みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The True Nature Of The Fall, #4

2016年06月30日 | 聖書研究・信仰
アダムは中立の形で創造されたことをかつて検証した。

アダムは、神と交わることができる霊を持っていた。

しかし、彼は依然最終的に完成された人ではなかった。

彼は自由選択能力を持っていた。

やろうと思えば、反対方向を向くことができた。

人創造における神の最終目的は「親子になること」であった。

すなわち、人の中にご自身の命を発芽させることであった。

神の命は、エデンの園において命の木によって表された。

容認できる、受け入れることができる、食べることができる実を付けていた。

中立に創造されたアダムが、自発的にそっちを選んでいたら、どうなっていただろうか。

神への依存を選択して、神の命を象徴する命の木から受けていたとしたら、どうなっていただろうか。

神と人はひとつになり、その命を共有していたのだろう。

神は、人と「親子であること」に満足していたに違いない。

代わりに、アダムが善悪の知識の木に目を向けてしまったら、どうなるだろうか。

結果として、彼は、神から離れて、我が道を行き、勝手気ままに自己を肥大化させるのだろう。

しかしながら、この後者を選択したが故に、アダムはサタンと共犯という事態に引き込まれてしまった。

こうして、アダムは、神が人に命ぜられた目的の達成から遠く離れてしまった。





The True Nature Of The Fall, #3

2016年06月29日 | 聖書研究・信仰
アダムは完全な形で創造された。

これは、神によって創造された時には不完全な形ではなかったという意味だ。

それでもまだ、アダムは完全ではなかった。

どこかに最後のタッチが必要だった。

アダムにおいてすべきことすべてが、神によって完了していたのではない。

将来において、まだ成すべきことがあった。

人創造におけるご自身の目的の完了に向けて神は動いていた。

人そのものを超越することを目指した目的。

その目的は、全宇宙のあらゆる権利を神ご自身に帰するということが視野に入っていた。

そして、この目的が人の手を介して達成されることも視野に入っていたのだろう。

神との生きた一体化から湧き上がる共同作業によってのみ、この目的が完了する。

神が追い求めていたのは、地上に神族人類という1つの血族を誕生させることだけではなかった。

加えて、神族人類ひとりひとりの中にご自身の命を植え付けることであった。

この神族人類は、最後にサタンの殲滅を果たすであろう。

そして、彼らは神が御心に思い描いたすべてを成就するであろう。

それが、人創造について見えたことだ。







The True Nature Of The Fall, #2

2016年06月28日 | 聖書研究・信仰
だから、神は人を創造された。

創世記2:7に書いてある。

アダムは生きる魂として創造された。

神と交わるための霊を内に、そして、物質世界と接触するための体を外に持つ。

第1テサロニケ5:23、へブル4:12にあるように、人はこの3つの特徴から成る。

霊によって、アダムは神という霊的世界と接触した。

体によって、アダムは物質という物理的世界と接触した。

アダムは、神の創造の御業の2つの側面を自身の中に併せ持った。

すなわち、自分で動き回り、自由選択能力を持つ生きる実体となった。

概していうと、自意識と自己表現力のある「生きる魂」となった。




The True Nature Of The Fall, #1

2016年06月27日 | 聖書研究・信仰
神のご計画の啓示が一寸でもあれば、「人」ということばについて十分に考える機会が与えられていると捉えるべきである。

我々は、詩編の作者とともにこう言うであろう。

「人とは何者で、あなたは人を心に留めておられるのか」(詩編8:4)

聖書は明らかにしている。

なかんずく神が望んでいるのは人。

主のみ心を追い求めている人。





Chapter 12: The Cross and the Soul Life, #4

2016年06月26日 | 聖書研究・信仰
ここで、「生まれながらの人ということ」と「十字架を負うということ」の検証に至る。

このことを理解するために、くどいようであるが、再度創世記に戻る必要がある。

そして、始めに、神は人の中に何を植えようと考えておられたのかを検討する。

何故神の目的が頓挫してしまったのかを理解する必要がある。

そうすれば、神の目的の原則が分かり、その目的に一致した生き方ができるようになるであろう。




Chapter 12: The Cross and the Soul Life, #3

2016年06月25日 | 聖書研究・信仰
これと同じように、今や我々は神のために生きる生き方において、確実に前進している。

そして、我々は、その歩みの一歩一歩をかつてないほどに肌で感じ取ることができている。

これまでの信仰生活上の問題として、我々は信仰生活に入る転機という点に主に強調点を置いてきた。

しかし、今や我々の関心事は間違いなく弟子としての歩みに絞られて来ている。

神のしもべとして、常に弟子訓練を視野に入れている。

主イエスが言ったのは、この弟子についてであった。

ルカ14:27
自分の十字架を負って
私の後についてこない者は
私の弟子となることはできない





Chapter 12: The Cross and the Soul Life, #2

2016年06月24日 | 聖書研究・信仰
主の十字架の業により、我々は2つの異なる結論を見い出すに至る。

いずれの結論も、神の目的を理解する上で重大な影響力を持つ。

そのひとつは、主の命の放出。

主の十字架は、内住する御霊を介して我々の中に主の命を発現させる。

もうひとつの結論とは、主の十字架と我々が負うべき十字架との関係。

すなわち、主の死の内なる日々の働きと我々の共同作業。

それによって、我々の中に新しい命が現出される。

「生まれながらの人」が、順序立って聖霊に対して居場所を譲っていく。

主の十字架という事実の裏と表が明示されている。




Chapter 12: The Cross and the Soul Life, #1-5

2016年06月23日 | 聖書研究・信仰
神は、キリストの十字架において、我々の救いに対して万全の備えをして下さった。

しかし、神はそこで立ち止まるお方ではなかった。

パウロが言う所の永遠の計画。

それは、全時代から「万物を創造した神の中に隠されていた」計画。

主の十字架において、失敗の可能性をはるかに超えて余りある、絶大な保証を神は成して下さった。

神が宣言して下さったご計画がこれだ。

諸々の天にいる支配者たちと権力者たちに対してなされた宣言。

エクレシアを通してなされる多岐にわたる神の知恵の宣言。

神が決意した永遠の計画に従ってなされた宣言。




Chapter 12: The Cross and the Soul Life, #1-4

2016年06月22日 | 聖書研究・信仰
エペソ3:11
永遠の目的に従って
神が決意した
我らの主キリストイエスにあって
(直訳)



我らの主キリストイエスにおいて
神が決意した永遠の目的に従って
(私訳)





Chapter 12: The Cross and the Soul Life, #1-3

2016年06月21日 | 聖書研究・信仰
エペソ3:10
知られるようになるために
今や、支配者たちに
そして、権力者たちに
天々の中に
エクレシアを通して
多彩な神の知恵が
(直訳)


エペソ3:10
多彩な神の知恵が、我々エクレシアを通して
天にいる支配者たちと権力者たちに
今知れ渡るようになるために
(私訳)