初めに
3.両極の会合
p8~
Meeting of Extremes
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til
◇◇
これらの非難がいかに完璧にお互いに対立しているのか注目して欲しい。
一方において、私の考え方の基本構造は、完全なる不信仰の構造であると言われている。
他方において、私は悪魔が乗り移ったアリストテレスであると言われている。
何故なら、私は絶対的アンチテーゼを信じていると言われているからだ。
絶対的アンチテーゼとは、人というのはなり得る限り悪であるとする考え方。
絶対的という単語の辞書的意味は、制限がないということ。
しかし、私は、これらの非難にはお互いに排他的な性質があるという点に慰めを得ようとは思わない。
Masselinkは、私がノンクリスチャン哲学によって考える傾向があるという批判と意見が一致している。
私が絶対主義者神学を有していると非難するMasselinkと意見が一致する批評家もいる。
すでに言及したように、Masselinkによると、私の考え方は絶対的倫理的アンチテーゼから始まるという。
彼が言うところの絶対的倫理的アンチテーゼとは、論理的に、絶対的論理的かつ美的なアンチテーゼを含んでいる。
他の方面において、Schilderによれば、私が聖霊の普遍的外的ないし内的証言を否定しているという。
この否定は2重の過ち、すなわち全的堕落の否定と人間の責任の否定を含んでいる。
3.両極の会合
p8~
Meeting of Extremes
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til
◇◇
これらの非難がいかに完璧にお互いに対立しているのか注目して欲しい。
一方において、私の考え方の基本構造は、完全なる不信仰の構造であると言われている。
他方において、私は悪魔が乗り移ったアリストテレスであると言われている。
何故なら、私は絶対的アンチテーゼを信じていると言われているからだ。
絶対的アンチテーゼとは、人というのはなり得る限り悪であるとする考え方。
絶対的という単語の辞書的意味は、制限がないということ。
しかし、私は、これらの非難にはお互いに排他的な性質があるという点に慰めを得ようとは思わない。
Masselinkは、私がノンクリスチャン哲学によって考える傾向があるという批判と意見が一致している。
私が絶対主義者神学を有していると非難するMasselinkと意見が一致する批評家もいる。
すでに言及したように、Masselinkによると、私の考え方は絶対的倫理的アンチテーゼから始まるという。
彼が言うところの絶対的倫理的アンチテーゼとは、論理的に、絶対的論理的かつ美的なアンチテーゼを含んでいる。
他の方面において、Schilderによれば、私が聖霊の普遍的外的ないし内的証言を否定しているという。
この否定は2重の過ち、すなわち全的堕落の否定と人間の責任の否定を含んでいる。