みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #291

2018年11月29日 | コーヒーブレイク
ローマ12章2章
この世と調子を合わせてはいけません
いや
むしろ
神のみこころは何か
すなわち
何が良いことで
神に受け入れられ
完全であるのかをわきまえ知るために
心の一新によって自分を変えなさい

15年もの歳月を経て、巡り巡って再びこの聖句へ。

感慨深いものがある。

とてつもなく重要な聖句なのだろう。

導かれる流れ(啓示)からしても、確かにその通り。

テーマはリニューイング(renewing)。

関連するテーマ、魂と霊の分離についても同時に見ていきたいと思う。

職業的宗教家による解析には当然かなうはずもないし、時間も相当限られている。

学術的論考が良ければ、そちらを参照されたし。

あまり気張らず、あくまでも素人の道楽として考察を進めていく。

暫くの間、俗世のことは忘れて、のめり込んでみようと思う。





Coffee Break, #290

2018年11月27日 | コーヒーブレイク
ヨハネ21章21節
ペテロは彼を見て
イエスに言った
主よ
この人はどうですか

復活の主に出会ってもなおこの程度なのかと、つい唖然としてしまう。

いまだ覆いが掛けられたままの状態。

しかも、この時点で、ペテロは聖霊もすでに得ていた(ヨハネ20:22)。

聖霊を宿し、復活の主に直接会い、話をし、一緒に食事までした。

にもかかわらず、ペテロは 「この人はどうか」と聞いた。

何故。

思考回路が古いままだから。

人の事などほっとけば良い。

やれば、やり返される。

ほっておいても絡んでくるやつがいる。

できればシカトが良いが、場合によっては立ち向かうべきだ。

敵の霊に足場を与えてはいけない。

敵は極めて狡猾、かつ残虐、しかも霊であるから何処にでも存在可能。

当然、教会内にもいる。

それがこの世(の教会)、天の御国だ。

尚、先に魂と悪霊との関係について考察したが、以下の文献の中で引用されている聖句とその論旨の延長上にあると思われる聖句を参照にした。

Part 8 THE ANALYSIS OF THE SOUL - THE MIND, 1 The Mind a Battlefield,
The Spiritual Man, Watchman Nee

古いままの思考回路は、敵の格好のターゲットだ。

上のペテロの場合、悪霊が関与したかどうかは不明だが、いずれにせよ、この類の覆いは徹底的に取り除かれる必要がある。

主イエスの(死と)復活、そして聖霊。

これで必要十分ではないかと思っていた。

では、ペテロの場合、古い思考回路のリニューイングはどのようにして行なわれたのか。




Coffee Break, #289

2018年11月25日 | コーヒーブレイク
第1ペテロ4章2節
人の欲望に向かってではなく
しかし神の御心に(向かい)
肉における残りの時を生きるために

ペテロの手紙2書をくり返し読んでみた。

かなり辛辣な内容が随所に出てくる。

特に、第2ペテロ2章を見ると、敵の攻撃の凄さや卑猥さが実に良く分かる。

これほど凄まじい連中に接近した経験がないのは恵まれている証拠なのだろう。

そんな中で目に止まったのが上の聖句。

すでに何度も見たり、聞いたりしたことのあるみことばだ。

言い換えると、上の聖句を見て、自分の思考回路において「当たり前」という答えが返ってきたということになる。

自分の思考回路において、みことばが当たり前のように感じられるようになればなるほど、神の御心が理解できているということになるのではないか。

自画自賛ではない。

我々の中にはキリストの思いがあり、しかも我々の思いの中には神の律法がすでに書き込まれている。

故に、当たり前であるはずなのだ。

但し、第2ペテロ2章のようなことは当たり前であって欲しくない。

まだまだ先の疑問に対する答えが見えてこないが、取り敢えずアップしておく。




Coffee Break, #288

2018年11月25日 | コーヒーブレイク
第2コリント7章2節
私たちに対して心を開いてください
私たちは、だれにも不正をしたことがなく
だれをもそこなったことがなく
だれからも利をむさぼったことがありません

和訳は話しにならない。

英語訳が良い。


Receive us
we have wronged no man
we have corrupted no man
we have defrauded no man

我々を受け入れよ
誰にも悪をしたことがない
誰をも貶めたことがない
誰をも騙したことがない

神があなたがたを受け入れたのだから、今度はあなたがたが我々を受け入れよ、と。

要するに、相互内包関係。

もちろん、我々(パウロたち)もあなたがたをすでに受け入れている。

神と御子と我々の相互内住関係と同じ。

この関係なしで教会が成立するはずがない。

穢れから召し出されて聖別された者たちの、清められた霊、清められた体、清められた魂の共有(1節)。




Coffee Break, #287

2018年11月25日 | コーヒーブレイク
第2コリント7章15節
彼は
あなたがたがみなよく言うことを聞き
恐れおののいて
自分を迎えてくれたことを思い出して
あなたがたへの愛情をますます深めています

主はあっという間に真理に導いて下さった。

he remembereth the obedience of you all
how with fear and trembling ye received him

と書いてある。

コリントの信徒たちは
恐れとおののきをもって
テトスを受け入れた

人は真心からある者を受け入れようとする時、恐れを生じると書いてある。

この場合の恐れとは恐怖ではなく、畏敬の念。

7章1節も同じ。

神でさえ真心から人を受け入れようとする時、畏れを持つのだ。

悪の巣窟だと分かっていても、そこから離れることは容易ではない。

時には困難を極める。

かなりの勇気と覚悟が要る。

だから、そこを出た時、畏敬の念をもって、神は受け入れて下さるのだ。

そして、敵から完全に分離され、聖別される。

これが

perfecting holiness in the fear of God

の意味だ。




Coffee Break, #286

2018年11月25日 | コーヒーブレイク
第2コリント7章1節
愛する者たち
私たちはこのような約束を与えられているのですから
いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ
神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか

この聖句、超難問。

この聖句なしで先へは進めない。

>神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか

とあるが、日本語訳ではワレワレワールド規則に従って訳出しているので当然こういう訳になる。

ほどんどの英語訳は

perfecting holiness in the fear of God

としている。

正確な訳だ。

パウロは何を言いたいのか。

>いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ

誤訳はない。

イザヤ書を見ると、去ればそれが清めと書いてある。

ここはそういう理解で良い。

in the fear of Godとは具体的にどういうことか。

保留。




Coffee Break, #285

2018年11月23日 | コーヒーブレイク
マタイ25章31節
人の子が
その栄光を帯びて
すべての御使いたちを伴って来るとき
人の子はその栄光の位に着きます

天の御国に関するたとえが3つ語られている。

天の御国とは、広い意味では第1の天(この世)、狭い意味ではこの世の霊的領域、すなわち教会のことを指していると理解して良いと思う。

この章では、終末における天の御国の有り様について説かれている。

そこで、3つ目のたとえ。

文字通り、この世における奉仕活動の度合いによって、2つの群に分けられると解する。

これは表向きの理解。

主が実際に語りたかったことは、終末における教会の有り様についてではないか。

最も小さき者とは、霊的に未成熟な者、信仰を得て間もない者、或は求道者。

食べ物とは、霊的な食べ物。同様に、着物とは、霊的な着物と解する。

このように理解する方がはるかに合理的だ。

病気になるとは、霊的に病んでいること。牢に入れられるとは、霊的拘束状態、つまり敵の攻撃に捕捉されている状態。

これらすべての状態を瞬時に解決できるのは、主イエスキリストのみ。

信徒の責務とは、常に聖霊に満たされ、神の国の拡大に尽力し、霊的に危険な状態にある者を敵から救い出すことにある。

一方、山羊はどうか。

彼らはイエスキリストを内に持っていない。

持っているのは敵の霊。

すなわち、偽者。

だから、霊的食べ物、霊的着物、霊的な何ものも与えることができない。

この世的ボランティア活動に走り、勤勉な振りをして、人の目を欺く。

彼らは食べ物を与えたではないかと主張するが、肝心要であるイエスキリストを与えることができない。

結果、幼子は霊的に抹殺されてしまうか、敵の霊の支配下に落ちてしまう。

お前たちは、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火の中へ。

主の裁きは当然だろう。









Coffee Break, #284

2018年11月21日 | コーヒーブレイク
第2コリント6章17節
敵の巣窟から出よ
己を切り離せ
主は言われる
穢れに近づくな
そうすれば
私はあなたがたを受け入れよう

出なければ受け入れないと主は言われる。

手遅れにならないうちに。

我々が出て行くのは、裁かないため。裁くお方がおられる。





Coffee Break, #283

2018年11月21日 | コーヒーブレイク
パウロたちの戦いは、国対国、あるいは民族間の争いではない。

教会内での対立だ。

偽者たちとの霊的戦い。

敵は教会内部にいる。

同11:13
偽の使徒たちが
人を欺く働き人たちが
キリストの使徒へと変容している

次節。

同11:14b
サタン自身
光の天使へと変容している

*変装→変容(変容してしまったら元に戻れない。巧みに変容しているからつい騙されてしまう)

悪魔に憑依された者たちの言動、悪魔に憑依された者たち自身、敵の親玉サタンが出そろった。

パウロは、敵に憑依された者たちを教会から追い出せとは言っていない。

恐らく、敵に乗っ取られ、敵の手足となって働く者たちが相当数いて、パウロにつく者たちは少数派だったのではないか。

このような状況下に置かれたら、教会を去るべきだ。

そう書いてある。

・・つづく。




Coffee Break, #282

2018年11月20日 | コーヒーブレイク

「誇る」と訳された単語καυχάομαιは、この章だけでなく、前10章にもくり返し登場する。

καυχάομαι:
kauchaomai
kow-khah'-om-ahee
From some (obsolete) base akin to that of αὐχέω aucheō (to boast) and G2172; to vaunt (in a good or a bad sense): - (make) boast, glory, joy, rejoice.

上の訳を見ると、悪いイメージ(Negative image)を持つような単語ではない。boastとrejoice両者の意味合いを持つので訳しづらい。「歓喜して誇る」など。但し、to vaunt (in a good or a bad sense)とあるので、悪いイメージにも使用可能。

では、パウロは何を誇り(rejoice)、敵に支配されている者たちは何を誇る(vaunt)のか。

何を敵の霊が誇るので、パウロは切り離そうとするのか。

・・つづく。