みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #213

2018年06月29日 | コーヒーブレイク
初めて旧約聖書を読んだ頃のことを覚えているだろうか。

この書に聖絶ということばが出てくる。

神の命令によって、男だけでなく、女、子供も皆殺しにして、その土地の生存者を根絶やしにすることを聖絶という。

神は何て残酷なことをするのかと思わなかっただろうか。

女、子供まで殺さなくてもよいではないかと。

実は、聖絶には深い意味がある。

早速検討してみよう。

創世記6:2節に登場する「神の子ら」とは、ダニエル4章に登場するウオッチャー(watchers)と呼ばれる堕落天使のことだ。彼らは人間界を腐敗させ、神から遠ざけるために、さまざまな工作を人類に仕掛けた。その一つがこの箇所に書かれている人間の娘たちとの淫行。そして、この行為によって巨人ネフィリムという血族が地上に誕生した。人間と天使の混血、神と人類に敵対する遺伝子を有するハイブリッドだ。

この血族を一掃するために断行されたのがノアの大洪水だった。しかし、彼らの子孫は何らかの理由により大洪水を免れ、地上に増えていった。

そこで、神はイスラエルの戦士ヨシュアらを用いて、ネフィリム掃討作戦を決行する。彼らを地上から根絶やしにするために、女、子供も含めて聖絶する必要があったのだ。人類を堕落させ神に抵抗する遺伝子を有するネフィリム族の掃討作戦が聖絶なのだ。

しかし、ヨシュア記11章22節によると、「ただガザ、ガテ、アシュドデにわずかの者が残っていた」とあるため、一部のネフィリムはその後生き残った可能性が高い。

彼らwatchersの総本部がヘルモン山、すなわち地獄のポータル(入口)。主イエスキリストの思いは、この地に向かって燃え上がる。

Conquest and Failure, The Unseen Realm, MICHAEL S. HEISER




Coffee Break, #212

2018年06月28日 | コーヒーブレイク
エペソ2章6節
キリスト・イエスにおいて
ともによみがえらせ
ともに天の所にすわらせてくださいました

有名な聖句。

上の聖句を読んで、何かオカシイと感じないだろうか。

指摘されてみると、確かにヘンな訳だ。

>キリスト・イエスにおいて
>天の所に

この2か所。

早速英語訳。


And hath raised us up together
and made us sit together
in heavenly places
in Christ Jesus

この英語訳も間違っている。

in heavenly places

ではない。

in the up-heavens

が正しい訳出。

up-heavensと訳した単語はἐπουράνιοςで、意味は

ἐπουράνιος:
epouranios
ep-oo-ran'-ee-os
From G1909 and G3772; above the sky: - celestial, (in) heaven (-ly), high.

名詞ではなく形容詞なので、仕方なくplacesを補足したのだろう。

この単語は、ἐπιとουράνιος(ουράνοςの複数)の合成語。天々の上、すなわち空の上。もちろん「宇宙」ということではなく、霊的領域ということだろう。

上2つのことばを直訳する。

天々の上の中に
キリストイエスの中に


我々をともによみがえらせた
我々をともに座らせた
天々の上の中に
キリストイエスの中に
(直訳)

何処にともに座らせたと書いてあるか。

キリストイエスの中に

だ。

キリストと共に
キリストの中に

だ。

時空間を完璧に超越したスーパーナチュラルワールド。

聖書は実に痛快な本だ。



Coffee Break, #211

2018年06月27日 | コーヒーブレイク
ガラテア6章3節
だれでも
りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら
自分を欺いているのです

さて、最後の文章。

he deceiveth himself

deceivethと訳された単語はφρεναπατάωで、意味は

φρεναπατάω:
phrenapataō
fren-ap-at-ah'-o
From G5423; to be a mind misleader, that is, delude: - deceive.

彼は自分を欺いている
彼は自分を惑わせている
彼は自分をだましている

この文章において、主格のheと目的格のhimselfを別物と考えた方が分かりやすい。つまり、その者の中に肉の人と霊の人が同居した状態(ローマ8章)。

肉が心をだましている

霊の領域には入り込めないので、悪魔は我々の肉(体、魂)に攻撃を仕掛けてくる。そして、自分で自分の霊の領域を責めさせる。実に巧妙だ。しかし、しっかりとみことばに立っていれば、陥落することはない(ヨハネ10章)。


if a man think himself to be some spiritual being 
when he is nothing spiritually
he deceives himself

第1コリント3章を参考にしつつ、さらに追及していく。


if a man think himself to be some spiritual being 
when he is nothing spiritually
his carnal deceives his heart

*心=霊と魂
*肉=体と魂

日本語に直してさらに追及。


霊的なものは何もないにもかかわらず
自分は霊に属すると主張するなら
その人の肉がその人の心を欺いている

*直訳ではない。

追記:
心と肉に共通しているのが魂。
みことばによって魂を常にガードしていないと我々は容易に敵の術中に嵌まる。
魂をみことばで充満せよ。




Coffee Break, #210

2018年06月26日 | コーヒーブレイク
ガラテア6章3節
だれでも
りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら
自分を欺いているのです

この聖句にはいったい何が書いてあるのか。

早速検討に入る。


For if a man think himself to be something
when he is nothing
he deceiveth himself

この英語訳において、a manと訳された単語とsomethingと訳された単語は実は同じで、τιςという原語が使われている。

意味は

τίς:
tis
tis
An enclitic indefinite pronoun; some or any person or object: - a (kind of), any (man, thing, thing at all), certain (thing), divers, he (every) man, one (X thing), ought, + partly, some (man, -body, -thing, -what), (+ that no-) thing, what (-soever), X wherewith, whom [-soever], whose ([-soever]).

ある人、ある物、何か、誰か、という意味だ。

1節に引き続く流れからすると、この節でもパウロは霊的なことを助言していると考えるべきだろう。英語のsomethingには重要な物(人)という意味があるが、上の辞典をみるとτιςにはそのような意味はない。

従って、上の英語訳は、誤解を避けるために

a man think himself to be somethingではなく

a man think himself to be some thing

とすべきだろうと思われる。

では、本題に入ろう。

以上の前置きを考慮しながら、上の英語訳において

when he is nothingとは

この世的に無能なのではなく、霊的に無能であると考えるべきであり

when he is nothing spiritually

このように理解される。

次に

a man think himself to be some thingはどうか。

同様に

a man think himself to be some spiritual being 

・・続く




Coffee Break, #209

2018年06月24日 | コーヒーブレイク
ガラテア6章1節
兄弟たちよ
もしだれかがあやまちに陥ったなら
御霊の人であるあなたがたは
柔和な心でその人を正してあげなさい
また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。

宗教の臭いがプンプンする訳出だ。

肝心要の部分を誤訳しているため、それ以下の下りが骨抜きになってしまっている。

英語訳を参照しながら、原典を見ていきたい。


Brethren
if a man be overtaken in a fault
ye which are spiritual
restore such an one in the spirit of meekness
considering thyself
lest thou also be tempted

まずは最後の文章から。

原典を英訳する。

scoping yourself not also you are tempted

悪魔によって誘惑されないように
自分をも詳しく監視しつつ

つまり、この聖句は霊的戦いに関する具体的方法論を教えてくれているのだ。

overtaken in a faultと訳された箇所は

προληφθη ανθρωπος εν τινι παραπτωματι

であり、文意を考慮しつつ意訳すると

敵の策略に嵌まり
脇道へと転がり落ちている
兄弟姉妹がいたら

παράπτωμα:
paraptōma
par-ap'-to-mah
From G3895; a side slip (lapse or deviation), that is, (unintentional) error or (wilful) transgression: - fall, fault, offence, sin, trespass.

paraとは傍らという意味、ptōmaとは下垂、すなわち落ちるという意味。よって、παράπτωμαとは脇道へと落ちること。

さて、致命的誤訳をしているのが次の箇所。

>御霊の人であるあなたがたは
>柔和な心でその人を正してあげなさい

原典にはこう書かれている。

υμεις οι πνευματικοι καταρτιζετε
τον τοιουτον εν πνευματι πραοτητος

英語に直訳する。

you who (are) spirituals
restore the one such
in spirit of meekness

日本語に直訳する。

霊であるあなたがたは
その者自身を
謙遜の霊の中に取り戻せ

説明を加えながら全文直訳する。

ガラテア6:1
兄弟姉妹たちよ
悪魔の策略に嵌まり
脇道へと転がり落ちている
兄弟姉妹がいたら
悪魔によって誘惑されないように
自分をも詳しく監視しつつ
霊であるあなたがたは
その兄弟姉妹を
謙遜の霊の中に取り戻せ

in spirit of meeknessとある通り、謙遜の霊によって我々は謙遜となれる。悪魔の策略によって謙遜の霊の脇へと落とされた兄弟姉妹を、霊であるお前たちがその者を謙遜の霊の中へと連れ戻せとパウロは命じているのだ。

謙遜の逆はプライド。

謙遜の霊の脇へと落とされるとは、レビアタン(自分が神)の霊に憑かれることを意味する。極めて危険な状況だ。

霊的領域においてコネカネは通用しない。

霊(信仰)のことは霊(信仰)で処理する以外に手はない。




Coffee Break, #208

2018年06月23日 | コーヒーブレイク
ピリピ4章6節
何も思い煩わないで
あらゆるばあいに
感謝をもってささげる祈りと願いによって
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい

長い間この聖句の意味が理解できなかった。

上の聖句において

>あらゆるばあいに
>感謝をもってささげる祈りと願いによって

これは余計ではないかと。

何も思い煩わないで
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい

これだけの方が良く分かる。

不要と思われる箇所の英語訳を見てみよう。

in every thing by prayer and supplication with thanksgiving

すべてにおいて
祈りと願いによって
感謝をもって

ここに出てくる願いの原語はδέησιςで、意味は

δέησις:
deēsis
deh'-ay-sis
From G1189; a petition: - prayer, request, supplication.

あなたがたの願い事の「願い事」の原語はαἴτημαで、意味は

αἴτημα:
aitēma
ah'ee-tay-mah
From G154; a thing asked or (abstractly) an asking: - petition, request, required.

違いがよく分からない。

実はこの聖句、次のように理解するとスーッと落ちてくる。

すべてにおいて
祈りの霊と願いの霊を通して
感謝をもって

つまり、祈りの霊と願いの霊を通して、具体的な願い事を神に告白する。

ゼカリア12:10a
And I will pour upon the house of David
and upon the inhabitants of Jerusalem
the spirit of grace and of supplications

とある通り、恵みも願いも霊なのだ。

ピリピ4:6
何も思い煩わうな
すべてにおいて
祈りの霊と願いの霊を通して
感謝をもって
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい




Coffee Break, #207

2018年06月21日 | コーヒーブレイク
ルカ13章6~9節
イエスはこのようなたとえを話された
ある人が
ぶどう園にいちじくの木を植えておいた
実を取りに来たが
何も見つからなかった
そこで
ぶどう園の番人に言った
見なさい
三年もの間
やって来ては
このいちじくの実のなるのを待っているのに
なっていたためしがない
これを切り倒してしまいなさい
何のために土地をふさいでいるのですか
番人は答えて言った
ご主人
どうか
ことし一年そのままにしてやってください
木の回りを掘って
肥やしをやってみますから。
もしそれで来年
実を結べばよし
それでもだめなら
切り倒してください

この例えの意味とは何か。

検討していこう。

まずは1節。

ガリラヤ人の災難について。

主は

ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか

と弟子たちに聞いた(2節)。

罪深い人たちと訳された単語はἁμαρτωλόςで、意味は

ἁμαρτωλός:
hamartōlos
ham-ar-to-los'
From G264; sinful, that is, a sinner: - sinful, sinner.

文字通り、罪人(名詞)。

次いで3節。

あなたがたも悔い改めないなら
みな同じように滅びます

と言った。

ここで、悔い改めると訳された単語はμετανοέωで、意味は

μετανοέω:
metanoeō
met-an-o-eh'-o
From G3326 and G3539; to think differently or afterwards, that is, reconsider (morally to feel compunction): - repent.

考え方(の向き)を変えるという意味。つまり、神の方を向くということ。

次に4節。

エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか

この主の問いにおいて、「罪深い」と訳された単語はὀφειλέτηςで、意味は

ὀφειλέτης:
opheiletēs
of-i-let'-ace
From G3784; an ower, that is, a person indebted; figuratively a delinquent; morally a transgressor (against God): - debtor, which owed, sinner.

負債があるという意味。

そして5節。

この聖句において、悔い改めると訳された単語もμετανοέω。

主の結論は

悔い改めないなら、みな同じように滅ぶ

上2つの例をおさらいする。

大集団の中に罪や負債のために滅んだ少数がいる。大集団もまた滅んだ少数と同様に罪過の中にいる。悔い改めなければ滅んでしまう。

という警告。

そして、ぶどう園といちじくの譬えと続く。

設定はほぼ同じ。

大集団はぶどう園。
少数はいちじくの木。
3年待っても実がならないという罪をいちじくの木は犯している。
主人は切り倒してしまえと命ずる。
しかし、番人は今年は待つように主人に請う。

ガリラヤ、エルサレムの話しと異なり、いちじくの木(少数)が切り倒される(滅ぶ)前に、この例えは終わってしまう。

ガリラヤ(地方)、エルサレム(都市)と来たのだから、順番として次に来るべきはイスラエル(国家)だろう。つまり、この例えの中のぶどう園はイスラエル。

次に、ぶどう園に異質ないちじくの木を植え、3年待ったとあることから、いちじくの木はイエスキリスト、そしてぶどう園の主人は神を例えていると考えられる。いちじくの木は、新約聖書では呪いを表すと考えられるので、さらにその裏付けとなる。

さて

実のならないいちじくの木は切り倒されてしまった

と書いてはいないことに注目したい。

ここはぶどう園。

いちじくの木に実がなるかどうかが問題なのではない。

ぶどうの収穫が豊作かどうかの方がはるかに重要なはずだ。

いちじくの木を気にかけている暇があったら、何故ぶどう園の方に眼を向けないのかと問うているのだ。

結局、いちじくの木は切り倒されてしまうのだが、いちじくの木ではなく、ぶどう園が豊作になるように手入れをしろと主は言っているのだ。

ぶどう園の番人とは誰のたとえか。

律法学者、パリサイ人のことだろう。いちじくの木に対して、ぶどうの木のような手入れをしても全く意味を成さないことが分からない。

以上から

重要なのは

いちじくの木が実を結ぶ結ばないではない
ぶどう園が豊作となるかどうか

言い換えると

重要なのは

私(イエス)が十字架に付く付かないではない
イスラエルが神に立ち返ることができるかどうか

ということ。




Coffee Break, #206

2018年06月21日 | コーヒーブレイク
エレミア1章5節
わたしは
あなたを胎内に形造る前から
あなたを知り
あなたが腹から出る前から
あなたを聖別し
あなたを国々への預言者と定めていた

この聖句、ガラテア1章15節と極めて類似した内容だ。

Coffee Break, #202

>あなたを胎内に形造る前から

が若干異なるが、文意は全く同じ。

ガラテア1:15
これにより
神は大いに満足しておられる
その神が
私がまだ母の胎にいた時に
私を聖別し
ご自身の恵みを通して
私を召して下さった

この聖句は、エレミア書と同様、国々のための預言者として召し出されたことを証しするパウロの宣言。

>あなたを国々への預言者と定めていた

ガラテア1:15には、この要の証しがないが恐らくそうなのだろう。

選ばれし者たちの宣言であり、万人に当てはまるとするのはやや乱暴か。








Coffee Break, #205

2018年06月20日 | コーヒーブレイク
エペソ6章12節
我々の闘いは血と肉に対するものではなく
ἀρχή(アルケー)とἐξουσία(エクスーシア)
すなわち、この世の闇を支配する諸霊、
空中の権威をもつ悪しき諸霊との闘いだ

以前の考察(上)で

ἀρχή(アルケー)≒この世の闇を支配する諸霊

ἐξουσία(エクスーシア)≒空中の権威をもつ悪しき諸霊

と理解した。

どうでもよいことだが

ἀρχή(アルケー)
ἐξουσία(エクスーシア)
この世の闇を支配する諸霊
空中の権威をもつ悪しき諸霊

それぞれが独立する霊的存在であるとする考え方もあるようだ。

霊的領域の実際。

カネコネでは如何ともしがたい。

霊には霊で対抗する。

最後の切り札は、もちろん主の血潮だ。





Coffee Break, #204

2018年06月20日 | コーヒーブレイク
コロサイ2章15節
神は
キリストにおいて
すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし
彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました

有名な聖句。

この聖句において、「支配」と「権威」とは何か。

「支配」と訳されている単語はἀρχήで、意味は

ἀρχή:
archē
ar-khay'
From G756; (properly abstract) a commencement, or (concrete) chief (in various applications of order, time, place or rank): - beginning, corner, (at the, the) first (estate), magistrate, power, principality, principle, rule.

英語訳ではprincipality(の複数)と訳されている。

一方、「権威」と訳された単語はἐξουσίαで、意味は

ἐξουσία:
exousia
ex-oo-see'-ah
From G1832 (in the sense of ability); privilege, that is, (subjectively) force, capacity, competency, freedom, or (objectively) mastery (concretely magistrate, superhuman, potentate, token of control), delegated influence: - authority, jurisdiction, liberty, power, right, strength.

英語訳ではpower(の複数)と訳されている。

これらの単語の意味については、以前にも考察した。

再掲しておく。


Coffee Break, #73
Coffee Break, #74
Coffee Break, #75
Coffee Break, #77

「支配」「権威」の実体は、敵の王国を構成しているヒエラルキーの1階級。

言うまでもない、霊的領域の実際だ。

世俗教会においては、敵の策略によって、この手の内容が抜かれてしまっている。

国家とか、居る皆亭とか、この世の「支配」「権威」ではない。

この聖句に書かれていることは実に画期的なのだ。

騙されていてはいけない。

実感せよ。