ダニエル7章はティトゥスによって成就した
かつてダニエル7章に関して、師に質問したことがある。
不勉強が露呈して恥ずかしい限りだが、全文そのまま提げておく。
ダニエル7章に関して確認しておきたいことがあり、貴兄のご意見をお聞きしたいと思います。ダニエル7章13節にこうあります。私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この聖句はマタイ24章30節と酷似した内容であり、旧約時代の終わりを預言していると理解して良いでしょうか。次に22節。しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。「さばき」とあるので最後の審判と世の終わりの預言、そして「聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た」とあるので、万物の回復の預言と解釈してよいでしょうか。そうすると、15節以下は現在進行中の新約の時代について書かれていると理解されますが、いかがでしょうか。
ダニエル7章全体が旧約時代の終焉を指し示しているということは、もはや議論の余地はない。
熱心に学んでいる読者諸氏にとっても、すでに当たり前になりつつあるのではないかと思う。
◇◇
ユダヤを支配する4つの世界帝国を描くダニエル書は、旧約聖書の一部であり、それゆえキリストによってすでに成就されている。
7章では、第4帝国であるローマ帝国が描かれている。
ディスペンセーション主義などでは、ローマ帝国に関するダニエルの預言は未来に成就すると考えられているが、誤った解釈である。
それは、ティトゥスによって成就された。
それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。
その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。
私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。
しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。
彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。
しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』(ダニエル7・19-27)
「その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。・・・十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」
ローマ帝国の皇帝を以下に挙げる。
1.ユリウス・カエサル(紀元前49年 - 44年)
2.アウグストゥス(紀元前31年 - 紀元14年)
3.ティベリウス(紀元14 - 37年)
4.ガイウス・カリグラ(紀元37年 - 41年)
5.クラウディウス(紀元41年 - 54年)
6.ネロ(紀元54年 - 68年―ヨハネ黙示録が書かれたとき6番目の皇帝)
7.ガルバ(紀元68年から69年)
8.(マルクス・サルウィウス・)オト(紀元69年1月15日 - 4月15日)[7、8、9は、根こそぎにされ、抑えつけられた3本の角]
9.(アウルス・)ウィテッリウス(紀元69年4月16日 - 12月22日)
10.ウェスパシアヌス(紀元69年 - 79年)
11.ティトゥス(紀元79年 - 81年)
参照:
http://www.purposeoflife.org.uk/...
ローマ帝国という獣には10本の角があった。
これは、1~10に当たる。
「この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」
ウェスパシアヌスの息子ティトゥスは、紀元70年のユダヤ・エルサレム侵略を指揮したローマの将軍で、ウェスパシアヌスとともにフラウィウス王朝を開始した。
7,8,9(すなわち、ガルバ、オト、ウィテッリウス。彼らもカエサルの家のものではない)の支配は短期間で終了したが、これは、スエトニウスによると、虐殺によるという。
「・・・3人の皇帝の王位簒奪と虐殺の後に帝国は長い間安定を失い、いわば、漂流状態にあったのだが、ついに、・・・フラウィウス家の手によって安定を取り戻したのであった」(Suetonius, Vespasian 1)。
ガルバ、オト、ウィテッリウスは、殺害され、王位を簒奪されたのである。
では、この殺害と王位簒奪の黒幕は誰か。スタンリー・L・サンドラーによるとそれは、ウェスパシアヌスであるという。
68年にネロが死去し、ローマが不安定になると、ウェスパシアヌスは他の近東の総督と共謀し、帝国を奪取した。
(Stanley L.Sandler, Ground Warfare:International Encyclopedia,vol.1, p.923.)
ティトゥスはウェスパシアヌスの将軍であったので、ティトゥスが、彼らの支配を終わらせたと考えても無理はない。
ここに「もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた」という預言が成就した。
彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。
ティトゥスは、自分が破壊した神殿の中で礼拝された。
ヨセフォスによると、ティトゥスは、紀元70年、将軍たちとともに至聖所に入り(Josephus, The Wars of the Jews 6.4.7.)、崇拝を受けた。これは、大将軍として宣言された人物に対して慣例として行われていた行為であった。
ヨセフォス曰く、
「そして、今、ローマ人たちは、軍旗を神殿に運び入れ、東門の真向かいに置いた。そして、彼らは、これらの軍旗に犠牲を捧げ、ティトゥスを大将軍の座に据えた。」(Josephus, The Wars of the Jews 6.6.1.)。
この軍旗の柱の上には、大きな硬貨形の胸像または像があった。その像には、ウェスパシアヌスとティトゥスの姿が刻まれていた。
ここに、2テサロニケ2章が成就した。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。(2テサロニケ2・4)
Sproul師:
エリシャが祈ると、彼の召使たちの目が開かれる。彼らの目が開かれた時、彼らは一体何を見ただろうか。エリシャと取り囲む炎の戦車だった。旧約聖書全体を通して、空に見える戦車の姿は、ユダヤ人にとって、怒りと裁きのためにやってくる神の御姿を意味した。そして、それはまたご自身の栄光の門出でもある。神の栄光がエルサレムの東の門から放たれるのを旧約聖書の預言者は目撃したのだ。これらの記載されたイメージはすべて、ご自身の民に下る神の裁きを指し示している。
神ご自身の栄光はエルサレムの東門から解き放たれた。何故なら、そこは神殿の中で最も穢されたところだったからだ(私論)。
ティトゥスのエルサレム侵略は3年半続いた。
ローマとユダヤ人の宗教的緊張に端を発する「大逆」は、ネロの治世の第12年、紀元66年に始まった。ユダヤ人による反課税抗議運動とローマ市民への攻撃により危機が拡大した。ローマ総督ゲシウ・フローラスの対応は、第二神殿からの略奪であった。総督は、金は皇帝に献上するためであると主張し、翌日、エルサレムを急襲し、多数のユダヤ人高官を逮捕した。
https://en.wikipedia.org/...
これは、紀元70年の神殿崩壊と紀元71年のティトゥスのローマ帰還まで続いた。
ここに、「彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。」が成就した。
しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
ティトゥスは在位2年で熱病により死亡した。
ただし、スエトニウスによると、弟ドミティアヌスによって毒殺された可能性があるという。
かつてダニエル7章に関して、師に質問したことがある。
不勉強が露呈して恥ずかしい限りだが、全文そのまま提げておく。
ダニエル7章に関して確認しておきたいことがあり、貴兄のご意見をお聞きしたいと思います。ダニエル7章13節にこうあります。私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この聖句はマタイ24章30節と酷似した内容であり、旧約時代の終わりを預言していると理解して良いでしょうか。次に22節。しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。「さばき」とあるので最後の審判と世の終わりの預言、そして「聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た」とあるので、万物の回復の預言と解釈してよいでしょうか。そうすると、15節以下は現在進行中の新約の時代について書かれていると理解されますが、いかがでしょうか。
ダニエル7章全体が旧約時代の終焉を指し示しているということは、もはや議論の余地はない。
熱心に学んでいる読者諸氏にとっても、すでに当たり前になりつつあるのではないかと思う。
◇◇
ユダヤを支配する4つの世界帝国を描くダニエル書は、旧約聖書の一部であり、それゆえキリストによってすでに成就されている。
7章では、第4帝国であるローマ帝国が描かれている。
ディスペンセーション主義などでは、ローマ帝国に関するダニエルの預言は未来に成就すると考えられているが、誤った解釈である。
それは、ティトゥスによって成就された。
それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。
その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。
私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。
しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。
彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。
しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』(ダニエル7・19-27)
「その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。・・・十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」
ローマ帝国の皇帝を以下に挙げる。
1.ユリウス・カエサル(紀元前49年 - 44年)
2.アウグストゥス(紀元前31年 - 紀元14年)
3.ティベリウス(紀元14 - 37年)
4.ガイウス・カリグラ(紀元37年 - 41年)
5.クラウディウス(紀元41年 - 54年)
6.ネロ(紀元54年 - 68年―ヨハネ黙示録が書かれたとき6番目の皇帝)
7.ガルバ(紀元68年から69年)
8.(マルクス・サルウィウス・)オト(紀元69年1月15日 - 4月15日)[7、8、9は、根こそぎにされ、抑えつけられた3本の角]
9.(アウルス・)ウィテッリウス(紀元69年4月16日 - 12月22日)
10.ウェスパシアヌス(紀元69年 - 79年)
11.ティトゥス(紀元79年 - 81年)
参照:
http://www.purposeoflife.org.uk/...
ローマ帝国という獣には10本の角があった。
これは、1~10に当たる。
「この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」
ウェスパシアヌスの息子ティトゥスは、紀元70年のユダヤ・エルサレム侵略を指揮したローマの将軍で、ウェスパシアヌスとともにフラウィウス王朝を開始した。
7,8,9(すなわち、ガルバ、オト、ウィテッリウス。彼らもカエサルの家のものではない)の支配は短期間で終了したが、これは、スエトニウスによると、虐殺によるという。
「・・・3人の皇帝の王位簒奪と虐殺の後に帝国は長い間安定を失い、いわば、漂流状態にあったのだが、ついに、・・・フラウィウス家の手によって安定を取り戻したのであった」(Suetonius, Vespasian 1)。
ガルバ、オト、ウィテッリウスは、殺害され、王位を簒奪されたのである。
では、この殺害と王位簒奪の黒幕は誰か。スタンリー・L・サンドラーによるとそれは、ウェスパシアヌスであるという。
68年にネロが死去し、ローマが不安定になると、ウェスパシアヌスは他の近東の総督と共謀し、帝国を奪取した。
(Stanley L.Sandler, Ground Warfare:International Encyclopedia,vol.1, p.923.)
ティトゥスはウェスパシアヌスの将軍であったので、ティトゥスが、彼らの支配を終わらせたと考えても無理はない。
ここに「もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた」という預言が成就した。
彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。
ティトゥスは、自分が破壊した神殿の中で礼拝された。
ヨセフォスによると、ティトゥスは、紀元70年、将軍たちとともに至聖所に入り(Josephus, The Wars of the Jews 6.4.7.)、崇拝を受けた。これは、大将軍として宣言された人物に対して慣例として行われていた行為であった。
ヨセフォス曰く、
「そして、今、ローマ人たちは、軍旗を神殿に運び入れ、東門の真向かいに置いた。そして、彼らは、これらの軍旗に犠牲を捧げ、ティトゥスを大将軍の座に据えた。」(Josephus, The Wars of the Jews 6.6.1.)。
この軍旗の柱の上には、大きな硬貨形の胸像または像があった。その像には、ウェスパシアヌスとティトゥスの姿が刻まれていた。
ここに、2テサロニケ2章が成就した。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。(2テサロニケ2・4)
Sproul師:
エリシャが祈ると、彼の召使たちの目が開かれる。彼らの目が開かれた時、彼らは一体何を見ただろうか。エリシャと取り囲む炎の戦車だった。旧約聖書全体を通して、空に見える戦車の姿は、ユダヤ人にとって、怒りと裁きのためにやってくる神の御姿を意味した。そして、それはまたご自身の栄光の門出でもある。神の栄光がエルサレムの東の門から放たれるのを旧約聖書の預言者は目撃したのだ。これらの記載されたイメージはすべて、ご自身の民に下る神の裁きを指し示している。
神ご自身の栄光はエルサレムの東門から解き放たれた。何故なら、そこは神殿の中で最も穢されたところだったからだ(私論)。
ティトゥスのエルサレム侵略は3年半続いた。
ローマとユダヤ人の宗教的緊張に端を発する「大逆」は、ネロの治世の第12年、紀元66年に始まった。ユダヤ人による反課税抗議運動とローマ市民への攻撃により危機が拡大した。ローマ総督ゲシウ・フローラスの対応は、第二神殿からの略奪であった。総督は、金は皇帝に献上するためであると主張し、翌日、エルサレムを急襲し、多数のユダヤ人高官を逮捕した。
https://en.wikipedia.org/...
これは、紀元70年の神殿崩壊と紀元71年のティトゥスのローマ帰還まで続いた。
ここに、「彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。」が成就した。
しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
ティトゥスは在位2年で熱病により死亡した。
ただし、スエトニウスによると、弟ドミティアヌスによって毒殺された可能性があるという。