みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #157

2018年02月25日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章5節
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら
その人は
だれにでも惜しげなく
とがめることなくお与えになる神に願いなさい
そうすればきっと与えられます


4節は保留して、次は5節に入る。

「知恵を欠いている者」というと、劣った者とつい思ってしまう。

劣っているから神の憐れみを受けて願いが叶うのだと。

違う。

霊的世界においては、知恵がなければないほど優秀なのだ。

だから与えられる。

我々に必要なのは、人の知恵ではなく神の知恵だ。

では、知恵のある者とは誰か。

この世の教育を受けた者だろう。

霊的領域において邪魔なのが、この世の教育などから生じる「常識」や「固定観念」を土台とする感情観念複合体だ。

いったんこれらをすべて失う(削ぎ落す)必要がある。

参照→Coffee Break, #151

英語訳を見てみよう。


If any of you lack wisdom
let him ask of God
that giveth to all men liberally
and upbraideth not
and it shall be given him

あなたがたの中に、常識とか神学とか学問とか知らない者がいれば、その者にお願いしてもらえと書いてある。





Coffee Break, #156

2018年02月21日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1:2
私の兄弟姉妹たちよ
悪魔による様々な試練に取り囲まれた時
それをこの上もない喜びと思え

このように直訳した。

ここに書いてある通りに実行できるだろうか。

「悪魔による様々な試練に取り囲まれた時」とは、まさにヨブに降りかかった災難の数々だ。

それを喜べ、と書いてある。

ヨブは喜んだか。

我々にはそれができるか。

・・・

同1:3
あなたがたはこのことを知っているではないか
あなたがたの信仰の
承認を得るための神の試練は
希望に満ちた忍耐を形づくるということを

上の2節との間には文脈に飛躍があるようだ。

どのように理解すれば間隙を埋めることができるか。





Coffee Break, #155

2018年02月19日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章2節
私の兄弟たち
さまざまな試練に会うときは
それをこの上もない喜びと思いなさい

先に考察したように、この聖句において「試練」と訳されている単語はπειρασμόςであり、その意味は、ペイラスモス:悪魔による試練、まやかし、誘惑。

すると、「それをこの上もない喜びと思いなさい」という文章に違和感を覚える。

早速、検討に入る。

この箇所をKJV訳で確認すると

count it all joy

と訳出している。

countと訳された単語はἡγέομαιで、意味は

ἡγέομαι:
Middle voice of a (presumed) strengthened form of G71; to lead, that is, command (with official authority); figuratively to deem, that is, consider: - account, (be) chief, count, esteem, governor, judge, have the rule over, suppose, think.

最初にcommandとある。これは面白い。
次いで、数え(上げ)る、見做す、判断する、思う。

それを大いなる喜びであると命ぜよ
それを大いなる喜びであると見做せ
それを大いなる喜びであると想定せよ
それを大いなる喜びであると数えよ

「それ」とはペイラスモス:悪魔による試練、まやかし、誘惑

上の日本語訳(語訳ではなさそう)にあるように

悪魔による様々な試練をこの上もない喜びと思え

となる。

全文直訳する。

同1:2
私の兄弟姉妹たちよ
悪魔による様々な試練に取り囲まれた時
それをこの上もない喜びと思え

これは、山上の垂訓マタイ5章11~12節と共鳴する。

次に、何故そう「思う」必要があるのか。

その答えが次の3節に書いてあるはずだ。

まずは英語訳。

同1:3
Knowing this
that the trying of your faith worketh patience
(KJV)

tryingと訳された単語はドキミオン。

ドキミオン:神の承認を得るための試練

同1:3
あなたがたはこのことを知っているではないか
あなたがたの信仰の
承認を得るための神の試練は
希望に満ちた忍耐を形づくるということを

願いのサブスタンスが神によって承認され、地上において実現するまで、ワクワクしながら待て、ということを記者は言いたいではないか。

期待に胸ふくらませながらワクワク待つこと、これが神によって与えられる試練だ。





Coffee Break, #154

2018年02月18日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章2節
私の兄弟たち
さまざまな試練に会うときは
それをこの上もない喜びと思いなさい

試練と訳されている単語について検討しておきたい。

原語はπειρασμόςという単語で、意味は

πειρασμός:
From G3985; a putting to proof (by experiment [of good], experience [of evil], solicitation, discipline or provocation); by implication adversity: - temptation, X try.

disciplineとあるから迷わされてしまうのだろう。

πειρασμόςが使われている聖句をいくつか見ておく。

ルカ22:28
Ye are they which have continued with me in my temptations

第1ペテロ1:6
Wherein ye greatly rejoice
though now for a season
if need be
ye are in heaviness through manifold temptations

ルカ4:2
Being forty days tempted of the devil
And in those days he did eat nothing
and when they were ended
he afterward hungered

最後の聖句を見ると、はっきりと書いてある。

temptedと訳された単語はπειράζωで、πειρασμόςの動詞形だ。はっきり「悪魔によって」と書かれている。

πειρασμόςとは、悪魔による試みであり、誘惑であると理解できる。

一方で

第1ペテロ1:7
信仰の試練は
火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって
イエス・キリストの現われのときに
称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります

とある。

「信仰の試練」と書いてある。このような書き方(訳出)をされるから、ますます分からなくなるのだ。

試練は悪魔から来るのか、それとも神から来るのか、と。

この聖句において「試練」と訳された単語はδοκίμιονで、意味は

δοκίμιον:
Neuter of a presumed derivative of G1382; a testing; by implication trustworthiness: - trial, trying.

まさに、試練であり、試みと訳されて当然の単語。

この単語が使われている聖句を調べてみると

ヤコブ1:3
Knowing this
that the trying of your faith worketh patience

ローマ14:18
For he that in these things
serveth Christ is acceptable to God
and approved of men

この聖句において、δοκίμιονはapprovedと訳されている。

第1コリント11:19
For there must be also heresies among you
that they which are approved may be made manifest among you

この聖句においても、approvedと訳されている単語はδοκίμιονの派生語。

要するに、δοκίμιον(試練、試み)とは

神によって与えられる試練、試みであり、神の承認を得るために与えられる

と理解してよさそうだ。

同じ「試練」と訳されていても、原典で使われている単語が全く違うのだ。

やはり原典研究は極めて重要であり、日本語訳だけだと頓珍漢な結論に至る恐れがある。

ペイラスモス:悪魔による試練、まやかし、誘惑

ドキミオン:神の承認を得るための試練

・・・つづく。





Coffee Break, #153

2018年02月13日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章10節
富んでいる人は
自分が低くされることに誇りを持ちなさい
なぜなら
富んでいる人は
草の花のように過ぎ去って行くからです


言うまでもなく、この聖句は1章9節の対比で語られている。

英語訳を見ると、それがはっきりと分かる。

ヤコブ1:9
Let the brother of low degree rejoice
in that he is exalted

ヤコブ1:10
But the rich
in that he is made low

文頭にButがあることに注目したい。

日本語訳では

同1:10
But let the rich rejoice
in that he is made low

このように補充して理解しているが、それで良いのか。

違う(と思う)。

同1:10
But NOT let the rich rejoice
in that he is made low

ではないか。

低くされているということは、この地にいるということだ。言い換えると、天に国籍がないということ。

だから、続けて次のように書いてある。

because as the flower of the grass
he shall pass away

全文直訳する。

ヤコブ1:10
富んでいる者を喜ばせるな
低くされているのだから
故に、野の花のように
その者は必ずや滅び去るであろう

カネがあろうとなかろうと、常に霊において謙って、常に霊において飢え渇きを持てと言っているのではないか。






Coffee Break, #152

2018年02月12日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章9節
貧しい境遇にある兄弟は
自分の高い身分を誇りとしなさい

理由あって、ヤコブ書1章を詳しく調べている。

二心の真意とは何か。

まずは、この9節。

「貧しい境遇」と書いてある。

これを「貧しい人」と勝手に置き換えて理解していないだろうか。

早速原典を参照しながら、英語訳を見てみたい。


Let the brother of low degree rejoice in that he is exalted
(KJV)

つまり、「貧しい境遇」と訳された単語は英語訳では「low degree 」と訳出している。

low degreeと訳された単語はταπεινόςで、意味は

ταπεινός
Of uncertain derivation; depressed, that is, (figuratively) humiliated (in circumstances or disposition): - base, cast down, humble, of low degree (estate), lowly.

低い、謙遜な、落ち込んだ、という意味を持つ単語。最後にof low degree (estate)とあるので、この日本語訳では「貧しい境遇にある」と訳しているのだろう。

この単語の意味について、lowly in spiritと書いてある辞書があった。

This is it!

これだと確信。

>霊において低い者


次に後半部分。

「自分の高い身分」と訳しているが、英語訳はhe is exaltedだ。

原典を確認すると、ὕψοςという単語が使われていて、意味は

ὕψος:
From a derivative of G5228; elevation, that is, (abstractly) altitude, (specifically) the sky, or (figuratively) dignity: - be exalted, height, (on) high.

聖書において‘be exalted’というのは「高く上げられている」という意味だ。つまり、国籍は天にあるということ。


霊において低い兄弟を喜ばせよ
天に上げられているのだから

これは、山上の垂訓と見事に共鳴している。

マタイ5章3節
Blessed are the poor in spirit
for theirs is the kingdom of heaven
(KJV)

次回、1章10節。