みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Our End Is God’s Beginning, #5

2015年09月30日 | 聖書研究・信仰
自分で何とかしようとするのをやめる。

早ければ早いほどいい。

我々が仕事を独占すれば、聖霊の居場所がなくなる。

「もうやめよう」

「主にお任せしよう」

すると、備わっている以上の力を見い出すであろう。




Our End Is God’s Beginning, #4

2015年09月29日 | 聖書研究・信仰
中国で見たことのある運搬人の例で説明したい。

ある者たちは120kgの塩を運び、ある者は250kgもの塩を運ぶ。

120kgの塩しか運べない男が来た。

250kgの塩が置いてある。

それを運ぶのは無理であることは知っている。

賢い男なら次のように言うだろう。

「それには触りたくないな」

しかし、不可能に挑戦してみたいという誘惑が人にはある。

たぶん無理だがやってみる。

20人ほどの男がやってきては、無理を承知で挑戦するのを見て楽しんだことがある。

結局は皆断念して、それができそうな男に譲るのが必然だろう。




Our End Is God’s Beginning, #3

2015年09月28日 | 聖書研究・信仰
神が我々の中で働いておられる。

律法からの解放とは、我々が神の御旨を行なう必要がないということではない。

無法となることでもない。

違う。

律法からの解放とは、自力で神の御旨を行なおうとはしないということだ。

それはできるはずもないことは十分分かっている。

我々は古い人に土台を置いて神を喜ばせようとするのは止めよう。

そうしようとして、我々は幾度も悲惨な絶望を経験してきた。

だから止めるのだ。

今や我々は復活の主に信頼を置く。

主は我々のうちにおられる。



Coffee Break, #24

2015年09月27日 | コーヒーブレイク
https://www.youtube.com/watch?v=vo0ptObff_A&sns=em




Our End Is God’s Beginning, #2

2015年09月26日 | 聖書研究・信仰
思い出してほしい。

もし肉において神を喜ばせようとするなら、直ちに律法の下に置かれることになるだろう。

そして、私は律法を破り、律法は私に死刑を宣告する。

刑が執行され、肉なる「私」は死んだ(ローマ7:14)。

そして、すべての要求から解放された。

しかるに、神の律法は今だに在る。

新しい命令がそれだ。

古い命令よりもはるかに厳格だ。

しかし、神を賛美せよ。

その要求はすでに満たされている。

それらを成し遂げたのは我らの主イエスキリスト。

キリストが我々の中で働き、神を満足させておられる。

「私は来た・・・(律法を)成就するために」

これは主が言ったことだ(マタイ5:17)。

かくして、復活を土台として、パウロは次のように言う。

ピリピ2:12b
恐れながら、そして打ち震えながら自分の救いを完了せよ

ピリピ2:13
神があなたがたの中で働いている
願うにせよ、働くにせよ
神の満足のために





Our End Is God’s Beginning, #1

2015年09月25日 | 聖書研究・信仰
以上、第7章の教理的側面について検討してきた。

次に、実践的な問題について検討してみたい。

第7章ではネガティブな側面が書かれているが、第8章においてはポジティブな側面に戻る。

律法から解放されるとは、日常生活においてどういうことなのか。

それは、今後一切私は神を喜ばせようとはしないということを意味する(注)。

「何という教理だろうか」

「何というひどい異端だ」

「本当にそう思っているのか」

つい、そう叫んでしまうのではないだろうか。


注:原文は‘It means that from henceforth I am going to try to please Him.’となっているが、
‘It means that from henceforth I am NOT going to try to please Him.’の誤りと思われる。
そのように訳出した。



Christ The End Of The Law, #13

2015年09月24日 | 聖書研究・信仰
彼女が第2の男と結婚すればどうなるのだろうか。

彼女はもはや自分の名を名乗ることはできず、夫の姓となる。

もちろん、名前だけではなく、夫の所有財産となる。

キリストにつながってそうなるのだ。

主のものとなる時、彼のものは皆我々のものとなる。

そして、主の無限にある財産は我々の自由となり、我々は律法の要求をすべて満たしていることになるのだ。



Christ The End Of The Law, #12

2015年09月20日 | 聖書研究・信仰
この新しいキリストとの一体化の意義とは何か。

「我々が神に実を結ぶように(ローマ7:4)」

キリストの体を通して、あの愚かで罪深い妻は死んだ。

しかし、死において主と一体であったように、復活においても主とひとつとなっている。

復活の命の力を通して、彼女は神に実を結ぶ。

彼女の中にある主の復活の命が、神の聖なるすべての要求に全力を注ぐ。

神の律法は決して無効とはされない。

そしてそれは完璧なまでに成就される。

復活した主が彼女の中で生きている。

復活した主の命が唯一御父の喜びなのだ。




Coffee Break, #23

2015年09月20日 | コーヒーブレイク
https://www.youtube.com/watch?v=CDdvReNKKuk&feature=youtu.be



Christ The End Of The Law, #11

2015年09月19日 | 聖書研究・信仰
我々がキリストとひとつになるという神の目的は、栄光に満ちているのみならず極めて合目的的だ。

「あなたがたはもうひとつの(復活した)キリストの体に結び付けられている(ローマ7:4)」

死によって古い婚姻関係は解消された。

故に、何も手伝おうとしない前夫の絶えざる要求に失望していた妻は、今や自由となり他の男と結婚できる。

その男は、すべての要求について、その実現のために彼女の中で力となってくれる。