みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#6 聖書信仰を堅持する

2020年10月15日 | 聖書信仰
初めに

3.両極の会合

p8~
Meeting of Extremes
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

これらの非難がいかに完璧にお互いに対立しているのか注目して欲しい。

一方において、私の考え方の基本構造は、完全なる不信仰の構造であると言われている。

他方において、私は悪魔が乗り移ったアリストテレスであると言われている。

何故なら、私は絶対的アンチテーゼを信じていると言われているからだ。

絶対的アンチテーゼとは、人というのはなり得る限り悪であるとする考え方。

絶対的という単語の辞書的意味は、制限がないということ。

しかし、私は、これらの非難にはお互いに排他的な性質があるという点に慰めを得ようとは思わない。

Masselinkは、私がノンクリスチャン哲学によって考える傾向があるという批判と意見が一致している。

私が絶対主義者神学を有していると非難するMasselinkと意見が一致する批評家もいる。

すでに言及したように、Masselinkによると、私の考え方は絶対的倫理的アンチテーゼから始まるという。

彼が言うところの絶対的倫理的アンチテーゼとは、論理的に、絶対的論理的かつ美的なアンチテーゼを含んでいる。

他の方面において、Schilderによれば、私が聖霊の普遍的外的ないし内的証言を否定しているという。

この否定は2重の過ち、すなわち全的堕落の否定と人間の責任の否定を含んでいる。




#6 聖書信仰を堅持する

2020年10月09日 | 聖書信仰
初めに

3.両極の会合

p7~
Meeting of Extremes
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

読者は2つのことについて驚いているに違いない。

第1に、これらの非難が極度に真剣であるということ。

私(ヴァンティル)の認識論が観念論からの借り物であり、ヘーゲル理性主義と現代実存主義の混ぜ合わせであると避難されている。

観念論と実存主義は、聖書を神のことばとは見做さない。

彼らは、聖書の神の存在を信じていない。

彼らは、神による世と人間の創造を信じていない。

彼らは、神のみ旨による世界の統治を信じていない。

彼らは、イエスキリストが神の子であり、人の子であったことを信じていない。

彼らは、贖いを信じていないし、生ける者と死んでいる者を裁くためにキリストが再臨することも信じていない。

にもかかわらず、私の認識論がキリスト教信仰の敵から得られたものであると言う人たちがいる。

Daaneは、一般恩恵に関する議論の組み立ては聖書から得られたものではなく、現代実存主義から得られたものであると主張している。

事実、そのような非難は実に深刻である。

他方、Masselinkによる主な非難は、私が絶対的倫理的アンチテーゼに固執しているということ、そのために、私が非信仰者の知識や業績に対して全く理解がないと思われていることにある。

非信仰者の一般恩恵に対する反応は否定的なものばかりであり、それ故、認識論において信仰者と共有する点は皆無であるとヴァンティルは主張しているという。

これも深刻な非難であるが、観念論や実存主義に関する非難ほど深刻ではない。

注)

以下の記事を参考にすると、「弁証法」というタイトルは誤解を与える恐れがある。
従って、直訳となるが「聖書信仰を堅持する」と改めることにした。
(自戒)テクニカルターム(専門用語)を使う時は細心の注意が必要。

弁証法的思考を捨てるべきだ



#5 聖書信仰を堅持する

2020年10月05日 | 聖書信仰
初めに

2.湧き上がる反論

p6~
Objections Raised
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

4.Van Halsema(欄外注あり*)

(*Franklin Van Halsemaはカルヴァンカレッジとカルヴァン神学セミナー在籍。以下省略。)

Van Halsema氏は、私の著作「神に関するバークレー観」について述べている。

カントの思考に関する創造論に対抗して、私が神の思考に関する創造論を配置したいということを報告してくれている。

さらに、「キリスト教の如何なる観念によって、そのような観念論的逸脱がキリスト教弁証学に生じるのだろうか」と、彼は声を荒げる。

ハ.Daane(欄外注*)

(*James Daane(1914-1983)はカルヴァン神学校に在籍。プリンストン神学校、アムステルダム自由大学にも在籍経験がある。以下省略。)

Daaneによる基本的な批判は、以下のことばに要約される。

私の論文の半数は、以下の事柄に関連している。

ヴァンティルが提出した一般恩恵神学がHoeksema(欄外注*)神学に基づいたヘーゲル理性主義に由来するものではないということ。

また、ヴァンティルの一般恩恵神学が、彼が改革派の伝統的で主要な神学者たちの中に見出すことができると考えるノンクリスチャンの哲学残滓に由来しないということ。

逆に、以前の状況にも増して、一般恩恵教理を哲学的空想の中へとさらに深く落とし込んでしまった。

ヴァンティルが提示したのは、キリスト教の歴史と純化した一般恩恵神学の清廉された基礎ではない。

彼が伝えたのは、実存的弁証主義がその中に含まれるために、ヘーゲル理性弁証主義が維持されるだけでなく大きくなるヘーゲル理性主義と現代実存主義(*)の混ぜ物であるということ。

(*James Daaneは、彼の著書「恩恵の神学:一般恩恵に関するヴァンティル博士の教理に対する検証と評価」の中で、ヴァンティルの人類に関する見解は、一般的に言って、観念論と実存主義の両者によって汚染されていると批判した)