り、そこから神の王国が芽生える。

このからし種の偉大性ではなく、神の偉大性、神の摂理の偉大性が日々働いて、時代時代に神のご計画が実現する。

今朝この場で、私たちは時間を無駄使いしているのではありません。

今朝、神のことばを聞いて30分間過ごしました。

このことばは直ちにあなたの内において働き始めます。

しかし、夜までに今朝私が話したことをすっかり忘れてしまうかもしれません。

夕拝の時に今朝私は何を宣べたのかテストしたら、皆さんは合格点は取れないでしょう。

だから、毎年16000人もの牧師が牧会を止めるのです。

しかし、あなたがたが今夜私の話しを忘れてしまっていても私は構いません。

何故なら、神のことばは今やあなたがたの中にあり、それは働いて時が来れば実を結びます。

神の国がエンターテインメントやけばけばしさとは相容れない理由がそこにあるのです。

神の国は、神のことばに対する従順によって建て上げられるのです。

そのことばは神の霊とともにあり、収穫の主がその実を刈り取るためにやって来るまで成長を遂げます。

お祈りしましょう。

私たちの神である父よ。あなたが私たちに行なうように命ずる最も小さなことさえも、私たちの労務により数多くの実を生むことができる、それほどの意味を持っています。あなたがそれらの実を天において明らかにする時、私たちがその種を取り、それを蒔き、水をやることを赦されたことに驚嘆をします。何故なら、それはあなたの種であり、あなたの収穫であります。このこと故にあなたに感謝申し上げます。アーメン。


◇◇

賛美:

How Beautiful Heaven Must Be

 

 

 

 

 


#130-5 終末預言 by T.Tomii

2022年07月24日 | 終末預言 

☞ 早く脱会することをお勧めする

◇◇

荒らしや異端対策のためにリンク先に飛べない仕掛けがしてある。
全文転載する。
 
◇◇ 

>聖書を都合よく解釈して、独自のストーリーを作り上げた。 つまり、リベラル(反聖書)化。
>この教えの最大の効果は、クリスチャンの手足を縛ることである。つまり、奴隷化。
>この負の影響は計り知れない。 つまり、神の国拡大阻止。
>なんでも「終末は近い」証拠になる。つまり、無力化。
>自分と同じような出家信者のクローンをつくる教えだ。つまり、悪魔の国拡大。 
>早く脱会することを。手遅れにならないうちに脱出せよ。

以下を読むと、小生がこれをプレミレ悪●教と呼んでいる理由が良く分かるはずだ。

関連語句:
進化論、共産主義思想、マルクス、イ●ズ●ス会のユ●ヤ人、イ●ミ●ティ、ハル・リンゼイ、スコフィールド、ディスペンセーション主義、カルト、リベラリズム、ヒューマニズム、反聖書信仰、反正統神学、反カルヴァン主義

何度も繰り返しているが、すべて繋がっているのだ。

◇◇


今の科学は、この進化論という途方もない与太話に基づいて形成されている。

創造を前提とすれば、簡単に解決する現象を、さかんに「自然発生」で解こうとするから無理が生じる。

この世界は、創造がなければ絶対に成立できない。

偶然の作用だけで今日ある生物が存在する可能性はゼロ。

神は世界を創造し、人間を創造された。

それは、神が創造された世界を管理し、発展させ、神の文明を築きあげるため。

それは、再臨のキリストが千年王国の時代にやるのではない。

今の時代が千年王国なのだ。

なぜか。

キリストは、紀元70年に世界の王になられたからだ。

何も再臨を待つ必要はない。

今すでにキリストが王であるから、われわれクリスチャンは世界を征服できる。

今日福音派やカリスマ派が再臨と称しているものは、ことごとく紀元70年のキリストの来臨である。

彼らは文脈を無視して解釈している。

聖書を都合よく解釈して、独自のストーリーを作り上げた。

これをディスペンセーション主義のプレ・ミレという。

これを最初にやった人間は、イ●ズ●ス会のユ●ヤ人である。

イ●ミ●ティを始めたのもイ●ズ●会のユ●ヤ人。

ディスペンセーション主義のプレ・ミレを広めたジョン・ダービーは、イ●ミ●ティ三百人委員会から支援を受けている。

ディスペンセーション主義のプレ・ミレを世界中に拡散したサイラス・I・スコフィールドは、イ●ミ●ティからお金をもらってディスペンセーション主義のバイブル、スコフィールド・レファレンスバイブルを書いた。

スコフィールドは、結婚と離婚を繰り返し、愛人を作り、妻子を捨て、詐欺事件で収監された経歴を持つ。

現代においてディスペンセーション主義のプレ・ミレを広めている最高の功労者は、ハル・リンゼイとティム・ラヘイである。

ハル・リンゼイの書いた『地球最後の日』は3000万部売れ、ティム・ラヘイの『レフト・ビハインド』は5000万部売れたという。

彼らはいずれも統一教会の政治団体の理事を務めていた。

ティム・ラヘイには統一教会から多額の献金があったとのうわさがある。

それに対して本人からまともな対応はない。

お分かりのように、ディスペンセーション主義のプレ・ミレとイ●ミ●ティとは切っても切れない関係がある。

切迫再臨説を信じる福音派もカリスマ派も、イ●ミ●ティに利用されている。

この教えの最大の効果は、クリスチャンの手足を縛ることである。

この教えを学んだクリスチャンは、「再臨までの間、何をしても無駄だ」と考えるようになる。

なぜならば、彼らは、黙示録が現代において成就すると吹き込まれているからだ。

この世界は、最終戦争に向かって坂道を転がり堕ちるだろうと考えている。

聖書の無謬説という本来正しい教えがここでは逆に作用する。

「聖書で預言されているのだから、これは確実に起きる」と固く信じている。

だから、クリスチャンは、911とか311の事件を見ると、「終末が近づいている。もうすぐ、再臨があって、世界は一変する」と規定する。

そうして、結局、現実を変える努力を放棄する。

この負の影響は計り知れない。

私が実生活の中で体験し、苦しんだのでわかるのだ。

17歳のときに『ノストラダムスの大予言』を読んだ。

そして、19歳のときにハル・リンゼイの『地球最後の日』を読んだ。

これによって、「自分は普通の就職をして、家庭を持つことはないだろう」と考えた。

新宿の雑踏の中で「終末が近づいていますよ」と叫ぶほうがいいと思った。

宇野正美氏の本はとくに強烈で、1980年代に携挙が起きるとほのめかし、そのため、私は、いつ携挙されてもおかしくないと考えていた。

これで就職に身が入らなくなった。

将来のために資格を取るとか、どういう職業につくかとかまったく考えられなくなった。

自分は、完全に宇宙人化した。

もし自分が高校生のときに今の福音派の教会に行って、切迫再臨説を信じたら、おそらく大学には合格できなかっただろう。

勉強に身が入るわけがない。

このプレ・ミレの世界は恐ろしい世界である。

カルトと似ている。

入ってしまうと、それ自体が法典のようになって、すべてをそれに基づいて解釈するようになる。

なんでも「終末は近い」証拠になる。

キリスト教の正統的な教えを信じれば、「地を従えよ」の神の命令を第一とし、常に社会とのかかわりを考え、様々な技術の革新のために働き、人々や国を繁栄させるために働くだろう。

しかし、プレ・ミレを信じると、そういうった努力が一切無駄に思えてくるのだ。

教会成長とか伝道しか考えられなくなる。

伝道といっても、人を成長させる正統的な教えではない。

自分と同じような出家信者のクローンをつくる教えだ。

だから、社会の中で無能な集団が増殖することになる。

文化に影響を与えることも、政治を変えることも、経済を発展させることも、芸術に貢献することも、全部「再臨までのアルバイト」としか認識できない集団がどうして健全だと言えるか。

福音派やカリスマ派のプレ・ミレを信じるクリスチャンにおすすめする。

早く脱会することを。

 

 

2012年5月16日

 

 


#130-4 終末預言 by T.Tomii

2022年07月23日 | 終末預言 

☞ なぜ今の福音派はカルヴァンを嫌うのか?

◇◇

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◇◇ 

山羊によって蒔かれた毒麦、それが成長して実を結ぶ。

その実のひとつがプレミレ教。

その理由が以下に書かれている。

すべて繋がりがあるのだ。

◇◇

今の福音派のクリスチャンと話していると、カルヴァン及び改革派、契約神学、予定論、ポスト・ミレに対する敵意が見える。

なぜなのだろうか。

イエズス会の宣言書に次のように記されている。


私は、さらにカルヴァン主義のイングランドとスコットランドの諸教会、ユグノー…の教理は地獄に落ちるべきであり、それらを捨てない者たちは自らを呪われたものとしていると宣言する。

これこそが、現在の福音派のカルヴァン嫌いの原因である。

つまり、イエズス会に支配され、教義をつくりかえられ、そのため、別の霊が働いている。

イエズス会士インマヌエル・ラクンザが作ったディスペンセーション主義に支配されているからである。

福音派がこれ以上神の言葉に逆らい続け、正統な神学を忌避するならば、衰退の後に滅亡しかない。

正しい神学に帰り、カルヴァン主義を受け入れるしかない。

 

 


#130-3 終末預言 by T.Tomii

2022年07月23日 | 終末預言 

☞ ディスペンセーション主義を捨てて行動せよ

◇◇

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◇◇ 

>ディスペンセーション主義を徹底すると、完全な浮き草になる

これを回避するために、自分の主義主張や世間体に合わせて、聖書テキストの意味を巧みに改ざんする。

これがリベラル派、反聖書主義思想だ。

道連れにされないように厳重に注意せよ。

◇◇


前回の衆院選挙は棄権した。なぜならば、入れるに値する候補がいないから。

民主党が政権をとればどういうことになるかわかってはいたが、自民に入れる気にもならなかった。

このことをあるクリスチャンに言ったら、「そんなことでいいんですか!」とかなり強い口調で詰問された。

選挙投票は、義務ではなく、権利なんですよ。

福音派は、「政治に関与すると危険だよ」とか「政治を変えようとしてもムダだ。悪魔の支配を変えることはできない」とか「まもなく再臨があるから」とか言いながら、「選挙には行きましょう」と矛盾したことを言う。

徹底しろ。

投票に行くのが義務というなら、政治について考え、この世の中をどうしたらよいのかについて真剣に考え、議論すべき。

本気になってそのようなことをすれば、今の神学がいかにおかしいかは自ずからわかるだろう。

「この世に関わるな」という教えを徹底するなら、選挙にも行くな。

「まもなく再臨がある」という考えを徹底するなら、仕事なんかやめて、伝道者になれ。

一人でも携挙されるように働け。

ホームスクーリングなんかやるより、子どもを生んで育てるよりも、伝道を優先せよ。

この考え、おかしいでしょう?

ディスペンセーション主義を徹底すると、完全な浮き草になる。

私の親族は、ディスペンセーション主義で育った。

だから、私が政治の話をすると、「クリスチャンは政治に関わるな。関わってもムダだ」とたしなめられた。

しかし、最近は言わなくなった。

教会からどんどん人がいなくなっているからだ。

もう一つ、中国問題だ。侵略されかかっているときに、「やってもムダだ」とはいえないと分かったからだろう。

米国や中国の態度が変わったきっかけは、10月16日の尖閣デモだろうと思う。

あれで国民の抵抗を見た。

米国が本気を出した。日米安保を適用すると言い出した。

抵抗を具体的な形で示さないと伝わらないのだ。

こっちがやる気を出せば世界の人も理解する。

黙っていれば、どんどん侵略される。

僕も参加した。六本木の中国大使館に行った。

クリスチャンは、行動しなければならない。

そうしないと、悪魔はやりたい放題やる。

クリスチャンには祈りという強力な武器がある。

祈りによって国が動く。

クリスチャンはノンクリスチャンのとり成し手でもある。

だから、ノンクリスチャンのためにも祈るべき。

国境が守られ、正義が守られ、安全かつ安心して生活できるように代表として神に祈るべき。


善なる人々が行動を怠れば、必ず悪が勝利する。

エドマンド・バーク(18世紀の英国の政治家)

 

 

2011年1月15日

 

 


#130-2 終末預言 by T.Tomii

2022年07月21日 | 終末預言 

☞ あなたは何を土台として家を建てるつもりか

◇◇

異端やリベラルによる荒らし対策のためにリンク先に飛べない仕掛けがしてある。
全文転載する。
 
◇◇ 


だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

土台というものは、硬く動かないものでなければならない。

そうしないと、自分が立てた家が傾いてしまう。

クリスチャンの認識論は硬い岩に立っているので崩れない。

しかし、ノンクリスチャンの認識論は砂の上に立っている。

だから、最後には崩壊する。

これは、土台の選択を間違ったのだから、破局に至る以外にはない。

クリスチャンの認識論は、基準を神に置いている。

神は、創造主であり、万物の第一原因である。

世界において創造されたもの以外のものはない。

時間と空間というシステムそのものが創造の産物である。

だから、万物にとって基準は神である。

神によって創造されたのであるから、基準は神である。

筋が通っている。

しかし、ノンクリスチャンの認識論は、矛盾だらけである。

ヒューマニズムの認識論の基準は人間である。

人間は、創造者ではない。

だから、基準にはなれない。

デカルトは、「我思うゆえに我あり」といった。

「あらゆるものは疑いの対象である。為政者が本当のことを言っているかわからない。宗教教義も本当かどうかわからない。民衆の話も本当かどうかわからない。唯一疑うことができないものは何か。それは、疑っている私である。今疑っている私は、絶対に存在する。だから、この疑う自分を基準にして認識を周りの世界に拡大していくのがよい」というのがヒューマニズムの基本である。

しかし、人間は、自分のことすら知らない。

人間は、時間とともに自分を発見する。

自分の体内で今何が起こっているかも知らない。

癌が発生しているかもしれない。

検査ではじめてわかる。

そのように未知の部分をかかえた存在が基準になれるはずがない。

しかし、聖書の神は、ご自身について未知な部分は少しもない。

神はご自身について完全な知識を持つ。

だから、基準になれる。

クリスチャンは、徹底的に物事を突き詰めて考えるべきだ。

権威と呼ばれているもの、たとえば、権威ある学者の意見とか、学校の先生の意見とか、牧師の意見とか、本当かどうか確認すべきだ。

となると、究極的には、権威は、被造物ではありえない。

被造物は未知である。被造物は変化する。被造物は有限である。

ある一時期に成立したものである。無限の昔から存在するものではない。

無限の昔から存在したもの。それは、神である。

創造以前には、神しか存在しなかった。

神の知識こそが永遠に存在する唯一の知識であり、絶対の知識である。

だから、これだけが、われわれの知識の土台である。

ヒューマニズム自身が、人間自身の知識の限界をわきまえている。

たとえ現象の世界について科学によって知識を得たとしても、物自体の世界、意味の世界、道徳の世界、霊の世界、死後の世界などについては、科学的検証は及ばない。

だから、人間の知識ははじめから有限であると認めている。

科学の知識とは、経験が及ぶ、暫定的な知識に過ぎない。

手に持っているコップを放したら下に落ちるかどうか「絶対的確実性をもって」下に落ちると予測はできない。

なぜならば、「引力の法則がいつでもどこでも必ず働く」ということは証明できないからだ。

予測できるのは、ただ経験的アナロジーによってだけである。類推によってしか未来のことは何一つ予測できない。

だから、人間が知識の基準になるということは、ありえないのである。

それは、科学的発見によって常に変わる性質のものである。

このようなものが土台になるだろうか。

それは、砂である。

いつも揺れ動く泥である。

だから、われわれにとって、その上に世界観を作ることははなはだしく危険であるといわざるをえない。

ヒューマニズムの認識論に基づいて考える場合に、死後の世界については何もいえない。いえるとすれば、「僕はこう思う」としかいえない。

しかし、神が知識の基準であれば、われわれは科学的方法によって及ばない知識を得ることができる。

「聖書によれば、死後の世界はこうだ」といえる。

われわれの知識は首尾一貫している。

「いや~、聖書はどういうか知らないが、私はこう思うね」という人は、自分の人生を大きな博打と見ているのだ。

死後に、本当に裁きがあり、自分の犯したすべての罪の代償を永遠の刑罰として支払わなければならないとしたらどうだろうか。

気づいたときは遅いのだ。地獄から出ることは永遠にできない。

だから、われわれは、万物について完全な知識を持っておられる神の啓示に従うのが正しいだけではなく、安全でもある。

人生を不確かなものにかけるのか。

泥や砂の上に家を建てたいか。

われわれは、自分の知恵に頼らない。

聖書にしたがって確信を持って生きる。

われわれは、自分の知識を土台として生きるならば、弱くなる。

なぜならば自分で自分が頼りないことを知っているからだ。

その場合、人間に依存せざるをえなくなる。

組織とか、世俗の権力とかに頼らざるをえない。

それは、奴隷への道である。

人に頼ることによって、いろんな問題が発生する。

他者に甘える人は、甘える対象に負担をかける。

甘えるという行為は、「要求」や「操作」でしかないからだ。

子供に頼る人は、子供に負担をかける。子供は期待に押しつぶされる。

社会の中で他人の評価を気にして生きる人は、他人から鬱陶しがられ、馬鹿にされて、軽蔑やいじめや利用の対象になる。

われわれは、神に依存すべきだ。悩みがあれば、神に相談せよ。

心配なら神に祈れ!

神との間で問題を解決せよ!

もちろん、人間にアドバイスをもらうことは間違いではない。

しかし、依存してはならない。

でれ~っと相手に体重を乗せるな。乗せたら、相手がつぶれてしまう。

神に祈って、神にすべてを求めよ。

神から回答をいただいたら、それが最善だと分かるだろう。

そうやって自分と神との間で問題を解決する訓練をせよ。

それだけが、唯一の正しい生き方だ。

バプテスマのヨハネは、荒野で毛皮を着、イナゴと野蜜を食べて暮らした。

それは、当時の堕落した宗教システムに加わることによって、自分も堕落することを回避するためだ。

律法学者やパリサイ人、サドカイ人らのグループに入って彼らから助けてもらおうとすると、彼らの仲間になって神に敵対することになるからだ。

われわれが社会を作り、互いに助け合うことができるのは、神と自分との関係が損なわれない範囲においてだ。

人間が神よりも重要になるような関係を避けなければならない。

神にだけ頼る訓練を積み、百戦錬磨になることがクリスチャンとしての成長である。

何かデボーションなるものをして「霊的」になることが成長ではない。

人間依存や組織依存があるクリスチャンは、どんなに神学校で教えていても、教団の幹部であっても、幼児のクリスチャンである。

パウロは、公生涯に入る前に、砂漠で2年間人間と接触しないで暮らした。

人間に頼らない訓練を積んではじめて宣教活動ができるようになった。

自立こそが本当の働きの前提だ。

そのためには、聖書だけを基準とするという、聖書的認識論を確立しなければならない。

あなたは、何を土台として家を建てるつもりか。
 

 

2011年2月6日

 

 


#130 終末預言 by R.C. Sproul

2022年07月20日 | 終末預言 

Parables of the Kingdom (Mark 4:21–33) — A Sermon by R.C. Sproul

訳出時間枠:19分45秒から23分52秒まで

◇◇

聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、マルコ福音書から改革派神学基礎教理を学ぶ。

◇◇

以下にあるように、何かと難癖付けたがる輩はどこの世界にもいる。

医療界ではモンペという人種。モンスターペイシェントの略。

霊的領域において、Sproul師は多くは精神異常者lunaticと苦笑している。

◇◇

この神の国のたとえにおいて、種を蒔いた男(人間の側)の挙動に主眼があるのではない。

蒔かれた種と自然との共同作業が神の国のたとえにふさわしい、とイエスは言っているのだ。

神の国のたとえであるので悪魔の国について考える必要はないのだが、蒔かれる種にも良い麦と毒麦の2通りあり、種を蒔く男にも羊と山羊の2種類あるということを考慮すると、この箇所の理解にふくらみが出てくる。

師のメッセージにはそういった含みが感じられる。

以上を念頭において、説教の続きを聴いて欲しい。

◇◇

 

神の国で起きていることに彼らが気づくことはありません。

私にはこのことは大変慰めとなります。

あなたにとってもそうでしょう。

これが神の国の働く仕方であります。

かつてこういうことがありました。

礼拝終了後、ドアのところに立っていた時のことであります。

正確な場所については覚えていませんが、一人の若い男性が私のところに来て、「こんにちは、私の名前はこれこれという者です」と、私に話しかけてきました。

さらに彼は、「15年前にあなたにお会いしたことがあります。ペンシルバニアにある小さな田舎の教会であなたは説教をしていました」と言いました。

そして、私が説いた説教のことを私に話してくれました。

礼拝終了後、外に出ようとしていた私と握手をして、私に質問をしたそうです。

彼が言ったことを私に話し、それから、「これがあなたが言ったことです」と、15年前にドア越しに通り過ぎようとしていた私が彼に言ったことを一字一句違わずに、彼は繰り返したのです。

「私は家に帰りましたが、自分の頭であなたのことばを理解することができませんでした。あの日あなたが言ったあのことばを神は用いて、私は有罪と宣告されたので、聖職者の道を選んだのです」と彼は言いました。

そのようなことを、私が計画していたはずもありません。

実に恐ろしいことであります。

全く覚えていない人々に対して、一体どれほどのことばを話したのか分かりません。

しかし、彼らを傷つけて、彼らの魂に今日にまで至る瘢痕を残した。

たったの一言がどれほどパワフルなのか見当もつきません。

アメリカにおいて毎年16000人の牧師が牧会を離れています。

ある人たちは道徳的理由のためにですが、多くの牧師が牧会を離れる理由は、教会メンバーと選りが合わないと感じるからであり、また、自分らの説教が虚しく空回りして、無駄であると感じるからであります。

彼らはこのたとえを良く聞くべきだと思う。

イエスは「神の国は、地に種を蒔いて、5分後に膨大な量の収穫が得られるというものではない」と言いました。

彼らはパウロが言っていることをよく聞くべきです。

ひとつの種とさらに水、しかし繁殖をもたらすのは神であると言っています。

このことははあまり言いたくはないのですが、今週起きたことについて言っておく必要があると思います。

まず最初に、ジョニー・エリクソンと話したことであります。

彼女は来たるリゴニエ・カンファランスをキャンセルしなければなりませんでした。

何故かというと、車椅子に座っていることができないほどのひどい痛みがあったからです。

彼女と話しをした時、彼女は私に言いました。

「私が何をしているかあなたは知っています。私は毎日数時間、あなたのビデオを観たり、あなたのテープを聴いたりしています。私はそれらから力を頂いているのです。」

それから彼女は言いました、「あなたのためにお祈りしてよろしいでしょうか。」

彼女は私のために祈ってくれました。

私は言いました、「私たちの資料がそれほどまでに誰かの役に立っているとは思ってもいませんでした。」

それから、昨日ベスタが私のところに来て、こう言いました。

「今すぐこの手紙に目を通して欲しい。どうしてこの手紙をもらったかどうしても話しておきたい。ラジオ番組やいろんな番組を通して、いつも数多くの手紙をもらっているが、これらの手紙を全部読む時間がない。もちろん、返事を書いている時間もない。しかも、手紙の多くは誹謗中傷の手紙。だから、われらのスタッフは、卑劣な手紙や郵便物からあなたを守ってくれている。2人の人物があなたに卑近な手紙を書いています。誰かに嫌味な手紙を自分宛に書かせて、それに返事を書くチャールズ・"チャック"・コルソン方式のやり取りと思われます。但し、この精神異常者は私宛てに手紙を書いており、差出人はあなたの名前となっている(笑い)。」

*最後の文章を修正;精神異常者の書いた手紙の宛先は私(ベスタ)宛で、差出人はあなた(スプロール師)。

◇◇

賛美:

All Hail The Power of Jesus' Name