みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Problem Of Our Sins, #7

2014年09月29日 | 聖書研究・信仰
All have sinned. (Romans 3:23)
They are all under sin. (Romans 3:9).
I have sinned. (Luke 15:18)
You have sinned. (Rev. 12:10)

1.罪々の原版である原罪(Sin)故に、我々は罪々(sins)にまみれ続けている
2.罪々の原版である原罪(Sin)故に、神から離れたために沸き起こる罪の意識
3.日々責め立ててくるサタンによる内部告発

これらから救い出される必要がある。

ローマ3:25
彼(キリストイエス)を、神は、なだめの供えを予め置いた、
彼の血潮の中の信仰を通して、
というのは、彼の義を宣言するために
神の忍耐による過去の罪の数々の過ぎ越しによって
(直訳)


主イエスが勝ち取った神の義が我々の内に宿っている。何故、神の義が我々の内に宿っているのか。主は何をしたか。上の聖句に書かれている。彼の血潮の中の信仰によって。従って、主の血潮によって、上の3つはすでに克服済みなのだ。しかも、我々の良心は目覚めている(だから、罪の意識が起きる)ので、神との交わりも回復しているはずだ。罪の意識、すなわち邪悪な良心はすでに主の血潮により浄められている。

サタンによる罪定めに耳を貸すな。

ただ小羊の血に頼る
良心を強くする-霊的ビタミン群⑧


The Problem Of Our Sins, #6

2014年09月28日 | 聖書研究・信仰
黙示録12:10
そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
(新改訳)


And I heard a great voice saying in the heaven, `Now did come the salvation, and the power, and the reign, of our God, and the authority of His Christ, because cast down was the accuser of our brethren, who is accusing them before our God day and night;
(YLT)


新共同訳のように訳出すれば「サタンは兄弟たちを神に対して訴えている」ことになる。

原罪(Sin)ゆえにサタンは神の御前で兄弟たちを非難することができる。と同時に、我々の罪の意識ゆえに、サタンは我々の心へと直接非を責めたてることができる、「お前は罪にまみれている」と。

The Problem Of Our Sins, #5

2014年09月23日 | 聖書研究・信仰
ルカ15:18
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
(新共同訳)

「お父さんに対しても罪を犯し」ではなく、新改訳や下に掲げた英語訳のように、「あなたの前に」が原典に忠実な訳出だが、文意に大きな違いが生じるかどうかは不明。


I will rise up and go to my father, and I will say to him,
Father, I have sinned against heaven and before thee;
(Darby)


神との交わりにとって障壁となる原罪(Sin)は、神からの離反、すなわち「罪の意識」を引き起こす。そして、目覚めた良心の責めによって「私は罪を犯した」と告白する。

霊の3要素:触覚、良心、交わり(→Part 5 AN ANALYSIS OF THE SPIRIT、The Spiritual Man

注:交わり:英語では、FellowshipとCommunionの2通りの言い方がある。Communionの方が堅い意味を持つ。

The Problem Of Our Sins, #4

2014年09月21日 | 聖書研究・信仰
ローマ3:9
では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。
全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も
皆、罪の下にあるのです。
(新共同訳)


What then? are we better than they? No, in no wise:
for we have before proved both Jews and Gentiles,
that they are all under sin;
(KJV)

人の本性である原罪Sinの発露が神に対する不従順だ。原罪により、人は神と分断され、神から引き離される。結果、神は人と交わることができなくなる(真に交わりたいのは人の方ではなく神の方なのだ)。神との交わりを妨げている何か、それが原罪Sinだ。だから、神は「人は皆、罪の下にある。交わりたくても交わることができない」と嘆いているのだ。

原罪Sinのレプリカが罪々sins。従って、原版であるSinがある限りレプリカは複製され続ける。つまり、我々の本性であるSinを抹殺し、新生(再生ではだめ)しない限り、我々は永遠に罪々sinsを犯し続ける。

乳飲み子が罪々sinsを犯しているのを見たことがあるか。絶対にない。何故か。答えは簡単だ。しゃべれないからだ。言葉を話せないので罪々sinsを犯すことができないのだ。しかし、この聖句にあるように、たとえ赤ん坊と言えども罪Sinの下にあるはずだ。するとどうなのか。これ以上時間を裂くのは止めておくが、罪々sinsを犯すことができないという点では、我々大人よりもはるかに神の国に近いということが言えるのではないだろうか。

*新生→抹殺し、新生

The Problem Of Our Sins, #3

2014年09月18日 | 聖書研究・信仰
キリストは全人類のために死んだ。これに異議を唱える者はいない(と思う)。イエスを信じる者のためにのみ死んだのではない。全人類だ。では、全人類とは誰か。

人類はキリスト者と反キリスト者の2通りしかいないと考えている神学者がいるが果たしてそうか。これでは説明がつかない場合がある。

全人類とは、キリスト者と反キリスト者に加えて、さらに無キリスト者の3つに分類すると、実際をうまく説明できる。無キリスト者とは、キリストに出会う機会が全くないままこの世を去る(った)者だ。その代表が赤ん坊。

人類はキリスト者と反キリスト者のいずれかしかいないとすると、ことばもまともにしゃべれない乳飲み子はどちらに入るのだろう。明日生まれる予定の子はどうなっているのか。信仰告白などできるはずもない幼子でも、信仰告白がないが故に、反キリスト者として地獄行きなのか?貴兄らのご意見を求む。

再度、全人類とは、キリスト者、反キリスト者、無キリスト者の3者。キリストはこの3者のために死んだ。神に造反する者のためにも死んだ。反キリスト者の反キリスト者たる所以は、神の側に問題があるのではなく、反キリスト者の本性(Sin)にあるのだ。

The Problem Of Our Sins, #2

2014年09月15日 | 聖書研究・信仰
ローマ5:19
すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。
(新改訳)


for as through the disobedience of the one man, the many were constituted sinners:
so also through the obedience of the one, shall the many be constituted righteous.
(YLT)

この聖句には、堕落の本性と復活の方法について書かれている。

罪人とされた、ではなく、罪有りきとなった

義人とされる、ではなく、必ずや義なりとなるであろう

微妙だが、正確を期したい。神によって罪人にされたように聞こえてしまう。

‘be constituted’;~から成る、~から構成される

The Problem Of Our Sins, #1

2014年09月14日 | 聖書研究・信仰
ローマ3:23
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
(新共同訳)

同5:8
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛を示されました。
(同)

同5:9
私たちは彼(主イエス)の血によって今や義とされた
それなら、なおさら
私たちは彼(主イエス)を通してその怒りから必ず救われるであろう
(直訳)

同3:24
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、
神の恵みにより無償で義とされるのです。
(新共同訳)

同3:25
彼(キリストイエス)を、神は、なだめの供えを予め置いた、
彼の血潮の中の信仰を通して、
というのは、彼の義を宣言するために
神の忍耐による過去の罪の数々の過ぎ越しによって
(直訳)

同3:26
このように神は忍耐してこられたが、今この時に
義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、
イエスを信じる者を義となさるためです
(新共同訳)

・・・

人は皆、罪を犯した

私たちは罪人であった

主の血潮によって義とされた

主は義なり

・・・

同3:26
・・イエスを信じる者を義となさるためです

これまた致命的な誤訳。


・・イエスの信仰によってその男が義なるを・・
(直訳)


主イエスの血潮の力はイエスが救い主であると信じた者だけにしか及ばないのか。馬鹿なこと言うなと言いたい。神の力は無限大だ。主を救い主と信じようと信じまいとそんなことは関係がない。

では、何故滅ぶ者がいるのか。(騙され)自分の戸口の血潮を自ら剥ぎ取り、不義を露呈してしまう者がいるのだ。全知全能の神はこの者を決して過ぎ越さない。神を恐れよ。

同様の誤訳がもう1か所。

同3:22
すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、
それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
(新改訳)

致命的な個所は最初の文章。

イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって

ではなく

イエスキリストの信仰による神の義

となる。


イエスキリストの信仰による神の義が、信じ続けているすべての
人々の中に(入ってくる)。差別は決して存在しない。
(直訳)

つまり、この聖句は

主イエスが勝ち取った神の義が我々の内に宿っている

という意味なのだ。


God's Dual Remedy: The Blood and the Cross, #3

2014年09月11日 | 聖書研究・信仰
ローマ6:6
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、
罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
(新共同訳)


knowing this, that our old man has been crucified with him,
that the body of sin might be annulled, that we should no longer serve sin.
(Darby)


私たちはこのようなことを知り、
私たちの古い人が共に十字架に付けられたということ
罪の体が廃棄されるように
私たちが二度と罪に仕えることがないように
(直訳)

ローマ書5章12節までの前半部は、主イエスの血潮による義認が主題であったが、それ以降8章までの後半部においては、十字架に象徴される主イエスの御業(死にあって主と一つになること)へと論点が移っていく。

主の血潮は「我々の行ない」を取り扱う。
主の十字架は「我々の本性」を取り扱う。

注:前回の記事を一部修正




God's Dual Remedy: The Blood and the Cross,#2

2014年09月10日 | 聖書研究・信仰
ローマ5章9節
ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、
彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
(新改訳)


much more, then, having been declared righteous now in his blood,
we shall be saved through him from the wrath;
(YLT)

この聖句で注目したいのはthrough himという語句だ。

この聖句は、ロマ書前半部(sins)までをたった1行でまとめ上げた結語的文と後半部(Sin)をこれまたたった1行で表した序論的文から成っている。

私たちは彼(主イエス)の血によって今や義とされた
私たちは彼(主イエス)を通してその怒りから必ず救われるであろう


注:論理に飛躍があるため当原稿後半部分を削除した。

God's Dual Remedy: The Blood and the Cross

2014年09月09日 | 聖書研究・信仰
ローマ3:25
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、
なだめの供え物として、公にお示しになりました。
それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、
今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
(新改訳)


whom God did set forth a mercy seat, through the faith in his blood,
for the shewing forth of His righteousness, because of
the passing over of the bygone sins in the forbearance of God--
(YLT)

これらの訳出を見て、何か気づくことはないか。じーっと見ていて、眼に入る単語はthe passing over(過ぎ越し)ではないか。英語の方が格段に分かりやすい。「見逃した」のではなく「過ぎ越した」。

英語訳を見て
God
mercy
blood
righteousness
passing over
sins

これだけ見れば、この聖句のおおよその意味は分かる。


彼(キリストイエス)を、神は、なだめの供えを予め置いた、
彼の血潮の中の信仰を通して、
というのは、彼の義を宣言するために
神の忍耐による過去の罪の数々の過ぎ越しによって
(直訳)

ギリシャ語は、大事なことばから順に並べて行くのがふつうだ。それで意味が通じるのは置かれた単語に格があるからだ。格とは、が(主)の(属)に(与格)を(体格)、のこと。

我々の無数の罪が何故に赦されているのか、その理由が書かれている。何てことはない、主の血潮のおこぼれなのだ。主によって流された血潮が我々の戸口に塗られているから、天地創造の神は我々を過ぎ越していく。主イエスの血潮という信仰のみが神をなだめ、主イエスの血潮のみが神が定める義を全うする。我々の善行などゴミ以下だ。