みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#637 神の法第六戒

2021年03月28日 | 神の法
第6戒
生かすために

252~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

9.落穂拾いと捧げ物のシェア。

これはすでに引用した。

出エジプト記23:10、11
レビ記17:2~9、19:9、10:23
申命記16:10~14、24:19~21
ルツ記2

この中で、以下の2つは、落穂拾いとは厳密には関連性がない。
レビ記17:2~9、申命記16:10~14

しかし、貧しい者、在留異国人、レビ人に対する慈善としての捧げ物と関連性がある。

ギデオンの諺に落穂拾いに関連することばがある。

士師記8:2
ギデオンは彼らに言った。「今、あなたがたのしたことに比べたら、私がいったい何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実のほうが、よかったのではありませんか。 

この箇所の解釈において、古代カルデア書には、「エフライムの家の弱さは、アビエゼルの家の強さよりも良いのではないのか」と書かれている。

落穂拾いは、受け取る側に労務を課した。

分け前としての捧げ物は、貧しい者、在留異国人、そして主の御前でともに喜ぶ主にある家族としてのレビ人
のために供えられた。

父親のいない子どもややもめはしばしば困窮していたが、滞在者は裕福であったり、レビ人は暮らし向きが良かったという点で、それは基本的には慈善ではなかった。

申命記16:10~14
あなたの神、主のために七週の祭りを行ない、あなたの神、主が賜わる祝福に応じ、進んでささげるささげ物をあなたの手でささげなさい。 
あなたは、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みのうちにいるレビ人、あなたがたのうちの在留異国人、みなしご、やもめとともに、あなたの神、主の前で、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、喜びなさい。 
あなたがエジプトで奴隷であったことを覚え、これらのおきてを守り行ないなさい。 
あなたの打ち場とあなたの酒ぶねから、取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。 
この祭りのときには、あなたも、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みのうちにいるレビ人、在留異国人、みなしご、やもめも共に喜びなさい。 

参考:

途上国へ転落?オリンピック・ウイルス後の日本

奇しくも富井師も指摘しているが、われわれクリスチャンは「地上のものを思うな」という命令と「地を従えよ」という命令を同時に与えられている。

この矛盾に過不足なく答えることができるのがポストミレ神学。

われわれクリスチャンは、天上の人であると同時に地上の人でもある。





#636 神の法第六戒

2021年03月22日 | 神の法
第6戒
生かすために

251~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

8.手すり(欄干)を作ること

申命記22:8
新しい家を建てるときは、屋上に手すりをつけなさい。万一、だれかがそこから落ちても、あなたの家は血の罪を負うことがないために。

他の古典的法的規定の中に聖書律法と平行する記事を見つけることが好きな学者は、一件も同様の記事を見出すことができない聖句。

聖書律法において、一般的な責任原則のみならず。建造物における安全原則が述べられている。

当時のフラットな屋根は夏の生活のためにふつうに使われていた。

屋根には、転落を防ぐために壁や欄干を作る必要があった。

建造物所有者は、自身の土地や家屋での損傷事故を防ぐ責務があった。

「生かす」ための責務は、損害のリスクを回避するための職務。

参考:

キリスト教文化の再建

切迫再臨や世界の終末を唱える教会は悪魔を助けている

初臨のイエスは成功した





#635 神の法第六戒

2021年03月21日 | 神の法
第6戒
生かすために

251~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

生まれながらに奴隷であり、しかも常に奴隷である人がいると聖書律法は認識している。

敬虔な態度を以て、彼らは取り扱われるべきであることも聖書法は要求する。

そして、奴隷は自分の立場を理解し、恵みをもってそれを容認することが、聖書法によって要求されている。

それに反して、社会主義は、自由に関するすべての利益とともに、安全に関するすべての長所を奴隷に与えようとする。

そして、その過程において、自由性のみならず奴隷制をも破壊する。

福祉の受容者は選挙権を行使することはできず、また市民が持つ自由と関連する権利を行使することはできないとする(この法から誘導された)法の古典的原則はいまだに有効。

7.老いた人を敬え。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である(レビ記19:32)」

弱い者たちは法によって守られている。

その保護は、若い者(みなしご)から老人へと拡大(解釈)される。

参考:

レフト・ビハインドとフリーメイソン

キリスト教の脱ギリシヤ化を徹底せよ

聖書の間違った解釈が間違った予測を生み出している



#18 信仰の防衛

2021年03月10日 | 信仰の防衛
初めに

4.両者の譲歩

p21~
Concessions made
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

f. Daane

Daaneは、私の小冊子「一般恩恵について」を総括している。

彼の論点は、私の立ち位置が論理的にヘーゲル主義、理性主義、実存主義へと通じるということではなく、私ヴァンティルの思考構造が、現代ノンクリスチャンの思考形態によってコントロールされているという点にある。

しかし、ヴァンティルの一般恩恵に関する考え方が理性の欠落した実存主義に近いということでもない。

逆に、ヴァンティルの考え方は実存主義的弁証法に基礎を置き、それを表現しているが故に、非存在(人類はその時はまだ存在してはいなかった)のために、堕落前の人類が、ある一般性(generality)を有していたのと同様に、堕落後の人類においても、その一般性を有しているということを主張できるのだとDaaneは言う。

私ヴァンティルにとって時間とは通常の歴史的な時間ではない、と彼は力説する。

ヴァンティルの考え方は、すべての絶対的思考様式において現れる経時的時間に無頓着であることは明白であると。

ヴァンティルは歴史の初期について語っているが、これが大変な混乱を招いている。

彼が意図しているのは(人類)存在の初期のことなのかと。

Daaneは言う、「わたしが救いの一般提示について述べる時、その提示が非存在の初期の忘却(いまだ未信仰)の時の人々にとって意義あるものであることを意味する。

ヴァンティルの全く非聖書的な恩恵に関する概念は、恩恵とは元々初期段階の恩恵のようなもの、真の存在よりも前の段階の概念なのだ。

◇◇

久しぶりのエントリー。相変わらず難解な内容。

さて、本書のタイトルを再考する。

自己防衛、self-defenseということばがある。無論、この単語の意味を知らない人はいない。

では、本書のタイトルは何か。

The defense of the faith。

同様に、素直に日本語訳すれば、「信仰防衛」となる。今回からこれに変更する。

faithの前にtheが付されている理由は、普遍的信仰、つまり、われわれがともに共有すべき「キリストの信仰」を意味しているからだ。

ことばにはすべて定義がある。

「信仰」も例外ではない。

信仰とは、イエスキリストの信仰、だから、the faithなのだ。

your faithでも、my faithでも、his faithでもない。これらはみな a faith、広い意味での異端。 

The faith is the faith of (または in) Jesus Christ.

信仰防衛とは、聖書に書かれているイエスキリストの信仰を堅持・防衛すること。

人間教や左翼思想、進化論を土台とするプレミレ教を混ぜ込んでいる異端を相手にしている暇はない。

参考:

ワクチンパスポートは終末の印か?





#634 神の法第六戒

2021年03月07日 | 神の法
第6戒
生かすために

251~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

貧しい人々は、彼らのニーズを援助してもらう必要があった。

援助は、国による助成金となることはなかった。

しかし、借金に見合うだけの能力がなかったために、6年を超えない期間の限定的奴隷の間、すなわち翌年の安息年あるいはヨベルの年まで、そうなる場合もあった。

この限定的奴隷は、きちんと取り扱われただけでなく、奉仕に対して寛大な報酬が与えられた。

この限定的奴隷制はイギリス法の一部となったため、安息年の間限定的奴隷として自分を売ることによってのみアメリカへと来ることができた先祖の子孫であるアメリカ人は多い。

しかしながら、この限定的奴隷制は、自由世界と奴隷世界の両者を持つことはできなかった。

妻が責任を意味する一方で、結婚するために、能力の証しとして、男は家族を率いるための持参金を用意する必要があった。

男は、自由という利益を持つことはできなかった。

同時に、妻は、主人の下で安全という利益を得ることができた。

限定的奴隷の間に、男が他の限定的奴隷、あるいは奴隷と結婚する場合、自由かまたは家族を失うことになることが分かっていながらそのようにした。

彼は、彼の家族と共に、依然として奴隷のままか、あるいは(女性のように)従属の印として、耳にピアスの穴を開けられた。

さもなければ、彼は家族と別れなければならなかった。

彼は出て行き、家族と分かれるとする。

彼に十分な稼ぎがあるなら、彼の家族を拘束から取り返すことができる。

この場合の法とは、人道的であり、かつ感情に動かされない。

参考:

サタンの王国はキリストの王国に取り囲まれている

クリスチャンは無意味なもの、理不尽なものから解放されている

キリストはよみがえられた!